中西 輝夫
(なかにし・てるお)
中西輝夫氏は1944年に広島で生まれ、スペイン、米国、南米、サウジアラビアで勤務した日本の総合商社で35年間勤務した後、退職しました。輝夫氏は、カナダの家族のルーツに関する情報を求めて、2005年に初めてブリティッシュコロンビア州バンクーバーを訪れました。祖父の中西兼吉氏は1891年に広島からカナダに移住し、父の中西一氏は1908年にバンクーバーで生まれました。同じく1910年にバンクーバーで生まれた叔父のケン氏は、1933年にバンクーバー朝日球団の投手でした。カナダに残った祖父の兼吉氏を除き、残りの家族は1934年頃に日本に戻りました。
悲しいことに、父のハジメを含め、彼の家族の多くは 1945 年 8 月 6 日の爆撃で亡くなりました。叔父のケンも 1944 年に日本に徴兵されて中国で戦った際に負傷して亡くなりました。その結果、彼はカナダでの家族の生活についてほとんど知らずに育ちました。そのため、彼は献身的に粘り強くカナダでの家族のルーツをたどる必要性を感じました。テルオは他の国に移住した日本人の歴史に強い関心を持っており、現在は横浜の海外移住資料館でボランティアとして活動し、日本語、英語、スペイン語のスキルを活用しています。
2018年11月更新
この執筆者によるストーリー
私の祖父とカリブー金鉱
2018年11月7日 • 中西 輝夫
日本の広島で育った少年時代、祖父がカナダに住んでいると母から聞きました。それ以来、私はいつかカナダに行って祖父に会いたいという夢を抱いていました。しかし、1955年1月、私が10歳のとき、母はバンクーバーから祖父が亡くなったという手紙を受け取りました。私の夢は叶いませんでした。あの日から50年が経った。2005年に初めてカナダを訪れ、祖父の中西兼吉が、広島移民の最初のグループの一員として日本からカナダへ渡り、バンクーバー島のカンバーランドで炭鉱労働者として働いたが、炭鉱を離…