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第5回 ルーツを探して -フロリダ・兵庫編-

取材などで日系アメリカ人に話をきく際に、「ご自分のルーツは日本のどこか知っていますか」「ルーツは日本のどちらですか」と、ついききたくなってしまう。それは、私自身がもし日系アメリカ人としてアメリカに生まれたら、自分のルーツはどこなのか、とある段階で知りたくなるとおもうからだ。

日本人は、たどれる範囲内で歴史を遡ってみても、だいたい日本のどこかがルーツなのはあたりまえだ。それでも、細かくファミリーヒストリーを調べてみると意外な発見があるのだから、国境を越えたところにルーツのある人たちの歴史は、波らんに富むと想像できるし当事者にとっても謎の部分は多いだろう。

当の日系人のなかに自分のルーツ探しを試みる人がいるのは理解できる。ただ、日本に親戚がいる人はともかく、親戚縁者がいないと言葉の壁もあり、ルーツをたどるのはそう簡単ではない。

私はこれまで取材の過程で知り合った日系アメリカ人3家族について、取材者としての私自身の興味もあって、ルーツに関する調査のお手伝いをしたことがある。

その一つは、フロリダ州に住むキム・コバヤシさん一家についてだ。20世紀のはじめ、フロリダ州南部に日本人によってつくられた大和コロニー(大和村)の一員として、キムさんの祖父、小林秀雄さんは入植し農業に従事した。

秀雄さんはコロニーの初期のメンバーとして兵庫県から参加し、最初はテント生活からはじめ、他の入植者と助け合いながら生活環境をととのえ、同時に野菜や果物の栽培を広げていった。1930年代になると、ほかの入植者たちが現地の生活に見切りをつけて去って行くなかで、秀雄さんは妻の梅子さんや三人の子どもたちとともに現地にとどまった。しかし、徐々に農業経営が難しくなり、造園業に転換した。

戦争がはじまると、所有する土地が米軍基地建設のために接収されることになり、退去を余儀なくされた。しかし、戦中から戦後もコバヤシ家はフロリダにとどまり造園業を続けた。

コロニー関係者で戦後も現地周辺に残った人はわずかで、当初からの歴史を知る人物としてキムさんの父親である小林保(たもつ)=トム・コバヤシさんに話をきくうちに、私はコバヤシ家のルーツ探しを手伝うことになった。


郷土史にあたる

コバヤシ家のルーツがある兵庫県豊岡市の山間部

その手掛かりとなったのが、コバヤシ家が保管していた小林秀雄さんの旅券(パスポート)だった。大正10(1921)年1月6日発行の旅券によれば、秀雄さんの住所として「兵庫県城崎郡奥竹野村……」とある。これは現在の兵庫県豊岡市だが、2005年までは竹野町の一部だった。

ところで、フロリダの大和コロニーは、京都府宮津市出身の酒井醸が、ニューヨーク大学に留学中に知ったフロリダ開発を機に、郷里を中心に参加者を募り入植した事業であり、宮津市や丹後半島から参加したものが多い。旧奥竹野村は丹後半島に隣接する地域ともいえるが、秀雄さんがなぜ、コロニーに参加したのかはコバヤシ家でもわからなかった。

2010年秋、ヤマトコロニーの関係で宮津での取材の折に、豊岡市の市立図書館竹野分館を訪れた。旧奥竹野村に関する郷土資料を探すためである。戦前、地方から海外に移民するというのは一大事業であり、その記録は郷土史のなかで触れられることがある。

竹野分館には奥竹野村が竹野町になってからつくられた「竹野町史」があったので、ざっとページを繰ってみたが、それらしき記載は見つけられなかった。つづいて豊岡市役所竹野支所でこの地域からの移民について尋ねたが、情報は得られなかった。

しかし、その直後、竹野支所の職員の方から、「竹野町史に移民と小林秀雄さんに関係する記載があった」という連絡をもらった。おそらく私が見落としていたのだろう。同町史には次のような記載があったという。

「小林秀雄(明治16年12月17日、大森村で小林藤助の4男として誕生)」

「渡米するまで農業を手伝っていた」

「明治40年、縁者経営の野菜栽培施設『大和コロニー』に入植」

「最初はあまり成績もよくなく、脱落者も多かったが、小林さんは最後までとどまり、幸運にも恵まれ、多額の収益を得た」

「昭和17年まで大和コロニーにとどまり、農業を続けた」

「日米修好通商百年において、功労者の一人として表彰を受けた」


戸籍をたどる

これによって、秀雄さんにはコロニーの主要人物に親戚縁者がいたと推測できた。さらに詳しいことを知るには、小林家の戸籍にあたるという手段と、秀雄さんの親類を探すという方法が考えられた。そこでフロリダのコバヤシ家に連絡、同家からの委任を得て私がコバヤシ家の戸籍を豊岡市に申請して得ることになった。

戸籍の管理は厳重で、所定の手続きにのっとりコバヤシ家とやりとりをしたのち、2011年3月、私は再び豊岡市を訪れ、必要書類を携え竹野支所でようやく小林秀雄さんから遡って戸籍を得ることができた。

戸籍によれば、秀雄さんの長兄の妻が丹後半島の出身で、その縁で秀雄さんは渡米したものと思われる。また、秀雄さんは「戸籍上ではいまも生存」していることになっていた。これは、アメリカで死亡したとき、手続きが日本まで届いていなかったことが原因だと思われる。

同じく戸籍から、秀雄さんの長兄藤治が戸主となって小林家を継いだことがわかった。そこで、秀雄さんの旅券に記されていたかつての住所を頼りに、私は今も小林家が存在しているかどうか確かめるため豊岡市の山間部へと車で向かった。すると、秀雄さんの生家にたどり着くことができた。

石段をあがったところに建つがっしりとした昔ながらの屋敷で、いまも小林藤治の表札がかかり、そのよこに秀雄さんの旅券にあったのと同じ住所が書かれた札が並んでいた。今は藤治の孫にあたるYさんが家を継いでいた。

Yさんによれば、小さいころは、アメリカからきれいなクリスマスカードが届いていたという。フロリダの秀雄さんとの交流はかつてはあったようだ。

フロリダのコバヤシ家のルーツ探しは、こうして一応の成果をもって終了し、キムさんたちに報告することができた。郷土史と戸籍、そして現地での調査が実を結んだことになる。

(敬称一部略)

 

© 2022 Ryusuke Kawai

家族 フロリダ州 キム・コバヤシ アメリカ ヤマトコロニー(フロリダ州)
このシリーズについて

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。

 

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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