ディスカバー・ニッケイ

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ルーベン・ゲバラ

(Rubén “Funkahuatl” Guevara)


ルーベン・「フンカワトル」・ゲバラはロサンゼルス生まれで、過去 50 年間にわたり、ミュージシャン、レコード プロデューサー、ジャーナリスト、詩人、映画俳優、劇作家、パフォーマンス シアター アーティスト、教師、活動家として活動してきました。UCLA で世界芸術文化専攻し、現在はボイル ハイツに住み、働いています。www.tantrikfunk.net

2014年10月更新


この執筆者によるストーリー

第3回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト
「メリークリスマス、マリオさん」

2016年10月3日 • ルーベン・ゲバラ

リトル東京、1989年ある晩、ボイル ハイツ出身の売れないミュージシャン、マリオ マルティネスがリトル トーキョーのアトミック カフェのブースに座っていたところ、パンクの神様、シド ヴィシャスが取り巻きを連れて入ってきて、チャーハンを注文しました。突然、おにぎりが宙を舞い上がりましたが、誰も気にも留めず、気付かなかったようです。このような狂気は珍しいことではありませんでした。X、ザ バッグス、ラモーンズなどの他のパンク バンドもやって来て、デヴィッド ボウイや前衛芸術家のア…

第2回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト
マサオと青銅のナイチンゲール

2015年9月14日 • ルーベン・ゲバラ

ボイルハイツ、1940年「ねえマサオ、その素敵なカーテンはどこで手に入れたの?」 「ブルックリンとソトの向こうです。マニー・ガルシアの叔父さんが仕立て屋を経営しています。」 「オーレ・プエス、すごくかっこいいよ、すごいね!」 「ありがとう、リル・ジョー。またね、また後でね、カーナル!」そうだ、マサオ・イモトは確かに洒落た服装の仕方を知っていた。彼は日系アメリカ人二世のズート・スーター、パチューク(パチューコの日本語スラング)だった。上の世代は彼らをヨゴレ(酒を飲んだりギャン…

第 1 回 イマジン リトル トーキョー 短編小説コンテスト
ユリコ&カルロス

2014年10月20日 • ルーベン・ゲバラ

リトル東京、1941年ボイルハイツからファーストストリート橋を渡ってリトルトーキョーに向かって歩いていると、燃えるような夕焼けの爽快な力が、家族が私に与えてくれた以上の愛で私を包み込んでいるのを感じました。空と空気は私に希望と大きな夢を与えてくれました。父は私に怒りしか与えませんでした。ある日、私が仕事を終えて帰る途中、ファースト通りとセントラル通りにある寺院の外で、大きな太鼓と竹笛の音が響き渡っていました。一団のダンサーが大きな輪になって踊っていると、突然彼女が現れました…

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