その1>>初めての佐藤先生とのインタビューが終わったあと、私は羅府に足を運びその内容を藤田さんに報告しました。藤田さんは、先生とのつながりをつくることが出来たことをとても喜び、LTRの撮影もかねディレクターの陳さんを伴って日本を訪問することを決めました。
藤田さんと陳さんは11月の下旬に日本を訪問しました。ふたりの第一の目的はもちろん、先生に会うことでした。私は急いで4日間のスケジュールを組み、あらためて先生から話を聞くことになりました。今回のわたしの役割は日程の調整や現地でのサポートが主で、インタビューを藤田さんが行い、その様子を陳さんが撮影するという形で行いました。
最初の2日間は、佐藤先生の経歴や生い立ち、加州毎日新聞社のことなど、先生の話を中心に質問をしました。そして、3日目に、わたしが藤田さんをヘルプするかたちで、先生の藤井氏に対する考えなどついてお話をうかがいました。
藤井整の魅力
藤田さんが、どのような理由で藤井整に興味を持つようになったのかを伺うと、藤井氏の日系社会への多大な貢献のみならず、藤井氏の人柄そのものに惹かれたと佐藤先生はおっしゃっていました。
当時、藤井氏は日系社会におけるアイドル的な存在でもありました。彼が亡くなった直後に発行された『羅府新報』の記事によると、彼は日系社会における「元老」的な存在として評価されていました。それと同時に、藤…