メアリー・スナダ

(Mary Sunada)

メアリー・スナダ氏は夫のジョンと結婚して40年になります。2人には、ジェームズとデイビッドという2人の息子がいます。彼女は元小学校教員で、ロサンゼルス統一学区の小学校に36年勤めました。現在は、オレンジ郡仏教会、全米日系人博物館、ゴー・フォー・ブローク全米教育センターの会員です。好きなことは、釣りやダンス、そして昔からの友人たちや新しい仲間と旅行をすることです。

(2020年9月 更新)

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Bringing Dad Home

Returning home in October 2016 from Japan reminded me of how much my dad, Yoneto Nakata, loved me. Even though his life was cut short, he had accomplished so much.  My dad was a World War II veteran of the U.S. Army.  He volunteered for the Military Intelligence Service, a top-secret unit of the Japanese American soldiers fluent in the Japanese language, while his cousins were shipped to Jerome internment camp. After WW II, Dad met and married my mom, Yaeko Niikura, in Japan, where he worked as a civilian interpreter for Gen. Douglas MacArthur’s government. I was born late…

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Nikkei Chronicles #5—Nikkei-go: The Language of Family, Community, and Culture

Made in Japan

This familiar phrase, “made in Japan” (Nihon-sei) reminds me of my mother, Yaeko. She was born in Gunma, Japan, on March 7, 1927. Her parents, Matsuji and Kichi Niikura, always had old fashioned Japanese values. Yaeko was their only daughter among their three sons, Hiroshi, Katsumi, and Kazuhiko. She loved sewing and designing. Her dream was to become a fashion designer, however her parents had other ideas in mind. They wanted their daughter to marry and to have a family of her own. Everything changed when World War II broke out between Japan and U.S.A. on December 7, 1941. Yaeko…

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Nikkei Chronicles #4—Nikkei Family: Memories, Traditions, and Values

両親への手紙

愛するお父さんとお母さんへ ヤエコ & ヨネト・ナカタさん、娘のメアリーです。この手紙を書くまで長い時間がかかってしまったこと、申し訳なく思っています。仕事を持ち、結婚し、家庭を築く中、とても忙しくしていました。私の心からの感謝の気持ちをどのようにお二人に伝えるべきか、考えあぐねていました。そしてお父さんとお母さんが第二次世界大戦後に味わった苦しみを、私は理解していませんでした。 1948年の元日、私の日本の家族に最大の幸せが訪れようとしていました。私は午前1時に長女として生まれ、メアリーと名付けられました。しかし、アメリカで始まるはずだった新たな生活は1948年5月28日、悲劇と共に閉ざされることとなりました。 父の訃報が届いた時、日本で私の世話をしてくれていたのは祖父母でした。父はまだ29歳。母は21歳で未亡人になりました。当時まだ6か月だった私に父の記憶はありません。父が第二次世界大戦に従軍したアメリカ陸軍情報部(MIS)の軍人だったことは、私がもう少し大きくなってから母が教えてくれました。米国市民だった父には、アーカンソー州ジェローム強制収容所に収容されていた従兄妹がおり、日本にも大勢の親戚がいるということでした。 どちらの国に忠誠を誓うか、決断を下すのは難しい選択だったと思いますが、父はアメリカ人としての任務に就きました。ミネソタ州フォートスネリング…

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Nikkei Chronicles #3—Nikkei Names: Taro, John, Juan, João?

選ばれた名前

メアリー・ミエコ・スナダとは誰でしょう?それは、私の出生証明書にさかのぼります。1948年1月1日午前1時、東京都台東区浅草田中町1-4に女の赤ちゃんが産声を上げ、メアリー・ミエコ・ナカタと名付けられました。両親は、カリフォルニア州サンガー出身のヨネト・ナカタと群馬県出身のヤエコ・ニイクラです。 父ヨネトは、中田家の最後の1人でした。父に兄弟はありませんでした。父の母は出産後病気になり、家族は日本に帰国しました。両親の死後、父は米国に戻り、1941年、米国陸軍に徴兵され、陸軍情報部に志願しました。1946年1月19日、父は軍を名誉除隊し、その後、母ヤエコと結婚し、1948年に私が生まれました。1948年5月28日、父は突然亡くなり、私は父が残した唯一の忘れ形見となりました。 父は、家族で米国に暮らすことを望み、私にアメリカのファーストネームをつけることにしました。アメリカ社会にとけ込むため、父自身も「ジェームズ」というアメリカ名を名乗ることにしました。父はアメリカ映画が大好きで、お気に入りのサイレント映画女優、メアリー・ピックフォードの映画を見ることが好きでした。私のファーストネームは、メアリーに決まりました。 お正月生まれの私のミドルネームに、日本で1番盛大な祝日を反映させない手はありませんでした。父が選んだのは、ミエコでした。漢字では、「美エ子」です。残念ながら、父…

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