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2016年渡米、夫の死を乗り越え新たな目標見つけたミカルペイン慶さん

人と違いを指摘する日本、自由が認められるアメリカ

4歳半の息子と一緒に。

ミカルペイン慶さんと知り合ったのは、彼女の夫の死後、2021年に彼女が立ち上げた事業を取材したことがきっかけだった。2020年の1月にがんを宣告された慶さんの夫は、同年3月に亡くなってしまう。短いが、しかし壮絶だった介護生活を終えた後、慶さんはまだ4歳半の幼い息子とアメリカに取り残された。

慶さんが渡米したのは、夫の死のわずか4年前のこと。「主人と私は日本で知り合い、13年に結婚しました。子どもが生まれた後、彼は家族のためにアメリカに拠点を移したいと希望し、私もその決断に同意しました」。慶さん一家がアメリカでの拠点に選んだ場所はカリフォルニア州のオレンジ・カウンティーだった。

しかし、その時が彼女にとっての初めてのアメリカではなく、夫と子どもとの渡米から遡ること20年ほど前、1年間フロリダでホームステイ生活を送った経験があったのだと振り返る。

「私は父が日本人、母が日本に帰化した中国人というハーフです。それで、高校卒業後にフロリダ在住の母の中国人の知り合いに声をかけられ、ホームステイすることになりました。小学生までは私は無邪気な性格だったのですが、高学年くらいに家に呼んだ友達から、『お母さんの日本語、たどたどしいね』と言われたり、家の中国っぽい装飾をいじられたりしたことがきっかけで、内にこもるようになってしまったのです。ただ、当時の私は母を責めることはなく、なぜ、(友達は)そうやって人と違うことを指摘したりするのだろうと疑問に思っていましたね。ところが、十代の終わりに経験したアメリカ生活で、それまでの疑問や悩みが解消されました。こんなに自由でいいんだ、人と違っていいんだ、と私の中でまさにスパークしたのです」。

パンデミック中の夫の死

多様性社会であるアメリカに、自分自身でいることの大切さを教えられた慶さんは、日本帰国後、いくつかの職業を経て、本人が「天職」と表現する人材紹介業で活躍するに至った。10年に入社したイギリス系の人材会社ヘイズ(Hays)では、アソシエートコンサルタントからキャリアをスタートさせ、アジア圏内で売上トップ5位という実績も達成し、最終的にはマネジメントも経験した。ちなみにヘイズは世界250以上の拠点を持ち、総従業員は1万2000人超を誇るグローバルな人材紹介会社だ。そして、夫との渡米でヘイズを退職後は、クライアントからの依頼に応じて人材紹介や人材育成を手がけるCAREER BRAINを立ち上げた。

しかし、夫の死を契機に、彼女はその後の人生について立ち止まって考えることになった。

「まず、彼の死をアクセプトできない自分がいました。夫とは自立した関係で、お互いを尊重する同志のような存在でした。そんな大切な彼を亡くして、当然子どもがいるから生きていくしかないのですが、夫のいない人生を終わらせたいと思うほどに追い込まれました。死後の諸々の手続きが終わった5月と6月は、髪はボサボサで顔はボロボロ、いつご飯を食べたのか分からないほど放心状態でした。夫を亡くしたことは本当に大きな分岐点でした。それまで自分たちが築いてきたこと全てをなぎ倒すような破壊力を実感しました。そしてなぜ自分がそのような目に遭わなければいけないのかという怒りの感情も生まれました。悲しみよりも怒りが勝っていました。あの頃は人に会いたくなかったので軽率な言い方に聞こえるかもしれませんが、パンデミックでステイホームの時期だったので(人に会う必要がなく)私は救われたとも思っています」。

「喪失ケア」に力を入れたい

そして、辛かった時期を乗り越え、現在はいくつかのプロジェクトに取り組んでいると慶さんは話す。まず1つ目は前出のCAREER BRAIN, LLCを通じた人材紹介と人材育成の事業。「特に若い人たちの人材育成に尽力し、企業や個人向けのコーチングも行います」と慶さんは意欲を見せる。次に近く資格を取得予定のNLPマスタープラクティショナーとして、インナーチャイルドセラピーやグリーフケア(親しい人を亡くして喪失感に襲われている人のためのケア)を開始すること。このNLPとは、「Neuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)」の略で、このプログラムを学ぶことで人々の思考や感情に対して効果的に対処できるようになるとされている。特に、夫の死を経験している慶さんは「グリーフケア・喪失ケア」に力を入れていきたいと話す。

さらに、ニューヨークに拠点を置くインターネットラジオ「サクララジオ」では、パーソナリティーとして、子どもに読み聞かせたい日本語の絵本の紹介も行っているほか、今年新たに日本人のドクターとの対談番組も担当することになったと語る。

こうして、未来に向かって歩き始めた慶さんに「アメリカに来て変わったこと」について聞くと次のように答えてくれた。「今の私は、日本だからアメリカだからと分けて考えていません。自分がどこに身を置いても、その環境の中で何ができるかが重要です」。また、パンデミック期間にオンラインのミーティングの活用が促進されたことで、今後は世界中どこにいても、人材事業はもちろん、これから始めようとしているカウンセリングもできるはずだ。「アメリカに何年いるかも分かりません。来月、動くかもしれないし、日本に引っ越すかもしれません。拠点を決めずにいろんな場所を移ることもいいかもしれないし、そうすることで息子にも対応能力が身につくかもしれません」。

彼女は単に大切な人の死を乗り越えただけでなく、同じような境遇に置かれた人に自分の経験を生かすために前進しているのだ。

 

© 2022 Keiko Fukuda

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