エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ

(Heriete Setsuko Shimabukuro Takeda)

現在61歳。生まれも育ちもサンパウロ市で、祖先は沖縄県人。結婚し2児の母。退職後、文章を書いて昔を思い出したり、視野を広げたりしている。

(2018年10月 更新)

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Nikkei Chronicles #7—Nikkei Roots: Digging into Our Cultural Heritage

世界を駆け巡りながら

「折り紙はコミュニケーションと表現の手段であり、世代を超え各国の人々を一つに結び付ける世界共通の言語でもある」

—カネガエ・マリ

トシは紙の鳥に乗ってブラジルに来た。

遠いブラジルのロンドリーナ市で生まれた孫娘のマリが日本を訪ねてきたとき、トシおばあちゃんは言葉ではなく、ほかの方法でこの小さな女の子とコミュニケーションをとった。トシはツルを折ったのだ。トシは、そのとき生まれた絆が、時と海を越えるとは思ってもみなかっただろう。

20年以上経ち、マリは芸術家になったが、おばあちゃんとのエピソードは覚えていなかった。しかし、培ってきた長い折り紙の経験を何かに役立てたいと思うようになった。折り紙を通して人と人をつなぐため、日本で折り紙の技術を極めようと決めた。「ツル」の里帰りだ。

遥々やってきた日本で、折紙界の至宝、河合豊彰と巡り会った。一年間、弟子として折り紙の微妙さや折り紙作家について学んだ。「折り紙作家は対象物を良く見て、その環境、特に自然などを観察し、その上で紙を使って表現しなければならないと学びました」。

ブラジルへ帰国後も、マリは何度か日本へ戻り、他の折り紙作家を訪ねた。以来、日本への行き来はずっと続いている。今でもブラジル人のグループを日本へ連れ、折り紙の世界を紹介している。「ツル」は決してじっとしていない。「いつも教わったり、教えたり、教わったり、私のストーリーは終ることなく続いています」

カネガエ・マリの作品を検索すると、彼女がブラジルに折り紙を広める重要な役割を果たしていることが分かる。カネガエ・マリの個展やグループ展は、ブラジルだけではなく、世界中で開催されている。ポルトガル語版折り紙本の著者や共著者でもあり、企業向けの講義やワークショップで折り紙を紹介したり、時々テレビ番組にも出演している。インターネットには彼女の情報が溢れている。

このように有名人になっても、折り紙教室の生徒たちと接することを大切にしながら、マリは制作活動を続けている。アトリエや日伯文化連盟で折り紙を教え、ほかの場所でもボランティアで授業を行っている彼女は、生徒たちに自分の技術をも超えるよう期待している。折り紙の奥深さを追求することを目的としており、根気良く折り続けることで、折り目一つひとつに結果が現れ、創り手も徐々に満たされる。

クラスの仲間の絆のおかげで、象徴的なグループ作品が出来上がった。マリがコーディネートする「GEO」という同窓生の折り紙研究グループはユニークな展示会を開催した。

「ブラジル日本移民」をテーマにした展示作品では、20世紀初頭の移民の日常生活を表現すると同時に、ブラジル社会の影響をも表現している。この作品はブラジル国内で数か所、さらには日本でも展示され、何千人もの人の目に触れた。作家によると、大勢の人が制作のプロセスに共感し、最終作品に興味を持ってくれたという。作品に表現された移民の生活は、人々の心を揺り動かした。ブラジルへ移民してきたある女性は、折り紙で作られたニワトリを見て当時の思い出がよみがえったと大笑いした。移民の事実を知らない人も感動した。車椅子の日本の高齢の女性は、祖国を離れて苦労した移民のことを知り、心を動かされた。

「折り紙カーニバル」は、2008年に行われたブラジル移民百周年の際に、同グループが式典に参加するために制作した大規模なグループ作品だ。ブラジルをテーマにしたこの作品は、何千ものピースを使ってカーニバルのサンバチームを忠実に表現している。その作品で取り上げられたサンバチームは、ブラジルの各地域を代表するそれぞれのグループを表していた。作品は10年かけて創られた。「それぞれのサンバチーム」ではなく、一つのサンバチームが幾つかのグループ(ポルトガル語で『ブロック』)に分かれていて、各グループは各地域を代表している。

これらの作品は人や世代や文化の出会いの物語のほんの一部である。ルーツを守りつつ、時の流れと場所に合わせていく物語だ。要するに、「おにぎりとファロファ1を一緒に食べること」と、マリは言う。

アーモンドのような眼を輝かせて、人間味豊かなマリは世界の人々との絆を深めながら「ツル」の新しい意味を発見していく。

「ツル」は日系だ。

マリは日系だ。祖先の文化を受け継ぎ、もう一つの文化に移り変わりながら生きていく。異なる価値観や習慣を持ちながら、折り紙作品にはその二つのことが調和している。「ここにも居るけれども、あっちにも居る」という感覚を良く伝えている。

*訳注: 「ファロファ」はキャッサバの粉を軽く炒めたもの。肉にかけたりごはんにかけたり、ブラジル人が好んで食べる。

 

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このエッセイは、シリーズ「ニッケイ・ルーツ:私たちの文化の足跡をたどる」の編集委員によるお気に入り作品に選ばれました。こちらが編集委員のコメントです。

セリア・サクライさんからのコメント

「植物の根」のほとんどは地中に埋まっていても、死んではいない。植物に生命を与える栄養素を取り入れる役割を持っています。目に見える部分は葉と花と実。これをもとにして、文化のことを推し量ることが出来ると思います。ルーツは死んでいない、逆に、よみがえって生命と彩りを与えます。「ニッケイ・ルーツ」に投稿された四つのエッセイはルーツの実の豊かさを表現しています。日本人のルーツは存在しながらも変っていき、新しくなっていくけれど、源からは離れない。日本人のブラジル移民を初めて手がけた水野龍さんの思い出、餅、日本の歌、折り紙を通して、それぞれの作品が日系人のルーツとのつながりを表現しています。

私のお気に入り作品はエリエテ・シマブクロ・タケダさんの「世界を駆け巡りながら」です。このエッセイはどのように日本の伝統的な折り紙がブラジルで新しく生き生きと成長していくかを見事に書いています。ブラジル人折り紙作家のカネガエ・マリさんは日本人のおばあちゃんに教わった折り紙で、ブラジル独特のテーマ「サンバチーム」を創りました。また、このエッセイはカネガエさんの道のりを振り返って、昔の物は新しい物と調和しながら、更に、新しい物を生み出していく様子を描いています。

 

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Nikkei Chronicles #6—Itadakimasu 2!: Another Taste of Nikkei Culture

Sopa de couve

Quando Geró foi contratada para cozinhar para a minha família não fazia idéia da revolução que iria  causar nas nossas vidas. Mineira, cozinheira de “mão cheia” (como ela mesma se apresentou), chegou com planos de agradar a todos com suas receitas maravilhosas. Deparou-se com minha mãe, que era quase despudorada quando o assunto era determinar  cardápios.

A situação merece um breve histórico.

Éramos nove, então. Pai, mãe, seis filhas e um ajudante bem forte. Mais do que uma família, formávamos uma equipe de trabalho de um pequeno negócio que havia evoluído de um minúsculo secos e molhados para um embrionário …

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Nikkei Chronicles #5—Nikkei-go: The Language of Family, Community, and Culture

ガイジン

学校の休暇中、私は友人のエミリアをサントスの祖母の家に招待しました。私と違いエミリアは日本語が話せるので、祖母とどんな話をするのか楽しみでした。

しかし、祖母と話し始めると、エミリアは私を呼んで「おばあちゃんの言っていることが分からない!」といきなり叫びました。

「えっ!?日本語を話すって言ってたでしょう?」

「えぇ、言ってたよ。でも、おばあちゃんの日本語は全然分からないよ!」

後で分かったのですが、おばあちゃんは標準語ではなく沖縄の方言「ウチナーグチ」で話していたのです。そのとき、私は日本語も知らなければ「ウチナーグチ」も知らないのだと改めて思い知らされました。

今まで「ガイジン(非日系人)」と「日本人」とを区別していたのですが、それからは「ナイチ(エミリアのように本州の人の子孫)」と「ウチナーンチュ(沖縄人)」を見分けなければならなくなりました。

私のストーリーはありふれた平凡な話です。私が生まれた頃、父方の祖父母はすでに他界していて、小さい頃はふたりとも「仏壇」の中に住んでいると思っていました。一方、母方の祖父母はサントスに暮らしていました。

両親は標準語の日本語を理解していましたが、夫婦間では沖縄方言、娘たちとはポルトガル語を話すといったように使い分けていました。計算するときは日本語、子供たちを叱るときはウチナーグチ、「スグラリンード!ヤナ・ワラバタ」。この言葉はよく耳にしていたので、意味は知っていました「こらぁ!困った子供らだ!」。姉たちは祖父母と暮らしたことがあり、沖縄方言を知っていましたが、私は6人姉妹の5番目なので覚えるチャンスがなく、ポルトガル語以外で言われたことはそのまま聞き流していました。

両親は私たちに、標準語も沖縄方言も教える気が全くありませんでした。私たちは日本語学校へ行かなかったし、家の中で日本語を話すよう言われたこともありませんでした。どうしてかと聞いたこともありません。聞いても両親は答えられないと分かっていたからです。

この思い切った母国語との絶縁は意図的でなかったと思います。両親は日本語を知っていれば人生を豊かにしてくれると思っていなかったでしょう。第二次世界大戦中とその後に日本語が禁止されたことが影響していると思います。言語は捨てざるを得なかったのでしょう。しかし、他の日本の伝統文化は普通に我が家に伝承されました。

父は多忙な生活の合い間に日本のレコードをかけて楽しんでいました。軍歌、民謡、演歌がお気に入りでした。1歳でブラジルに来た父は、詩や曲を聴きながら、記憶にない日本のことを思い浮かべていました。

そして、父が歌詞の意味を訳し始めると、私は「自分には関係ない」と、椅子からわざと滑り落ちて、テーブルに潜り、一目散にその部屋を離れました。

「日本語を話せなくてもいいや」と、長い間そう思ってきました。私の話し方に日本語のアクセントがなかったため、学校で冷やかされたことはありません。当時はこのような差別がまだありました。とにかく、私は「ガイジン」として居たかったのです。

しかし、日系人の間で日本人の顔をして日本語が分からないことは申し訳ないと思い、「ゴメンナサイ・ニホンゴ・ワカリマセン」と弁解しています。

私が日本語の大切さに気付いたのは法事のときでした。仏壇の前でお線香をあげて、祀ってあるご先祖様の写真を見上げると、初代と2代目はもう「ウヤフジ(ご先祖様)」だと気付きました。

次は私の写真が飾られる番だと思いました。

振り向くと、年齢順に続き、後ろの方の若者たちはお線香をあげるのが待ち切れなさそうでした。そのとき、私は「ポケモンGO」に熱中している若い世代に分かってもらいたいことがあることに気づきました。この儀式はただの儀式ではなく、私達家族の歴史でもあること。そして、その歴史の登場人物はこの世を去って行くので、次の世代に伝承するのが急がなくてはならないこと。

今は質問に答えてくれる人は居ないので、私は写真や書類や品物を頼りに、家族歴を調べることにしました。同時に、日本語を勉強をしてこなかった自分自身に怒りさえ覚えました。1918年の日付の祖父母のパスポートや100年以上前の位牌、やっと手に入れた家系図、解読できない文字、すべてがまるで障害物のようで、どうにもならないと後悔しています。

幸い、父が聴いていた歌の歌詞はYouTubeで検索できるので助かります。いろいろな話を語ってくれた父は自分の気持を表すのが苦手でしたが、歌詞を通して父のことを少し知ることができました。遅すぎましたが・・・

今は、グーグル翻訳やアプリ、いろいろな人に助けてもらって日本語を覚えようとしています。いくつかの単語が分かり驚くときもあります。翻訳より心に響く家族の絆のようなものを感じています。心のどこかに感情のこもった音が記録してあり、それがご先祖様の声に聞こえます。上手く言えませんが、昔、私に語りかけてくれていたものに違いないと確信しています。

そしてお線香の煙を見ていると、子守唄を歌う父の声が聞こえてくるようです。「ワータフンーデーチャン、ニーニーシオ」と甘える幼い私に、優しく歌ってくれた父。その声を聴き、私はようやく落ち着いて眠りにつくことができました。

家族の物語はいつか完成できると私は信じています。もちろん、日本語ではなくポルトガル語で。「ゴメンナサイ・ニホンゴ・ワカリマセン」

 

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このエッセイは、「ニッケイ語」シリーズの編集委員によるお気に入り作品に選ばれました。こちらが編集委員のコメントです。

ラウラ・ハセガワさんからのコメント

「ニッケイ語」に投稿されたポルトガル語の作品数が多く、日系ブラジル人として誇らしく思います。13の作品は面白い話題やユーモラスに富んだもので、その中から「お気に入り」を選ぶことは大変でした。

私のお気に入りは、エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダさんの「ガイジン」です。多くの日系人が取り戻したいと思っている祖先からのレガシーが見事に書かれている、真心のこもったエッセイです。エリエテさんは祖先から受け継いだものを懐かしく思い、日本語を十分に覚えなかったことを後悔しているのです。だからこそ、次の世代に伝えたい気持でいっぱいなのです。

 

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