ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/author/takamichi-go/

郷 崇倫

(ごう・たかみち)

@myvisittomanzanar

オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  


この執筆者によるストーリー

あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その2/3

2013年4月11日 • 郷 崇倫

その1 >>鉄血勤皇隊―沖縄諸島における戦争体験 沖縄に到着した翌日、わたしは沖縄タイムスの本社にて、沖縄タイムスの安里記者、当時少年兵だった安里祥徳さんと彼の親戚安里洋太郎さんから詳しいお話をうかがう機会を得たほか、彼と一緒にエンジェル島に送られた人々の連絡先をいただくことができました。 鉄血勤皇隊とは、さきの戦争時に、沖縄県内の旧制中学校や師範学校などに通っていた14~17歳の男子学生を中心に作られた組織です。未成年者を徴兵することはできなかったのですが、悪…

あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その1/3

2013年4月4日 • 郷 崇倫

オオタさん“だけ”の戦争体験オレンジ郡はタスティン(Tustin)市内に住むピーター・オオタ(Peter Ota)さんは、沖縄出身(現在の沖縄県うるま市)の日系一世を父に持つ、沖縄県系の日系二世です。彼は羅府で生まれ育ち、日米戦争が始まると彼は家族と共にコロラド州の収容施設に送られました。その後、ほかの二世の若者と同じく、彼は収容施設からアメリカ軍に入隊しました。陸軍の基礎訓練を経て、彼は情報部隊の一員となるべく、日本語の習得に励む毎日を過ごしました…

スピット・アンド・ポリッシュ―先人たちの歴史と向きあう

2013年2月18日 • 郷 崇倫

JAリビングレガシーでは昨年11月3日、「スピット・アンド・ポリッシュ」とよばれるイベントをおこないました。 「スピット・アンド・ポリッシュ」とは徹底的に磨き、徹底的に綺麗にすることを意味する言葉です。JAリビングレガシーは毎年、日米文化会館(JACCC)に隣接する戦死者の名前が刻まれた記念碑を綺麗にするイベントをおこなっています。そのイベントが「スピット・アンド・ポリッシュ」です。 このイベントの当日、JAリビングレガシーの執行部役員と参加者たちが朝の10時から正…

オレンジ郡の日系社会の歴史を将来へ―ジャーナリストのメアリー・アダムス‐ウラシマさん

2013年1月29日 • 郷 崇倫

ウラシマさんとの「出会い」先日、わたしはオレンジ郡で活躍されているフリー・ジャーナリストのメアリー・アダムス‐ウラシマさん(Mary Adams Urashima)に会いました。 彼女は現在、「ウインターズバーグ地区のブログ(英語名は“Historic Wintersburg”)」を通して、オレンジ郡南部の日系社会の歴史を将来に残す為の活動をされており、ブログを通してこの地域に活きる日系人についてのストーリーを紹介しています。 オレンジ郡の南…

リトル・トーキョー・レポーター 異色のコラボがもたらした映画作品

2012年11月30日 • 郷 崇倫

編注:ディスカバーニッケイは、個人や団体などの様々な意見を紹介しています。ここで紹介するエッセイは、作者の意見を反映したもので、ディスカバーニッケイまたは全米日系人博物館の意見を反映したものではありません。ディスカバーニッケイでは、コミュニティにある様々な見解を紹介するために、このようなエッセイも紹介しています。 今年9月におこなわれた『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会が成功したことは、わたしにとっても、大変うれしいことでした。この作品が幅広い人々から支持を得るこ…

よみがえった藤井整―『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会にて

2012年11月12日 • 郷 崇倫

3年越しの夢がついに叶う 加州外人土地法(排日土地法)を葬り、日系人の人権を確立させたことで知られる藤井整の生涯を描いた短編映画『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会が、今年9月14日、南加のパサデナ市にあるリミール・シアターにて行われました。この映画製作にあたり、暖かいご支援をくださった皆様、大変ありがとうございます。 エグゼクティブ・プロデューサーを務める藤田文子さん、生まれて初めてメガホンをとった陳監督、そして俳優のクリス・タシマさんや尾崎英二郎さんにとって、こ…

ニッケイ物語 1 — いただきます!ニッケイ食文化を味わう
わたしが「バイカルチュラル」にいたるまで:日系食文化をとおして学んだ「バイカルチュラル」の意味

2012年10月15日 • 郷 崇倫

「バイカルチュラル」な人間性は、どのようにして形成されるのでしょうか。日本社会では異文化理解の重要性が強調されると同時に、「バイカルチュラル」にたいする関心が高まりつつあります。 「バイカルチュラル」であるためには、文化や民族といった「つながり」と真剣に向きあい、それらをアイデンティティとして受けいれる能力が必要とされます。日本社会では、単一民族、単一文化という考え方が良くも悪くも社会に定着したことから、「バイカルチュラル」そのものに対するる理解が深まっているとはいえません…

ヴィジター・ノートからうかがい知るマンザナー

2012年9月3日 • 郷 崇倫

マンザナーでのインターンシップが終わってから7年、日本に生活の拠点を移した今でもわたしは定期的にマンザナーを訪れるようにしています。最後にわたしがマンザナーへ戻ったのは2年前のことですが、そのさいにマンザナー資料館にある「ヴィジター・ノート」に目を通す機会を得ました。 ヴィジター・ノートとは、来館者が自由にコメントを残すことができるノートのことで、日本の博物館ではあまり見かけませんが、アメリカの博物館では良く見かけます。来館者のコメントに目を通すことで、彼らが何を目的にやっ…

実現しなかった五輪出場―「スリー・イヤー・スイム・クラブ」と「コーチ」ソウイチ・サカモトの生涯に触れる

2012年5月29日 • 郷 崇倫

イースト・ウエスト・プレイヤーズ(East West Players)は羅府の小東京交番のすぐ近く、相磯街(Judge John Aiso Street)の120番地にある劇場です。これは、1976年まで羅府合同教会(Los Angeles Union Church)の礼拝堂として使われていた建物を改築したもので、これまでに多くのアジア系アメリカ人の歴史を題材とした作品が演じられてきました。 わたしがこの建物のことについて知ったきっかけは、いつもお世話になっている永松先生…

JACLの日本支部―「絆」をつくることが最大の課題

2012年3月29日 • 郷 崇倫

皆様は、JACLと言う日系アメリカ人の団体をご存知でしょうか?JACLは、1929年、アメリカ西海岸地域に住む二世の若者らによって、日系人の人権を「護る」ことを目的に設立された団体です。戦時中は、日系社会にたいしてアメリカ政府への全面的な協力をよびかけたため、日系社会に「亀裂」をつくったことは、今でもJACLの「汚点」とされていますが、1970年代から1980年代にかけて展開されたリドレス活動(戦時中の強制収容などにたいする賠償要求運動)では、JACLによって活動が成功した…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら