嶋 洋文

(しま・ようぶん)

嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ち、その後、東京の海運会社に勤めた。彼の祖父母と3人の息子たちは、1907年ごろから順次カナダに移住した。しかし、1930年代までに、カナダ残留を選んだ一人の息子を除き、順次日本へ帰国をした。

2007年に定年を迎えた頃、伯父の正一がバンクーバー朝日の選手だったことを知り、それをきっかけにバンクーバー朝日の研究調査を開始した。現在は、ブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂の依頼に基づき、バンクーバー朝日の選手家族及び関係者の協力を得ながら、殿堂メダルを渡されていない選手や家族を探すボランティア活動を続けている。

(2018年10月 更新)

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Nikkei Chronicles #9—More Than a Game: Nikkei Sports

初代バンクーバー朝日の児玉選手と田端選手の家族の追加調査 ー その1

カナダの伝説的野球チーム、バンクーバー朝日は、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にBC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、1941年に戦争が勃発しチームが解散してから既に60数年たっていたため、選手またはその家族と連絡が取れず、殿堂記念メダルの多くを引き渡すことができないままでいた。 2015年、バンクーバー朝日の最初の選手だった嶋正一を叔父に持つ私は、殿堂入り記念メダルの多くが未渡しの状態であると知り、初期バンクーバー朝日の松宮外次郎会長の孫で彦根在住の松宮哲とともに、当時まだメダルを受け取っていなかった約26名の選手・家族の調査を始めた。 その後、日本側では後藤紀夫(「バンクーバー朝日物語」の著者)、カナダ側では新朝日チーム1発起人の安藤恵美子など、多くの関係者の協力を得、また日系メディア「The Bulletin」 に本件が記事として取り上げられた事もあり、多数の選手家族と連絡を取ることができた。その結果、現在のところ、未渡しのメダルはあと6個にまで至っている。 消息不明の6選手家族の他に、Kodama及びTabataという初代のバンクーバー朝日選手についても私たちは調べていた。嶋正一のチームメイトでもあったこの2名の選手は、姓は知られていたものの、ファーストネームが不明だったため、殿堂入り登録されていなかった。彼らにも殿堂メダルを引き渡せたらと、私たちは両…

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The Vancouver Asahi: The Search for Hall of Fame Medalists' Families

バンクーバー朝日:知られざる殿堂メダリスト家族の捜索

私、嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ちました。大学卒業後に東京の国際海運会社に勤めることとなり、サラリーマン人生のほとんどを東京で暮らしてきました。そして、今から約10年前に定年を迎えたのを機に、家族の歴史と足跡を辿りはじめました。 1907年に私の祖父は日本からバンクーバーへ移り住みました。その数年後に、祖父は日本に残していた家族全員をカナダへ呼び寄せました。長男の正一を含む3人息子がカナダへ渡航したのはこの時です。その後、私の父フレッド(Fred)義雄は1914年にバンクーバーで生まれ、育ちました。 私は、伯父の正一が、伝説の野球チーム、バンクーバー朝日の初代選手の一人であったことを偶々知りました。それをきっかけに、様々な資料を読みあさり、ブリティッシュコロンビア州(BC州)の歴史についても徐々に知ることとなりました。その後、バンクーバー朝日の元選手やその家族らを探し始め、約30名弱と連絡を取ることができました。 戦後の日本で生まれ育った私には、伯父がバンクーバー朝日の選手であったことを知るすべは全くありませんでした。とりわけ、1930年代末までに嶋家のほぼ全員が、日本へ帰国をしていたからです。  伯父の正一が日本で亡くなった後に、1916年のバンクーバー朝日の選手集合写真が見つかりました。しかし、その写真は、私の従兄弟、嶋英洋が、今から10年ほど前にバンクーバーを訪問し…

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