エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ
(Heriete Setsuko Shimabukuro Takeda)
現在61歳。生まれも育ちもサンパウロ市で、祖先は沖縄県人。結婚し2児の母。退職後、文章を書いて昔を思い出したり、視野を広げたりしている。
(2018年10月 更新)
この執筆者によるストーリー
世界を駆け巡りながら
2018年10月18日 • エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ
「折り紙はコミュニケーションと表現の手段であり、世代を超え各国の人々を一つに結び付ける世界共通の言語でもある」 —カネガエ・マリ トシは紙の鳥に乗ってブラジルに来た。 遠いブラジルのロンドリーナ市で生まれた孫娘のマリが日本を訪ねてきたとき、トシおばあちゃんは言葉ではなく、ほかの方法でこの小さな女の子とコミュニケーションをとった。トシはツルを折ったのだ。トシは、そのとき生まれた絆が、時と海を越えるとは思ってもみなかっただろう。 20年以上経ち、マリ…
キャベツのスープ
2017年10月9日 • エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ
ゲロが私の家族のために料理をするために雇われたとき、私はそれが私たちの生活に革命を起こすとは想像もしていませんでした。ミナスジェライス州出身の彼女は、「実践的な」料理人(自己紹介)で、素晴らしいレシピでみんなを喜ばせる計画を持ってやって来ました。彼は、メニューを決めることに関してほとんど恥知らずな私の母に出会いました。この状況については簡単に歴史を振り返ってみる価値があります。そのとき私たちは9人でした。お父さん、お母さん、6人の娘、そしてとても強いヘルパー。私たちは家族と…
ガイジン
2016年10月6日 • エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ
学校の休暇中、私は友人のエミリアをサントスの祖母の家に招待しました。私と違いエミリアは日本語が話せるので、祖母とどんな話をするのか楽しみでした。 しかし、祖母と話し始めると、エミリアは私を呼んで「おばあちゃんの言っていることが分からない!」といきなり叫びました。 「えっ!?日本語を話すって言ってたでしょう?」 「えぇ、言ってたよ。でも、おばあちゃんの日本語は全然分からないよ!」 後で分かったのですが、おばあちゃんは標準語ではなく沖縄の方言「ウチナーグチ」で話していた…