キタハラ 高野 聡美

(きたはら・たかの・さとみ)

現在は、リオデジャネイロ州立大学文学部准教授。日本語学科主任、日伯現代学術文化交流プログラムコーディネーターを務める。東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒、筑波大学大学院修士課程地域研究研究科ラテンアメリカコース修了、日本経団連石坂泰三記念財団海外派遣奨学生、ブラジリア大学大学院社会学博士課程修了。社会学博士。リオデジャネイロ州立大学日本語学科創立メンバー。浜松市立高校インターナショナルクラス設立メンバー。国際交流基金日本語教育フェロー。在伯21年。

(2012年11月 更新)

identity en ja es pt

Nikkei Chronicles #3—Nikkei Names: Taro, John, Juan, João?

ブラジルで日系名を持つこと

私は15年以上前から大学で日本語や日本文化を教えており、今では大概のブラジル人学生がほとんどの日本人の名前には意味があるということを知っている。毎度学期の初めに自分の名前を漢字で、“聡美“ と書き、聡は聡明 sabedoria(知性)、 美は beleza(美貌)という意味があり、父親の重すぎる期待に長年応えていると説明するのも慣れた。

ピアーダにされる名前

ブラジル人は冗談(ピアーダ)がとっても好きなため、とっても美しい人が下ネタオヤジギャグを連発することも稀ではない。日本人の名前も例に漏れず、格好のネタになる。

例えばクミコさん、クニオさん、クボタさんなど、かなり悲惨である。いきなりで恐縮だが、「く」はポルトガル語では肛門を意味するためである。また加賀美さんは、日本語は美しい姓なのに、ポルトガル語で「カガール」は脱糞するという動詞であり、さらに、「み」は代名詞の「私に」に聞こえ、総じて「私に脱糞してくれ」という実に可哀想なことになる。

余談にはなるが、昔は日本国大使のことを周囲は閣下という敬称で呼んでいたという。スペイン語で「カッカ」は大便の意味であるから、なんとも皮肉なことに失笑を買っていたと聞く。余談ついでに、ブラジル経済ミッションなどで必ず話題になるのは、千代田区という名前である。「千代田区」が、ブラジル人には「チウ(叔父) ダ(出す・出せ) ク(肛門)」つまり、オジサンが肛門を出すというポルトガル語に聞こえてしまうのである。霞が関で日本の将来を背負い日々激務に身を置かれている方々には大変に申し訳ないけれど、東京都霞が関だけで、千代田区を抜いた方が無難だと思います。

移住者の工夫

そういうわけで、歴史的に移住者も命名に工夫を凝らしてきた。例えば、義理の母は日本名は正子だが、6才で移住した際、登記所でMassako と記入するように書記官にアドヴァイスされて、ポルトガル語ではssとしている。ポルトガル語では母音の間のさは濁るため、マザコさんになってしまうからというブラジル人職員の機転である。

また移住者たちも自分たちで工夫をした。日系二世で、現在60代以上の人にはジョルジさん、マリオさんという名前が多い。譲二、真理雄……と漢字表記が出来る two in one の名前だからである。同様の理由から女子はまりえ、まりあさんも多かった。

優子さん、洋子さんは世代、国籍を問わず、発音しやすく人気ではあるが、~子さんはラテンアメリカではマルコなどCOで終わる名前は男性のため移住者娘達はいささか苦労したようである。

さて日本人移住者が子や孫のため知恵を絞り、上記の工夫を施したのは昔のことで、現在はエンヒッケ敏夫とかレオナルド慶のように、日本名をミドルネームや複合名称のように使う人が大部分だ。ところで、使用者にオプションが広がると家族や親族間でブラジル名で呼ぶか、日本名で呼ぶかは、ケースバイケースで、そこに人間関係やアイデンティティ、心情が絡み、上手にコードスイッチが行われている。ブラジル人はわざわざ日本名の方を呼びたがったりもする。それだけでも言語学の論文が一本書けそうである。

グローバル時代の日本名

私の元学生に、日系でもないのに日本名を持つ子、また娘に日本名をつけた人がいる。一人はヨコハマちゃんといい、父親が音がかわいらしいという理由から、つけられたそうです。もう一人は、生まれた娘にアユミとつけたが、ズバリ浜崎あゆみのファンだったからという理由でした。どちらも気に入っているらしく、結構なことだと思う。

なるほど、日本語も日本文化と同様グローバル化しているわけで、日本人だから日本人名をつけるとは限らない時代である。私も過去19年で二回命名の機会があった。最初は長男誕生の際、二回目は日本語学科のマルチメディアラボの呼称である。

どちらも、心がけたのは、1. 短く、2. 良い意味があり、そして3. ブラジル人のピアーダにならないことである。息子はレオナルド慶とした。当時国民的人気サッカープレーヤーの名前と、慶(けい)という日本名にした。ラボは芭蕉にしたらという、知日ブラジル人博士のアドヴァイスをスルーして、リオデジャネイロにちなみ、ミナト(美南都)とした。どちらも今でも大変気に入ってもらっているようで、嬉しい限りである。

我が家の愛犬は息子が4年前に、WILLとつけた。WILLは日本名でもなく、日本人にもブラジル人にも実はうまく発音できない。私たちは日本人っぽく「ウィルー」と呼び、ブラジル人たちは「ヴィル」と呼んでいる。まあ、なんと呼ばれてもゴールデンレトリバーはご機嫌に尾をふり走ってきて応えるので、何の支障もないけれど。

 

* * * * *

このエッセイは、「ニッケイ人の名前」シリーズの編集委員によるお気に入り作品に選ばれました。こちらが、編集委員のコメントです。

長島幸和さんからのコメント

名前というのものは、たいていの場合、その人に一生涯付いて回る。その意味で、名前がその人の人格形成に及ぼす影響というものは確かにある。親が期待を込めて付けた名前である。

そうした観点から、キタハラ高野聡美さんの文章を読ませてもらった。とにかく、やはり他の国に住む者として、ブラジルの日系の人たちのご苦労はほとんど知らないため興味をそそられたのだが、まずは、自分の大切な名前がピアーダ(冗談)の対象にされる人たちに同情を禁じえない。「クミコ」は恐らく「久美子」ではないだろうか。親がいつまでも美しい子であってほしいと付けた名前である。それが、肛門に関する冗談の対象になったのではたまらない。聡美さんの言う通り、まさに「悲惨」である。

移住者の工夫として、日本名とともにブラジルの名前を付けている点に関して、「ブラジル名で呼ぶか、日本名で呼ぶかは、ケースバイケースで、そこに人間関係やアイデンティティ、心情がからみ、上手にコードスイッチが行われている」というところは実に興味深い。どのような人間関係の場合にどうなるのか、どのような心情の場合どうなるのか。「それだけでも言語学の論文が一本書けそうだ」という指摘は、確かにうなづける。

米国の日系人同士でもやはり、日本名で呼んだり、アメリカ名で呼んだりするが、どのような場合に日本名で呼び、どのような場合にアメリカ名で呼ぶのか。その時の心境というものに左右されるところがあることは間違いないだろうが、それだけでなく、その心境が、歴史的、あるいは社会的な要素に左右されていることは容易に想像がつく。米国の日系人の場合、戦時強制収容の歴史があるためである。幼少時からアメリカ名で呼ぶことで、アメリカ人としての人間形成が促されるかもしれない。逆に、日本名を通そうとする場合には、日本文化を背負ったものとしての自覚を促されるかもしれない。

それと、年齢による名前の呼び方の傾向というものもあるだろう。米国の三世や四世はもうほとんどアメリカ名である。その意味するところを考えてみるのも面白い。日本名がない人は、なぜ親が日本名を付けなかったのかということもある。

名前について考えていくと、実にいろいろと興味のある視点が出てくる。論文は一本だけでなく、いくつも書けそうである。

 

続きを読む

food en ja es pt

Nikkei Chronicles #1—ITADAKIMASU! A Taste of Nikkei Culture

焼き鯖弁当としめ鯖寿司

17歳になるブラジル生まれの息子は現在フロリダ州にある高校に通いながら、競技ゴルフに明け暮れている。

そんな息子も、来年ハイスクール卒業を迎えるため、この夏は進学する大学を決める天王山ということで、北米各地を旅し、ゴルフのジュニアトーナメントを渡り歩いている。ブラジルにいる時代にも10歳ごろからトーナメントに参加していたために、ブラジルの各地や、南米各地を旅行していた。

ゴルフトーナメントに欠かせないものに、宿と移動(車)の手配、そして食事の確保がある。近年車と宿はかなり便利になり、ネット上で予約した瞬間から、どこの街へ降り立っても、大体どういうものに出会うか予想がつく。Googleで事前に写真まで見られるし、期待と現実は大してかけ離れていない。そのぶん、デ・ジャ・ビュの連続で、旅の前のワクワク感もずいぶんと減ったような気がする。つまるところ、どこへ行っても大体同じだからである。

そこへいくと、食事はまったく別物であり、特別な存在である。

運動選手への栄養面だけでなく、食事自体が楽しみをもたらし、食事を通じた会話や出会いをも演出してくれ、そこから精神的なもの、社会的なもの、文化的なものを感じ、学ぶことができる。あまりにもフランチャイズ化され、パターン化された、レンタルカーやホテルとの出会いにはまったくないものである。単調ではあるが、重いクラブを持っての移動、連日の試合に疲れきった旅の中での大きなサブイベントのひとつになる。

私たち家族は、ブラジル日系二世の夫、ブラジル生まれで日伯両国籍を持つ息子と日本人の筆者で構成されているが、いつの日からか、トーナメント旅行中の食事は、ほぼ必ず和食(日系社会では日本食という言葉を使うが)ということが決まりごとになっていった。大体トーナメント会場を基点に、GPSに「ジャパニーズレストラン」とか「寿司」とか息子が打ち込む。北米に住むブラジル人も親切にしてくれるが、毎回ブラジル風のバーベキューに行くわけにもいかない。

トーナメントではずいぶんと各地を移動した。まず、二年半前から息子の住むフロリダ州を拠点に、ジョージア、サウスカロライナ、バージニア、テキサス、テネシー、イリノイ、ミネソタ、オハイオ、カリフォルニア、ネヴァタ、コロラド、デラウエア州と各地を回った。

日系コミュニティーのほとんどいない州では、食事では韓国人のお世話になることが多い。北米に移住した韓国人たちが、和食レストランの看板を出していることが多いからである。これはブラジルにはないことであり興味深い。韓国人たちは、東洋人のジュニアーゴルファーということで、息子に特に親切にしてくれる。韓国人の女将さんがとても親切に、息子の注文を聞いてくれ、サービスもしてくれる。

もちろん、東京恵比寿から20年以上前に移住してきたという家族経営のレストランの人々と出会うこともある。「そうか、筆者がちょうどブラジルに渡ったころに、この家族もみなフロリダに来たのだな」と思うと、妙な親近感も沸き、話もはずむ。レストラン経営者の出身地を聞きながら、その味の傾向を話したりもする。まあ、味や値段の事を話すときには、私たちも気を遣い、家族内でポルトガル語で会話をすることにはしているが。

テネシー州では、夫と息子は、日本人のレストランで板前さんに、納豆まきなどの和食メニューを作ってもらったという。

日本人の家族に見えるのか、どこへ行っても、いろいろ質問される。いやブラジル人だというと、またいろいろと話を聞かれ、しまいには、彼らの移住の際のエピソードまで聞かされることになる。また同じ場所に行くと、そばや饅頭などのおみやげや、おむすびのおまけまでたくさん持たせてくれることもあった。こうして私たち親子は全米各地で、和食を通じて、人とのつながりができ、サポートしてくれる場所を発掘していくことになった。

さて、今年の夏の前半戦はカリフォルニア州サンディエゴ市とネバダ州ラスヴェガスに滞在した。

サンディエゴ市には、日本の大きなスーパーが二件もあり、毎日のように惣菜や食材を買い求め、宿で自分たちで調理をした。

ラスベガスには、日本食材を売るお店が何件かあり、その場でほか弁よろしくお弁当を作ってくれるので、本当に助かった。ちなみにこのお店を教えてくれたのは、息子の友達のメキシコ人のお母さんであり、お礼に好物だという雪見大福をプレゼントした。

この二つの街でのトーナメントでは、息子は試合中に、バーディーが出るたびに、おにぎりをほおばっていた。

ところで、この二つの町で息子のはまった食材に、鯖がある。焼き鯖弁当として、そしてしめ鯖寿司として大分堪能したようだ。

おもしろいことに、この焼き鯖弁当としめ鯖は同じように日系コミュニティーを抱えるブラジルではお目にかかれないものである。

その証拠に、私たちは、鯖-mackerelという言葉はアメリカですぐ覚えたが、ポルトガル語ではなんというのかいまだにわからない。ブラジルだと、焼き鯖の定位置には、チリ産のシャケがおかれているのである。息子はブラジル時代には、生まれてから何千尾のシャケをたいらげてきたのだたろうか。こいつの前世は熊だったのではないかと思うくらいの無類のサーモン好きであるが、カリフォルニアでは、まったくもってこの鯖にはまった。チリ産サーモンと米国で食べる鯖の共通点は、油ののった濃厚な味わいだといえる。

旅行の最中、突如息子は言い出した。

「やっぱり僕カリフォルニアの大学に入るよ。」

理由はなんと焼き鯖弁当やしめ鯖寿司がスーパーで簡単に手に入り、食べられる場所にあることが一番だと。

親としては、よいエンジニアリングのコースのある大学、よいゴルフプログラムのある大学、住環境のいいところ、一年中ゴルフのできる気候のよいところ、将来の就職、何かあったらすぐ駆けつけられる場所などなど、いろいろ条件を探していたのに、決め手はなんと。。。鯖かよ?

息子はポルトガル語、日本語、英語、スペイン語をまったく不自由なく使いこなし、ラテン的な人懐く明るい性格で、世界各国からの友人が多い。だから、本来ゴルフクラブを片手に、どこでも暮らしていける。

しかし、やはり彼にとって食文化は譲れないものらしい。小さいころから日本の祖父母の家で食べていた焼き海苔の香り、納豆ご飯、新鮮な刺身、揚げたて熱々のえび天、ブラジルの親戚の家でのニッポンの味満載のフェスタ、日本からのお客さんが持ってきてくれる鰻の蒲焼の味、リオの日系協会でブラジルのシュラスコパーティーの際にも出てくる、焼き鳥やおにぎり、巻き寿司やうどんの味は、コスモポリタンな彼の食文化の原点になっていたのである。

息子は笑いながら言う、「フロリダのハイスクールでは、こういう素朴な味が食べられず、だいぶ苦労したよ」と。「焼き鯖弁当としめ鯖、そしてラウンド中にも旨いシャケおにぎりの食べられるカリフォルニアの大学に行って、卒業したら、そうだな、ジャパンツアーか、アジアツアーに行きたいな、食事がおいしいから。」そして、自分がとても自然体でいられるんだと。

鯖弁当としめ鯖が自分の将来を決定づけたといっても過言ではない。胃袋で将来を決めることになるなんて-と思うが、実際のところ、人生の決断なんて案外そんなものかもれない。食文化は侮れない。好きなものは好きなのである。息子はむしろ食事を原点に、自分にとって自然で、快適な空間を探りあてたのである。常日頃性格やものの考え方が非常に西洋的、ブラジル的な息子であるが、食文化は深く日本ルーツのものに根付いていることを痛感させられた北米での夏であった。

[inline:Family photo.jpg]

続きを読む