竹田 信平

(たけだ・しんぺい)

メキシコ・ティファナを拠点に活動。記憶をテーマとして、写真、インスタレーション、野外アート、ドキュメンタリー映画等を制作。南米・北米に在住する被爆者を2005年より追い、ドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキダウンロード』(2010)、国連軍縮局との共同制作多言語ウェブサイト 『www.hiroshima-nagasaki.com』(2012)、インスタレーション『アルファ崩壊』 (2010-2013)などを発表。その傍ら米サンディエゴのアート非営利団体、THE AJA PROJECTを2001年に設立、現在そのアートディレクターも務める。アメリカ・デューク大学(学士)、サンディエゴ大学卒(修士)。公式ウェブサイト:www.shinpeitakeda.info


(2014年12月 更新)

war en ja

抜粋:海を超えたヒロシマ・ナガサキ ~その2

その1を読む >> 4. 被爆者の渡った国々—中南米 パラグアイ 赤い土が印象的な南米の国パラグアイには、遠大に拡がる農場が数多く見受けられる。アルゼンチン、ブラジルとボリビアに囲まれたこの国には、幾つかの日系人「コロニア」もある。 フラム地区にあるラパズ日本人移住地は、その中でも比較的新しいコロニアだ。ボリビアのサンフアンと同様、日本人移民が戦後パラグアイに到着したのは1950年代のことだ。この、現在でも人口660万人という小さな国に移住した彼等は、やはり原始林から農地を切り開く作業から移住生活を始めた。当初現地の言語を喋れなかった日本人移民は、母国から持ってきた時計などを現地のグアラニ先住民と物々交換し、野菜などをもらって生活していたという。今では二世や三世が大多数となった日系人だが、そのほとんどが農業に従事している。なかには100ヘクタール以上もの大農場を持つ人もいて、大豆、米、ナッツ、麦等を栽培している。 日本人協会では日本語が教えられ、そのほかにも日本の伝統文化を日本を知らない次世代に残すため、様々な試みがなされている。しかし現実には、次世代を担う子供たちは地元の言葉を喋り、地元地域にとけ込み、地元の人と結婚し、そしてさらにはパラグアイ都市部へ出て行ったり、あるいは日本へ出稼ぎに行ったりする、という傾向が強くなっている。 夫が2年前に亡く…

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抜粋:海を超えたヒロシマ・ナガサキ ~ その1

1. 北米南米に住む被爆者 私たちは「南米・北米に住む被爆者」という題名を聞いて、どんな印象を受けるだろうか?そこから、どのような物語、心象、感情が沸きあがってくるだろうか? 南米・北米で『爆弾』による被害を受けた人々」という意味から、メキシコの麻薬戦争ないしアメリカ合衆国のテロリズムを思い起こす人もいるかもしれない。「被爆者」=「広島ないし長崎で原子爆弾による被害を受けた人たち」という意味から、南米・北米、とりわけアメリカ合衆国に「住む」被爆者など存在するはずがない、という反応をする人もいるかもしれない。アメリカ合衆国の攻撃によって人類史上初めての核被害を受け破壊された日本の都市が、アメリカ合衆国と比較対照されることはあっても、アメリカ合衆国の「中」に存在することなどあり得ない、と思う人も少なくないだろう。 核被害を受けた都市と、核兵器を開発使用した国のあいだに横たわる、この超越不可能にも思われる溝を埋めること、さらには「被爆者」といえば日本人に限られているという見解を見直すことが、本書の目的である。広島・長崎は、周りを取り囲む海によって枠にはめられたり、孤立させられるべきではない。海の向こうからの考察が広島・長崎の重要性をより強く認識させることもある。本書にある物語と写真を通じ、核兵器と核破壊、それらに影響を受けた人々の経験を、国境や居住地にとらわれることなく包括的に考え…

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