オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。
(2016年12月 更新)
この執筆者によるストーリー
ある帰米二世の軌跡: 歯科技工士 ハワード・小川さん -その4
2010年11月8日 • 郷 崇倫
>>その3南カリフォルニア大学における人種差別1950年代を迎えると、三世の日系人が高等教育を受けるようになりました。そのなかでも、医療従事者を目指すものが増えてきました。ハワードさんの甥である、永松先生もそのひとりです。 しかしながら、高等教育を希望する学生にとって、教育現場における差別は深刻な社会問題でした。特に、当時の南カリフォルニア大学の歯学部においては、日系人をふくめたアジア系学生に対する人種差別が激しかったのです。 永松先生はわたしに宛てた手紙のなかで、このよう…
ある帰米二世の軌跡: 歯科技工士 ハワード・小川さん -その3
2010年11月1日 • 郷 崇倫
>>その2フレズノへの「かなわぬ逃避」1941年12月7日、ハワードさんと永松家の人々は、いつものように教会での礼拝を終えて家にいました。そのとき、ラジオで信じがたいニュースが流れたのです。日米戦争の勃発でした。戦争が起きたこと、そして高まる反日感情への危惧感などから、永松家の人々は家のなかでじっとしていました。これから何をすべきか、わからなかったからです。日系人にとって、日米戦争はありえない出来事であって、戦争勃発直後は多くの日系人が恐怖感におそわれたのです。 そして、…
ある帰米二世の軌跡: 歯科技工士 ハワード・小川さん -その2
2010年10月25日 • 郷 崇倫
>>その1千代子さんの結婚アメリカに戻った千代子さんは、キングス一家の紹介で、ニューポート・ビーチに住んでいたキングス一家の親類ウインクラー一家と一緒に暮らすことになりました。千代子さんは住みこみのベビー・シッターの仕事をしつつ、ガーデングローブにあった日本語学校で教師として働きました。当時は、まだオレンジ郡には路面電車がありました。千代子さんは電車に乗って、ニューポートビーチからガーデングローブに通いました。 まもなくして、千代子さんはジョージ・永松さんと結婚することにな…
ある帰米二世の軌跡: 歯科技工士 ハワード・小川さん -その1
2010年10月18日 • 郷 崇倫
先日、わたしの研究活動を長年にわたって支えてくださっている、ロサンゼルスで歯科医院を営んでいる、アーネスト・永松先生から、先生の叔父ハワード・小川さんのドキュメンタリー作品をつくっているとのメッセージを受け取りました。 わたしがアート・ハンセン先生のご指導のもとでカリフォルニア州オレンジ郡の日系社会の研究をやっていたときに、一番最初にオーラル・ヒストリーに応じてくださったのが、ハワードさんと、彼の姉であり、永松先生の母親でもある千代子さんでした。永松先生とハワードさん…
日系史は私の「パートナー」
2010年7月12日 • 郷 崇倫
私の日系史研究は、今年で7年目を迎えました。この7年間、私はマンザナーやツール・レイクに足を運び、オーラル・ヒストリーに取り組み、JAリビングレガシーの活動に参加するようになりました。さらには、ディスカバーニッケイのユーザー、ニマ会の一員としてエッセイを書いてきました。 日系史研究をやっていると、そのきっかけに関する質問を受けることがあります。その度に私は、「『さらばマンザナー(Farewell to Manzanar)』を読んだのがきっかけです。」と答えています。 しかし…
日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その3
2010年5月17日 • 郷 崇倫
>>その2トラウマを忘れてはならないアメリカ国内では、従軍を経験した人々が深刻な心身症に悩まされることが良く知られています。特に、昨今のイラクやアフガニスタンでの軍事行動にかかわったアメリカ人の多くが、戦争からくるトラウマに悩まされていることは周知の事実だと思います。このことは、日系人にとってもまったく同じことだと私は思います。従軍を経験した日系人も、戦争を原因とするトラウマに悩まされているのです。 私は、ある日系二世の退役軍人から、今でも戦友を亡くしたことを原因とするト…
日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その2
2010年5月10日 • 郷 崇倫
>>その1 諜報部隊(MIS)と進駐軍 第442部隊の次に日系人が所属した部隊としてよく知られているのは、MISと呼ばれる諜報部隊です。従軍を経験した日系人のなかには、日本語を習得して日本軍や日本国内の情報を収集する役割をになった人々や、進駐軍として日本の民主化政策にかかわった人々がいました。さきに挙げたマツモト氏は、MISを経験した日系人のひとりとしてよく知られています。また、男性だけでなく女性も従軍しており、そのなかには、先に挙げた上村さんの母親であるバーバラ・所方(し…
日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その1
2010年5月3日 • 郷 崇倫
はじめに 退役軍人との出会い JAリビングレガシーのスタッフになって1ケ月経ち、さらにオーラル・ヒストリーを使ってオレンジ郡の日系社会の研究に取り組み始めてから1年ほど経った時のことです。その頃の私は、日系史に魅力を感じ、研究活動においては順風満帆な日々を過ごしていました。もちろん、現在も横浜で順風満帆な生活を送っています。 JAリビングレガシーの一員となった私は、初めて、従軍経験のある日系人のリユニオン、日本で言うところの同窓会に参加しました。リトル東京のホテルニュ…
オレンジ郡は「海の向こうの日本」ーオレンジ郡の過去を振り返るー
2010年4月7日 • 郷 崇倫
地平線の果てまで続いている海岸線。まぶしい太陽の光。宝石のようにキラキラと輝く海の水。世界中から訪れる人々を魅了するテーマパーク。一日じゅう歩き回っても、飽きることのない大型ショッピング・モール。物語やドラマに出てくるような、大きくて綺麗な家。健康で文化的な生活を容易に営むことの出来る経済的な豊かさ。非の打ち所の全くない、一年を通した温暖な気候。 カリフォルニア州南部にある、オレンジ郡をひとことで表すのならば、「極楽」という言葉が最もふさわしいと思います。しかし、多くの人々…
第4回 風のように過ぎ去った1日目
2010年2月22日 • 郷 崇倫
ロン・パインの資料館から戻ると、キャリーさんは、私にジョッシュさんを紹介してくれました。彼は、私がマンザナーに来る数ヶ月前から、マンザナーでボランティアとして働いていました(この数日後に、彼はデス・ヴァレーにある国立公園に移り、そこでもボランティアとして活躍しました)。私は、彼から、ボランティアの仕事のひとつである、手紙などのデジタル化のやり方を教わりました。「デジタル化」と格好良く書きましたが、これは、収容された日系人が残した手書きのメモや手紙を、パソコンに打ち込むという…