「虎年の人は一針以上縫ってもいいんですよ。虎は強いから、縁起がいいでしょう」。そう言って「千人針」を見せながらミン・ツボタさんは説明する。「女の人しかできないんですよ。ツーリ・レイクのキャンプでお母さんがね、作って渡してくれたから、僕は(戦争で)助かったと思う」。心持ち潤んだ、遠くを見る眼がやさしい。収容所で女性に会うたびに一針づつ頼んで回ったという、赤い玉縫いが千個も几帳面に並んだ生成り(きなり)の帯は、ところどころに小さな染みが付いているものの、まだほとんど新しい米袋で作られているように見える。「ほんとに嬉しくてね、畳んで袋に入れていつも持ち歩いていました」
ミンさんは1918年、ケント市で10人兄弟の末っ子として生まれた。両親は第1次大戦後に広島から移民。父は鉄道の枕木を作る製材所を経営し、日本にも輸出していた。
ミンさんはアメリカ兵として徴兵が始まる前の41年3月に志願した。カリフォルニア州、キャンプ、ロバーツで基礎訓練を受け、キャンプ、サン・ルイ・オビスボに配属された。ここでミンさんは高校時代から練習していたサクソフォンの腕が認められて160部隊の音楽隊にはいる。
「僕はラッキーでしたね。そのころハリウッドから一流のプロのミュージシャンが州兵軍に志願してきたんですよ。徴兵されたくないからその前にって。僕はプロのミュージシャンと会えただけでも光栄でした」
とこ…