ディスカバー・ニッケイ

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須藤 達也

(すどう・たつや)


神田外語大学講師。1959 年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。

(2009年10月 更新)


この執筆者によるストーリー

二つの国の視点から
アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その1

2010年3月5日 • 須藤 達也

日系2世のアケミ・キクムラ=ヤノは、昨年(2008年)2月、ロサンゼルスのリトル・トウキョウにある Japanese American National Museum(全米日系人博物館)のCEO(最高経営責任者)に就任した。全米日系人博物館は、日系アメリカ人の体験を伝えるアメリカで初めての博物館で、1992年に開館し、1999 年には新館がオープンした。日系アメリカ人に関する資料の収集、展示会やイベントの開催、書籍やDVDの作成と販売、ウェブサイトの運営などを行い、日系人の…

二つの国の視点から
ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その2

2010年2月26日 • 須藤 達也

その1>>次は、「線を引く」だが、その前にこの詩集の表紙について説明しておきたい。表紙に、ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所が描かれている。ハートマウンテンは中央が瘤のように膨れ上がっている山なので、一目見るとすぐにわかる。 イナダが収容されていたのはアーカンソー州のローワー収容所とコロラド州のアマチ収容所なので、この表紙には本人の体験とは違う特別な意味が込められている。 ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所は、徴兵を拒否した男たちがいたことで知られる。…

二つの国の視点から
ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その1

2010年2月19日 • 須藤 達也

1970年。日本で万博が開かれた年だが、この年を基準にアメリカのアジア系・日系文学をとらえてみたい。 この年、中国系アメリカ人作家のジェフリー・ポール・チャンが日系人作家、ジョン・オカダの『No-No Boy(ノー・ノー・ボーイ)』という本をサンフランシスコの日本町の本屋で見つけた。ノー・ノー・ボーイとは、戦時中、アメリカに対して忠誠を誓わなかった日本人及び日系人のことである。日系社会はアメリカへの同化意識が強かったため、1957年に出版されてから、この本はずっと日系社会…

二つの国の視点から
ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける - その2

2010年2月12日 • 須藤 達也

>>その1第2次大戦とアメリカ国内の人種差別歴史を正そうというタカキの視点は、アメリカ国内のことだけでなく、第2次世界大戦にも強く表れている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』と『ダブル・ヴィクトリー』がそれに当たる。 原爆を投下することで、戦争を早期に終結させ、本土決戦になった場合に予想されるアメリカ兵の死者数50万人の命を救った、とアメリカ人が一般的に信じていることがいかに間違っているかを、タカキは歴史上の事実から解明していく。 では、なぜトルーマンは原爆を投…

二つの国の視点から
ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける - その1

2010年2月5日 • 須藤 達也

今年の5月末、日系3世のロナルド・タカキ教授が自殺したというニュースを目にした。エッとわが目を疑った。 今から10年前の1999年4月29日、タカキがつとめていたカリフォルニア大学バークレー校で、twLF(third world Liberation Front:第三世界解放前線)の学生らが構内でハンガーストライキを行い、5日後に6人が逮捕された。同校では、1990年代に入って、民族研究学部の予算と教員が削減され、授業数も以前に比べて少なくなった。それが事件の発端である。…

二つの国の視点から
スティーブン・オカザキ~太平洋の真ん中に立つ映画監督-その2

2010年1月27日 • 須藤 達也

>>その1 『ヒロシマ ナガサキ』でもう一人強く印象に残ったのは、谷口稜輝(たにぐち・すみてる)さんだった。証言している最中、突然服を脱いで自分の傷ついた体をカメラの前にさらし始める。谷口さんは16歳のとき、被爆で背中全体が焼けただれ、1年9ヶ月をうつ伏せで過ごした。そのため胸が床ずれをおこして肋骨の部分が浮かび上がり、茶色に変色している。オカザキによれば、谷口さんの突然の行動は全く予定していなかったことだったという。 谷口さんに限らず、オカザキの前で被爆者たちは非常…

二つの国の視点から
スティーブン・オカザキ~太平洋の真ん中に立つ映画監督-その1

2010年1月20日 • 須藤 達也

日系3世のスティーブン・オカザキ(1952~)にとって「ヒロシマ」とは何なのだろうか。2年前の 2007年、彼はヒロシマの被爆者や原爆投下に関わったアメリカの軍人らにインタビューしたドキュメンタリー『ヒロシマ ナガサキ』(原題はWhite Light/Black Rain)を制作した。この年の8月6日にアメリカのケーブルテレビで放映され、日本でも上映された。昨秋、エミー賞を獲得している。 風化している「ヒロシマ」の現状を描きたい オカザキのヒロシマへの関心は、20代…

二つの国の視点から
宮武東洋~収容所を記録した日系1世の写真家~

2010年1月2日 • 須藤 達也

収容所にカメラを持ち込み撮影 2009年4月11日から5月22日まで、東京都写真美術館で、すずきじゅんいち監督のドキュメンタリー映画「東洋宮武が覗いた時代」が上映された。 宮武東洋こと宮武東洋男(みやたけ・とよお)は1895年に香川県で生れ、13歳の時に父の呼び寄せで渡米した。1923年にロサンゼルスのリトル東京で東洋写真館を開設し、写真家としての道を歩みはじめた。戦前、ロサンゼルスオリンピックの報道写真を撮ったり、ダンサーの伊藤道雄を撮るなど、日米開戦前にすでに写真家と…

二つの国の視点から
フィリップ・カン・ゴタンダ~人間の絆を描く劇作家ーその4

2009年12月7日 • 須藤 達也

>>その3 今回のコラムで私が取り上げたゴタンダの戯曲は、すべて『Fish Head Soup and Other Plays』と『No More Cherry Blossoms(桜の花はもういらない)』という2冊の戯曲集に収められている。後者には、「Sisters Masumoto」や「Natalie Wood is dead」を含めて4つの戯曲が収録されているが、どれも女性が主人公である。桜は美しさの象徴でもあるが、女性は従順であればよいという東洋の伝統世界を連想させる…

二つの国の視点から
フィリップ・カン・ゴタンダ~人間の絆を描く劇作家ーその3

2009年11月30日 • 須藤 達也

>>その2 家族関係から民族問題まで、縦横に広がる作品世界 日系1世から3世まで描くゴタンダの戯曲の世界は、年代でいうと、1910年代から現在までをカバーしている。特に年代が特定できない作品もあるが、時代背景と戯曲との組み合わせは以下のようになる。 1910年代 Ballad of Yachiyo1920年代 A Song for Nisei Fisherman1940年代 Manzanar: An American Story, Sisters Matsumoto1950…

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