ディスカバー・ニッケイ

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デニス・リード

(Dennis Reed)


デニス・リードはキュレーター、収集家、芸術家そして作家である。戦時中に日系人が強制収容されたことにより、大部分が失われた日系人写真家の作品を再発見したことで知られる。これまでにホイットニー美術館、ハンティントンライブラリー、オークランド博物館、コーコラン美術館、中国歴史協会(サンフランシスコ)、カリフォルニア写真博物館、全米日系人博物館など、大小合わせて50以上の展覧会を企画した。代表的な著書に『Pictorialism in California, 1900-1940』(ゲッティ美術館およびハンティントンライブラリー)、『Japanese Photography in America, 1920-1940』(日米文化会館)『Making Waves: Japanese American Photography, 1920-1940』(全米日系人博物館)など。ロサンゼルス・バレー・カレッジの芸術学部の元学部長。ロサンゼルス・カウンティー美術館(LACMA)の写真芸術評議会の元議長。

(2022年9月 更新)


この執筆者によるストーリー

2つの世界:松本若次の生涯と写真
第3回 若次のレガシー

2022年10月3日 • デニス・リード

その2を読む >> ルポルタージュか芸術か 若次は、個人のポートレート、パレードや文化行事などの記録写真のほか、結婚式、クラブでの式典、卒業式などの記念写真を数多く撮影した。また、かなりの数の広告写真も手掛け、軍隊の活動記録の撮影を依頼されることもあった。 若次の写真活動は多岐にわたる。例えば1929年には、全国大会で優勝した広島商業高校の野球部の凱旋を出迎える広島市民の様子を写真に収めた。1936年には、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム、広島平和記念資料館)で行わ…

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第2回 松本若次の写真

2022年9月26日 • デニス・リード

その1を読む >> 妻のテエが農業経営を管理してくれていたので、若次は自分の可能性を追求し、最初は通信教育で写真を学んだ。若次の家に伝えられている話によると、若次は写真をより深く写真を学ぶため、一時期サンディエゴに引っ越した。ロンドンとパリで写真を学んだ写真家の下津佐正志が、1919年にサンディエゴでスタジオを開き、その後に写真学校を開いていたので、若次は彼に師事した可能性がある1。パノラマ写真は下津佐が得意とする分野でもあり、若次はパノラマ写真の撮影方法を彼から学ん…

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第1回 若次の旅立ち

2022年9月19日 • デニス・リード

松本若次は日本からハワイへ、そしてカナダやアメリカ西海岸へと渡ってきた多くの若者たち(その多くが10代)と同じだった。1906年、17歳の時に初めてバンクーバーに降り立ち、その後、ほとんど面識のなかった父親をたずねて汽車でロサンゼルスに向かった。 1892年頃、若次の父若松と母ハルはハワイに移住することになり、幼かった若次は日本の親戚に預けられた。もともと若松は漁師を生業としていたが、自宅の隣で小さな畑も営んでいた。若松は、日本の新聞に掲載されていたハワイのパイナップ…

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