その3>>3.『NY文藝』の内容(1)創作(その1)あべよしおと秋谷一郎は『NY文藝』の編集と発行に中心的な役割を果たしたが、彼らはまた創作においても重要な存在であった。したがって、まずこの2人の作品について、次に他の同人の作品について、概観しておきたい。
あべよしお(1911-1981)はオレゴン州ポートランドで生まれ、10歳の時に家族と共に父の郷里の岡山へ来た。1936年、早稲田大学を中途退学してアメリカへ帰り、戦時中には連合軍の対日情報部員としてインドへ行った。戦後、ニューヨークへ出て北米新報社で働き、様々な政治運動、社会運動に積極的に関わった。桜庭と結婚したのもニューヨークである。安保闘争の激しかった1960年、桜庭と共に日本へ来て日本共産党に入党し、『民主文学』と『文学かまくら』に作品を発表した。1981年1月15日、あべと桜庭の心中遺体が発見され、当時の新聞や雑誌に大きく取り上げられた(例えば『週刊新潮』1981年1月24日号)。亡くなる10年程前から健康がすぐれなかったという(片岡巍「あべよしお氏の死を悼む」『民主文学』1981年4月号)。
あべは『NY文藝』に長編(長編としては短いが)を1編、短編を3編、詩を1編書いている。長編小説『ニューヨーク六十五丁目』は「プロフェッサーの恋」(第4号)、「ニューヨークのお稲荷さん」(第5号)、「道を求めて」(第6号)、「…