新舛 育雄

(しんます・いくお)

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)

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History of Seattle Nikkei Immigrants from The North American Times

第2回 シアトル日系移民の元祖

前回は1850年頃からの初期のシアトルの様子に関する記事についてお話ししたが、今回は1890年頃に日本人として初めてシアトルへ渡った、日本人元祖の記事についてお伝えしたい。

日本人ビジネスの元祖

1890年頃、日本人がシアトルに渡りいろいろな事業を開始した。これらの人達が、その後のシアトル日本人社会の基盤を作り上げていった。『北米年鑑』1928年版には、シアトル日本人諸事業営業の元祖として様々な事業を開始した人が紹介されている。その中に挙げられている森田万次郎と古屋政次郎が、『北米時事』紙面でもその偉大な功績について紹介されていた。


森田万次郎

1934年11月2日号に、森田万次郎が87歳で亡くなったとの訃報…

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History of Seattle Nikkei Immigrants from The North American Times

第1回 19世紀のシアトルと日系移民

『北米時事』は、シアトルで1902年から日米開戦まで発行されていた邦字新聞だ。ワシントン大学図書館でマイクロフィルム・アーカイブが保管されている。ワシントン大学東洋図書館司書のスコット・エドワード・ハリソン氏が2004年に同紙を調査研究し、現存する紙面がアーカイブされた。2019年6月から北米時事を前身とする『北米報知』とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門―祖父が生きたシアトル」を日英両言語で連載した筆者は、同アーカイブがウェブサイト上で閲覧できることを知り、オンラインで読み始めるようになった。

アーカイブは1917年12月から1920年3月、1934年7月から8月、同年11月から12月、1935年10月、193…

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Yoemon Shinmasu – My Grandfather’s Life in Seattle

最終回 與の再渡航と家族のその後

前回は、與右衛門死後のアキの奮闘と姉妹の再渡航についてお伝えした。今回は、長男、與(あたえ)の再渡航と家族のその後についてお話し、最終回としたい。


與の再渡航

與は、父親の與右衛門が死亡したため、1929年2月に母親のアキと日本へ帰国した。その後は蒲井で生活し、日本の学校へ通った。子供の頃に一旦は日本へ戻り小学校へも通っていたバイリンガルの與には、日本の学校生活も平気だった。帰国の翌年1930年4月に、本土にある柳井中学(現在の柳井高校)に入学した。柳井中学は山口県でも有数の文武両道の県立中学だった。與は、英語はやはり抜群の成績だった。国語や他の科目も平均以上だった。柳井中学では柔道部主将となり、県大会などで活躍した…

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第11回 アキの奮闘と姉妹の再渡航

前回は與右衛門の不慮の事故死とシアトルから蒲井への悲しみの帰国についてお伝えした。今回は妻のアキがその悲しみから立ち上がり、再度シアトルへ向かい、姉妹も再渡航したことをお話ししたい。

アキの理髪業の再開

與右衛門の死後、アキは空虚な悲しみの日々が続いた。アキは、このまま蒲井にいて田畑を耕していてもしかたないと考えはじめた。與右衛門が亡くなって2年の歳月が過ぎた頃、もう一度シアトルへ行き、一稼ぎしようと決断した。

アキは再起を期して、1931年1月の正月明けに、蒲井の大勢の人に見送られ単身でシアトルへ向かった。出発当日の朝、仏壇に参り、與右衛門に再びシアトルへ行くことを伝えた。與右衛門が喜んで背中を押してくれてい…

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Yoemon Shinmasu – My Grandfather’s Life in Seattle

第10回 無念の事故死と悲しみの帰国

前回は與右衛門を支えた日本人会と與右衛門がホテル開業を前にした日々の様子についてお伝えした。今回は、與右衛門の無念の事故死を遂げることをお話ししたい。

不慮の事故に遭遇

1928年12月2日、日曜日の朝。與右衛門は、自宅のニューセントラルホテル(地図右下)を出ていった。しばらく歩いてオクシデンタル街に購入したホテル(地図左)の見回りに行った。この日は翌日月曜日からのホテル開業を控え、準備しておかなくてはならないことがいくつかあった。與右衛門は、その頃には夜寝るのも遅く、少々疲れ気味だったが、ホテル開業という夢の実現が目の前に迫るうれしさで、その疲れを忘れてしまっていた。

與右衛門がホテルに着くと、新しい壁の塗装…

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