*この話は、シカゴ在住の増岡幸子さんの広島での被爆体験のスピーチを書き下ろしたもので、先週のストーリーからの続きです。>>その2何度か収容所にも行きましたけど、その惨状は目を覆うばかりでした。手当てなど行き届く筈もなく、焼けただれた所へ蠅が止まり卵を産みつけると翌日にはそれが蛆となり日を経たずして体中が蛆だらけになってしまいます。が、自分ではどうする事も出来ず、そういう事が原因で亡くなられた方も多いと思います。
皆さん水を欲しがられるのですが、火傷には水を飲むと駄目だとか。どんなに喉が渇いても水の飲めない苦しさは如何ばかりだったでしょう。「水を下さい。水を下さい」と悲痛な叫び声を上げられた方々の、切ないその叫び声が今も耳に残っております。
ただ、もう寿命が尽きると思われる方には、水をあげておられました。「ああおいしい」と言いながら飲まれるのですよね。ところが本当に飲まれて間もなく息を引き取られるのです。
ひどい火傷を負いながら、医療設備なども無く、ドクター等いません。手当てを受ける事も出来ず、沢山の人々が無くなってゆかれました。最もある一部では治療が行われていたと、後で聞きましたけど。
親戚の女の方のことですが、自力でやっと家にたどり着き、その後は動く事も出来ずに寝たきりでしたが、お母さんが毎日体の蛆をピンセットで一匹ずつ取り除いておられました。また、火傷のお薬なども付けておられ…