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米市場で焼酎普及に取り組む麻生将人さん

バーテンダーとのテイスティングイベントで。

焼酎を世界の蒸留酒と肩を並べる存在に

アメリカの日系マーケットでは、さまざまな日本の焼酎が販売されている。中でも大分県の「いいちこ」は、日本では超有名銘柄だが、アメリカ市場では在米邦人以外にもその知名度が高いとは現時点ではまだ言い難い。

そのような状況の中、Iichiko USA, Inc.のセールスマネージャーの麻生将人さんは「私たちは焼酎を世界の酒として認知されるように取り組んでいます。まだ世界に知られていないけれど、日本の焼酎を、ウィスキー、ジン、ウォッカ、テキーラと共にメインストリームで闘える存在にすることが目標です。それには相当時間がかかるかもしれません。例えば、アメリカではジャパニーズウィスキーがブームですが、ここまで実に30年、40年もの年月がかかっているのです。焼酎もそのくらいの期間がかかる覚悟を持って取り組んでいる一方で、ソーシャルメディア隆盛の現代では、もしかしたら3年後に目標を達成できる可能性もあります」と意気込みと期待を口にする。

そして、焼酎がウォッカやテキーラ同様にカクテルの材料として認知されるように、アメリカのバーの営業にも積極的に取り組んでいると語る。

麻生さんがアメリカに赴任してきたのは、2019年4月。その後のパンデミックで日本への帰国辞令が出たため、1年間アメリカを離れたことでトータルの赴任期間は2年。

「2年という経験ではありますが、アメリカ各地の展示会に出展し、アメリカのお客様にいいちこをテイストしていただき、手応えを感じています。飲んでいただいたら『すごく美味しい』と言っていただけます。3回、4回と繰り返し飲んでくださる人もいて、私としては口元に持っていくことができれば、焼酎は受け入れてもらえると確信しています」。

こうして焼酎に馴染みがないアメリカ人に、ロックやお湯割など焼酎の伝統的な飲み方を披露すると共に、焼酎だけに留まらず、焼酎と相性がいい料理の紹介も併せて行うことで、焼酎とその周辺文化の啓蒙にも注力していると麻生さんは話す。

アメリカの優しさと冷たさ

麻生さんは大分県出身。県外の大学を卒業後は故郷の大分で就職を希望していた。「学生時代にアルバイトで飲食店に勤めていたこともあり、飲食に興味がありました。そこで、飲食に関連する地元企業である三和酒類(いいちこの製造発売元)を志望しました」。麻生さんは入社後、数年間の工場勤務を経て、国内市場向けの営業マンを10年近く務めた。この間、営業マンとして活動を続けながら、「将来はアメリカで働きたい」という密かな目標を抱いていた。

初めてのアメリカは、大学の卒業旅行。麻生さんは「地球の歩き方」を携えて単身ニューヨークに飛んだ。「20年近く前のことで、当時はスマホもありませんでしたし、右も左も分からず、ただただ高層ビル群に圧倒されました。その時まで私は東京を一人で歩くことも経験したことがなかったんです(笑)。ニューヨークの街中で地図を広げていると、声を掛けてきて行き方を教えてくれたり、中には目的地に一緒に行ってくれたりする人もいました。一方で、金融街では、迷っている私をからかう目的で、逆に道を尋ねてくるサラリーマン風の男性にも遭遇しました。初めてのニューヨークで人の温かさと同時に、冷たさも実感することになりました」。その時から、麻生さんの心の中に「いつかアメリカに」という思いが芽生え、2019年、それは現実のものとなった。

それでは、アメリカで焼酎の普及活動を続ける中、どのような発見があったのだろうか。「日本社会はある種、閉鎖的な側面があり、世界とつながっているという感覚にはなりにくいように思います。でも、アメリカには商売で成功した人も多いし、新しい機会への出会いもあるし、世界とつながっているという感覚が得られると同時に視点が変わったようにも思います。今後の可能性の広がりも実感しているので、例えば、仮にアメリカから日本に帰国辞令が出ても、アメリカである必要はなく、どこにいてもいろいろなことができるはずだという考えに変わりました。それが例えば、日本ではなくてアジアであっても、そこで日本の焼酎を売り込める自信があります。場所に対するこだわりがなくなりました」。

信頼が全てのベース

アメリカでは剣道を通じて人々と交流。  

続いて、日本国内での営業スタイルとアメリカでのスタイルに違いはないのかについても聞いてみた。

「今思うのは、日本もアメリカも本質は全く同じだということです。それは営業のテクニック以前に、信頼が全てのベースだということです。安いからとか条件が良いとかそういうことではありません。人間同士の付き合いなのです。日本での営業もそういうところがあります」。

10年後の目指す自身の姿を聞いた。

「アメリカに限らず、自社ブランドのいいちこが世界で有名になるように、人々が普通に焼酎を飲めるような世界になるように、そのことに携われたらいいなと思っています。自分が営業の最前線でなくても若い人のサポートに回る形でも構いません。入社して15年目になりますが、日本の車のナンバープレートを『1115(いいちこ)』にしているくらい、いいちこラブ、なんです。周りの人にはオーナーでもないのに、何やっているんだと言われてしまいましたが(笑」」。

最後に、アメリカにいる間に仕事以外でやりたいこととは?

「アメリカにも剣道をやっている人がたくさんいることをここで知りました。私は剣道を始めて14年になりますが、アメリカでも稽古を続けています。そしてできればアメリカにいる間に、現在の4段から5段に上がる昇段試験に合格したいと思っています。そして、アメリカの剣道コミュニティーの一員として人々と交流し、アメリカのことをもっと理解していきたいですね。それが私にとっての財産になるのではないかなと思います」。

 

© 2022 Keiko Fukuda

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