昔は、清涼飲料を瓶で飲んでいた。使い捨てプラスチックボトルが普及する前、空瓶を木箱に詰めて、店に返し、また、飲み物を買ったものだ。おじいちゃんはいつも緑色の小瓶の「ガラナ」を買って冷蔵庫に入れ、孫たちが来るのを待っていた。栓抜きで瓶の蓋を開けたときのガスの音を聞くと、私は、今でも、昔のキッチンを思い出す。
そこには、まだ子供だった私と頼りがいのあるおじいちゃんがいる。ポルトガル語がよく話せなかったおじいちゃんだったけれども、私に愛情をたっぷり注いでくれているのが分かった。
おじいちゃんは独り住まいだった。部屋は薄暗く、ちょっと古くて、片付けているのか、いないのか、おばあちゃんが何年も前に亡くなったのにその頃と変わっていなかった。私はおばあちゃんを知らないけれど、おばあちゃんのいた時代にタイムスリップしたようだった。
父とおじいちゃんの話によると、おばあちゃんは、私が生まれて何か月かして亡くなった。亡くなる直前に、私を抱いてあやしたと、おばあちゃんはうわごとで言ったそうだ。これはおじいちゃんの最も悲しい記憶として残り、おじいちゃんは、私がおばあちゃんの生まれ変わりだと信じ込んでしまった。そのため、私はおじいちゃんのお気に入りの孫娘になったのだ。
おじいちゃんがどの宗教を信仰していたかは分からないが、私は長年こう考えてきた。「おばあちゃんが亡くなった時には、私はもう生まれ…