現在50代の私は、思えば今まで何度も名前の変更を経験してきました。私はオレンジ郡に育ち、大学生になるまでダイアナ・ケイコ・アンドウとして知られていましたが、大学3年次に東京の早稲田大学に留学し、ケイコと呼ばれるようになりました。それは、1976年のことでした。この素晴らしい1年は、まぎれもなく私の人生の転機でした!日本の生活を体験できたことは、本当に幸せなことでした。私は、日本の伝統を心から愛し、私のミドルネームが日本名であることを誇りに思います。
その頃から私は、何度か面白い体験をしてきました。なぜなら、ダイアナ・アンドウは、別名ケイコ・アンドウでもあって、同一人物だということに気づかない人もいるからです。女性は結婚し、名字を変える場合があるので、話はさらにややこしくなります。私は今、ダイアナ・ケイコ・オノとして知られています。
私の大好きな自由時間の過ごし方は、ここ、オレンジ郡仏教会で日系アメリカ人の若者や年配の方々と共に活動することです。ここではほとんどの人が私を、「ダイアナ」、「オノさん」、または「ダイアナおばさん」と呼びます。娘の友人のほとんどが「ダイアナおばさん」と私を呼び、何でも打ち明けてくれるくらい心を許してくれていることに、幸せを感じています。
私は、自分が詮索好きなおばさん、または近所のおばさんだとは思っていません。私は、今の若者たちがそれぞれ何をし…