ディスカバー・ニッケイ

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チャック・タサカ

(Chuck Tasaka)

@CharlesHachiro

チャック・タサカ氏は、イサブロウ・タサカさんとヨリエ・タサカさんの孫です。チャックのお父さんは19人兄弟の4番目で、チャックはブリティッシュコロンビア州ミッドウェーで生まれ、高校を卒業するまでグリーンウッドで育ちました。チャックはブリティッシュコロンビア大学で学び、1968年に卒業しました。2002年に退職し、日系人の歴史に興味を持つようになりました。この写真は、グリーンウッドのバウンダリー・クリーク・タイムス紙のアンドリュー・トリップ氏が撮影しました。

(2015年10月 更新)


この執筆者によるストーリー

ソルトスプリング島の岩崎家

2017年8月14日 • チャック・タサカ

レイ・トラオ・イワサキは 1933 年にブリティッシュコロンビア州ガンジスで生まれ、ブリティッシュコロンビア州のガルフ諸島のソルトスプリング島で牧歌的な生活を送っていました。父トラゾは 1907 年にバンクーバーに移住しました。母フクは静岡から 1918 年にエンプレス オブ バンクーバー号に乗ってトラゾと結婚しました。レイは 4 人の姉妹、ヒデコ (1920 年)、ミツコ (1922 年)、セツコ (1926 年)、ツルコ (1931 年) に囲まれていました。イワサキ一…

二世物語:予期せぬ友情の喪失と発見

2017年7月21日 • チャック・タサカ

テレサ・チズ・クリスは、子供の頃はパウエル・ストリートで普通の生活を送っていました。彼女は東バンクーバーのストラスコーナ小学校に通い、その後すぐに日系カナダ人の友達と一緒に日本語学校に通いました。テレサの両親はカトリック教徒だったので、彼女は両親と一緒に教会活動に参加しました。これは、メアリー・ステラ姉妹、別名キャスリーン・オメリアが1926年にダンレビーとコルドバに日本人カトリック宣教団 (JCM) を設立した時期でした。クリス一家は最初の改宗者のうちの1人でした。 テレ…

ニッケイ物語 6—いただきます 2!新・ニッケイ食文化を味わう
イタダキマスの余裕はなかった!

2017年7月5日 • チャック・タサカ

 「イタダキマス」って何? 私が子供時代を過ごした戦後のカナダでは聞いたことがありません。グリーンウッド(ブリティッシュコロンビア州中南部の街)には日本語学校はありませんでした。唯一似ているのは、食卓の一番良い席に着こうとする兄や姉に押された時に言った、「イタイ!」とか「イタイナ!」でした。当時の私たちは皆、「カナダ化」、それもアングロサクソン系のカナダ人文化への同化を何より望んでいました。聖心学院で私たち生徒が習った歌といえば、『アイルランドの瞳が微笑むとき』や…

二世のニックネーム

2017年6月22日 • チャック・タサカ

iPhone、iPad、Galaxy などのハイテク コンピューターの時代ですが、昔ながらのニックネームはどうなったのでしょうか。最近では、Burnsie、Burr、Marky、JJ、JR、AJ などのニックネームを持つ有名アスリートを耳にします。かなり平凡だと思います。現代のニックネームには、もっと「わさび」が加えられるべきだと思います。 40 年代や50年代のニックネームは多彩で、本名が忘れられてしまうほどでした。ホッケーでは、「リーピング ルー」フォンティナート、ブロ…

二世:二世たちが行進するとき...

2017年5月26日 • チャック・タサカ

聖者が行進するとき、ああ、聖者が行進するとき……ああ、二世が行進するとき…… 1800年代に宣教師が日本を訪れた時、キリスト教の影響がありました。それ以前にも、ポルトガルからイエズス会の司祭が来ていました。徳川幕府はキリスト教を阻止しようとしました。最近の映画「沈黙」は、その歴史に基づいています。1800年代後半までには、キリスト教は近代的で進歩的なものと見なされていました。そのため、日本人移民がブリティッシュコロンビアに殺到したとき、すでに何人かの日本人牧師がいました。鏑…

日系カナダ人強制収容75周年

2017年5月5日 • チャック・タサカ

日系カナダ人強制収容75周年を記念する、シンプルで気軽な集まりのはずだった、日系人の「ウッドストックのような愛の集まり」が、4月29日にリッチモンドのセント・ジョセフ・ザ・ワーカー・スクールで開催されました。ジムは満員で、多くの人が昔の友人に会ったり、長い間会っていなかった友人と再会したり、他のキャンプの日系人と会ったりして楽しんでいるようでした。たくさんの笑顔と心温まるサプライズがありました。 美しいポスターを制作したエリカ・イソムラさんは、国立日系博物館が提供した 10…

二世:マクリーン工場と日系人のつながり

2017年4月19日 • チャック・タサカ

1930 年代初頭、バンクーバー島のポート アルバーニにあるマクリーン工場に、ごく小規模の日系カナダ人の居住地があったことをご存知ですか?モーリーン・ハマギシから送られてきたパークス・カナダの背景記事とジャン・ピーターソンの著書『 Twin Cities: Port Alberni』からの抜粋を読むと、RB マクリーン製材会社は 1926 年から 1965 年まで運営されていた小さな家族経営の会社だったことがわかります。ロバート・バートレット・マクリーン氏は、クローバーデー…

二世:四季折々のやんちゃ小僧 - パート 4

2017年3月27日 • チャック・タサカ

パート3を読む>>冬:氷点下の気温を除けば、冬の楽しみは夏のアクティビティとほぼ同じでした。スケート、そり遊び、スキー、雪だるま作り、イグルー、シンニーホッケー、アイスカーニバル、雪上サッカーなどで、子どもたちは大忙しでした。窓の外を見ると、子供たちは前夜に降った雪を見て、喜んでベッドから飛び起き、冬服を着た。ブリティッシュコロンビア州のバウンダリー・クートニー地区では、ほぼ毎日このような光景が繰り返されていた。 1950 年代には、おもちゃがなかなか手に入ら…

二世:カナダへの移民

2017年3月24日 • チャック・タサカ

永野万蔵は1877年にカナダに移住した最初の日本人とされているが、ブリティッシュコロンビア州に来た最初の日本人というわけではない。1834年には、難破した捕鯨船から日本人船員が救助されている。アン・リーとゴードン・スウィッツァーの著書『 Gateway to Promise』と『Sakura in Stone』には、日本人がビクトリアを訪れた最初の記録は1858年であると書かれている。1860年までには、日本からの商品がビクトリアに到着していた。チャールズ・ガブリエルは東洋…

二世:四季折々のやんちゃ小僧 - パート3

2017年3月20日 • チャック・タサカ

パート2を読む>> 秋:労働者の日のお祝いは、グリーンウッドの夏の終わりと新学期の始まりを告げる日です。この日は、誰もがドレスアップして、マーチングバンド、さまざまなスポンサーの山車、装飾された自転車によるパレードを楽しむ日です。パトカーと消防車は欠かせません。子供たちはサイレンを聞くのが大好きでした。セイクリッド ハート スクールの山車は毎年好成績を収め、フランシスコ会のシスターと修道士たちの大きな誇りと喜びとなっています。日系人の子供のほとんどは SHS に…

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