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書評・河原典史著『カナダにおける日本人水産移民の歴史地理学研究』

カリフォルニア州固有海洋生物の優れた展示で有名なモントレーベイ水族館は、シーフードレストランや土産物屋が立ち並ぶ観光地「キャナリー・ロウ」の端に位置している。キャナリーという名前の通り、この一帯はイワシの缶詰工場を中心に栄えた港町だ。驚くべきことに、戦前、現キャナリー・ロウを含むモントレー湾内港湾施設の80パーセントを日本人移民が所有していたという。しかし、この史実は、地元歴史家による出版物や博物館展示などを除けば、ベイエリア日系移民史において、ほとんど記述がみられない。

北米の日系人研究では日本人移民の生業が農業であることを自明のものとする研究が大多数を占める。これに対して、この度第4回日本カナダ学会賞を受賞した本書『カナダにおける日本人水産移民の歴史地理学研究』では、モントレーの日本人移民と同様に、カナダ日系人研究から取りこぼされていた漁業と漁業に関わる仕事を生業とした日本人移民へ光を当てる。

研究対象地にはカナダ西岸のブリティッシュ・コロンビア州スティーブストンからバンクーバー島、また北西部のスキーナー川流域やクィーンシャーロット諸島の一帯が設定されている。スティーブストンではフレーザー川を遡上するサケ、バンクーバー島ではクジラやニシンといった水産資源をめぐる日本人移民の活動が分析の対象である。

本書では農業移民に対する漁業移民という二項対立的な語を用いない。移住先で漁業を生業とした移民が必ずしも漁村出身の漁業経験者ではなかったこと、また漁業から派生する様々な仕事を担っていた日本人移民の活動も考慮する必要があることが理由である。ゆえに、本書では海上で漁撈活動を仕事にしていた移民に加えて、陸上で魚の加工業や造船業、流通など漁業に関連した仕事をしていた日本人移民をあわせて「水産移民」という語が用いられている。これに伴い、本書では空間の分析においても漁業者と漁業関連業者を分離しない。海上の漁場から陸上の缶詰工場や労働者用の住居、漁に使う網の干場や造船所といった空間をあわせた「キャナリー」という語が水産移民の活動を理解するための空間的な単位として用いられている。

19世紀末の移民初期から日系人強制収容までの約50年間を対象期間とする本書は、全9章で構成されている。第1章と第2章では、水産移民やキャナリーといった本書で重要となる語について定義した上で、北米および日本におけるカナダ日系人移民史研究のレビューから研究目的を提示している。さらにカナダ日本人水産移民の研究における歴史地理学的アプローチの有意性が論じられた。

2002年にカナダ・スティープストンに建立された「日系漁師像」と並ぶ著者(2012年9月撮影)   

また、第3章でカナダ日本人移民史が改めて概説されていることで、カナダ移民史を専門としない読者でも続く章を理解するための下地が整う。

以降の3章では魚種ごとにカナダにおける日本人水産移民の活動の具体的な事例が提示される。第4章ではサケの缶詰産業を取り上げ、史資料からキャナリーの空間的な詳細が記述されている。さらにブリティッシュ・コロンビア州においていかにキャナリーが展開したのかをふまえ、その内部における日本人移民と他民族労働者の分業が詳述されている。

続く第5章では、数少ない水産移民の研究においてもさらに記述の少なかった捕鯨業に関わる日本人移民を検討している。捕鯨業における日本人移民は、直接漁撈活動をしていたサケ缶詰産業の移民と異なり、季節によって移動しながら捕鯨基地内や鯨油採取において補助的な役割を担っていたことが明らかにされた。

一方、第6章で取り上げられた塩ニシン製造業は、一時日本人移民による独占的な産業となった。製造されたニシンの塩漬けは、日本ならびに太平洋戦争期の植民地へ輸出され、現地の食文化に影響を与えた点が考察されている。

第7章では20世紀に入った頃バンクーバー島西岸で新たに発見された漁場と漁村開拓について検討されている。サケ缶詰工場の不景気や火災などによるダメージと動力漁船化の流れが相まって新たな漁村開拓が進んだ経緯が明らかにされた。これに伴い、漁村出身者と非出身者とが協力しつつ出身地による社会的な分業システムが構築されていたことが提示されている。

第8章においては、これまでの章で取り上げてきた漁業を中心として活動する日本人移民たちを支えた漁船の造船業と食料品の販売業を担った人々が検討されている。

結論にあたる第9章では、これまでの詳細な事例と議論を踏まえて、日本人水産移民をめぐる移動モデル図と居住空間モデル図が提示されている。最後に、日本人水産移民は民族・出身国にかかわる国際的な分業システムのなかに組み込まれ、キャナリーをはじめとする空間の内部でも分化されていながらも、カナダ水産業の発展に寄与し活躍していたと結論づけている。

以下、評者の視点から本書の魅力的な点について2つ挙げる。

カナダ・ビクトリアのロースベイ墓地にて。墓地の一画には日本人の初期移民も眠っている。(2001年8月撮影)

第一に、際立つ史資料の豊富さである。現地日本語新聞社による新聞や住所録、日本人名簿といった日本人移民研究における定番の資料の分析があるのは当然のことながら、火災保険地図や日本の政府機関による現地調査報告書、旅券、戸籍、帳簿、小切手といった日本語英語両言語による大量の資料が分析の対象となっている。ここにオーラルヒストリーや現地の古写真資料が加わることによって、国際的な移動から血縁関係まで細分化した理解が可能となる。55ページにある空間スケールを考慮してまとめられた一覧表は、これから日系移民史を研究する人には是非参考にしてほしい。個人的には婦人会の告知文や日本語学校の卒業式に関する新聞記事の内容といった資料から漁村の女性たちの生活をつまびらかにしている点が興味深く、彼女たちの日常を垣間見ることができた。

第二に、筆者が空間と時間のスケールをテーマごとに適切に変化させながら資料を読解し、読者に提示している点である。第9章で提示された居住空間のモデル図は、例えば先に挙げたモントレーのキャナリーのような未だ研究されていない水産移民の活動空間の分析にも適用できる可能性があることから、今後の北米水産移民研究の深化が期待できる。また、空間スケールの範囲がカナダ国内や日本で終わらず、太平洋戦争時の植民地支配地域にまで及んでいる点で、空間スケールという分析方法を用いる利点が最大限に提示されている。

本書は水産業や移民の研究に興味がある読者のみならず、集団と空間を対象に研究する初学者にこそ推薦したい一冊である。タイトルにある水産業はカナダ日系移民研究のなかでもニッチな分析対象であるがゆえに、本書を手に取ることを躊躇われる読者も居られるかもしれない。しかし、実際に読み進めてみると、分析する資料の選び方から分析方法、結論まで詳細かつ明快に書かれているおかげで、非常に読み解きやすい。だからこそ自らの研究や興味と対照させて考えることができるのだ。願わくば評者が初めてフィールドで調査研究をし、論文を書く前に読んでおきたかった。そう思えるほど、本書は歴史地理学的研究のみならず、多分野において研究書の手本となりうる優れた一冊である。

 

河原典史著『カナダにおける日本人水産移民の歴史地理学研究
(古今書院、2021年)

 

© 2022 Chisa Matsunaga

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