ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2021/6/2/8609/

1991年渡米、日米に拠点を置く生活 ー 清水瑛紀子さん

渡米当時の覚悟は「絶対に日本に戻らない」

清水瑛紀子(あきこ)さんは1990年代からアメリカと日本で活動している風水コンサルタントだ。もともとの仕事はIT関係。日本からドイツ勤務を経て、1991年以降、アメリカで生活していた。しかし、現在は主に日本を拠点にして、ロサンゼルス郊外の住まいに時々戻ってくるという生活スタイルだ。19歳の時に初めて来たアメリカに自由と可能性を感じ、アメリカに住みたいという願いを実現した彼女だが、再び日本に拠点を定めた理由と、日米を往復する中で見えてきたことについてzoom取材で聞いた。

「若い頃の自分は、日本ではブラックシープのように感じていました。日本は皆に合わせないといけないし、女性に能力があっても男性社会では引き上げてもらえない。夜10時になると他の男性は働いているのに、私は帰るようにと促されました。でも内心はもっと働きたいと思っていたんです。ところがアメリカに来て、自分が自分らしく生きられる場所を見つけることができました。女性であることも、年齢も関係ありません」。

渡米当時はITの仕事で日系企業に勤めていた。永住権を取得後に紆余曲折を経て、2001年からはロサンゼルス郊外の在米日系メーカーのITコンサルタントを2019年まで務めた。その傍らで興味を持って学び始めたことをきっかけに、後に副業として続けていた風水の鑑定と講師の仕事の量が増えていった。

「2003年から、風水のセミナーを開催する目的で日本に来ました。当時は年に2回くらいでしたね。私はそれまでに日本を10年以上離れていたので、日本の現状を知る必要があったし、市場開拓を地道にしなければいけないという思いで、飛行機代や宿泊費で赤字になっても毎年日本に通い続けました」。

2012年にはついに東京に住居を構えた。「その頃には2カ月に1回は、風水講座を開催するために東京に通っていました。ホテル住まいではなく家があると気分的にも楽になったし、国内で仕事が増えこと、多くの出会いがあったことなどで日本がいいなと思うようになったんです。アメリカに渡った時は絶対に日本には戻らないという覚悟だったのに」。

2020年はコロナの影響で日米の往復が自由に行えなかったこともあり、オレンジ・カウンティーの持ち家を売却する手続きで滞在した以外はほぼ日本で生活していたという。

引き揚げるなら日本でのベース作り必要

では、アメリカ永住を覚悟していた瑛紀子さんが、日本に拠点を移すことになった理由は何だろうか。「まず、現実的なことで言うとアメリカの高騰する健康保険料ですね。私は保険を使わないのに、それでもアメリカでは月々12万円ほどの保険料を払っていました。それから、私がアメリカに来た頃に感じたワクワクするエネルギーを最近は感じられなくなったということ」。

アメリカ生活では色々な人に助けてもらったと振り返る。「最初は英語ができなかった私は苦労しました。仕事の上での苦労も経験し、人間的に逞しくなれたと思います。でも、年月が経ってみると、日本の方が暮らしやすいということに気付きました。それに今、風水の生徒さんの多くやクライアントが日本の人なので、彼らがいる場所で活動するのが効率的です。昔感じた息苦しさも、今の日本には感じません。時代が変わったこともあるし、私自身も変わったのでしょう」。

それでは、今後、アメリカに限らず海外から日本への引き揚げを考えている人に瑛紀子さんがアドバイスするとしたら?「まず、自分が何をして生活していくのかをしっかり考えることです。そして、自分でやろうと思っていることで、日本で現実的に生活できるのかを見極める必要があります。すぐには無理でも、日本でのベースを作るために、私のように時間をかけて準備することをお勧めします。突然、引き揚げようと決心して日本に帰っても、ゼロからのスタートだと何もできません。土台作りは重要です。一方で、アメリカで不動産を持っているなら、それを売却して現金を作って、日本での生活費用に充てればいいと思います。アメリカの不動産は立派な投資になります。アメリカで不動産を持っていることは、一つのアメリカンドリームを意味していると思います」。

年齢的には何歳くらいまでに引き揚げるのが理想かと聞くと「できるだけ早い方がいいかな、60代くらいまでには引き揚げるなら実行してしまった方がいいでしょう」と瑛紀子さん。

前述の健康保険の費用や昔のような息苦しさがなくなったこと以外にも、日本の良さを次のように挙げた。「日本の料理は本当に美味しいです。料理の種類も多いし、安いし、チップもいらない(笑)。もともと居酒屋が好きだったんですが、日本の居酒屋は最高です。本場で食べる日本食がやっぱり本物だって実感しますね」。

最後にアメリカに未練はないのかと聞いてみた。「今はもう日本でやっていくと決めているけれど、アメリカに長く住んで働いて本当に良かったと思います。私が海外に出ることなくあのまま日本にいたら、決断のできない人任せの、平凡な人生を歩んでいたと思います。それに行動しなかった自分にずっと後悔しているはず」。自分らしい生き方を発見し、風水という天職にも出会うことがアメリカ生活を経て、今後は東京を拠点に風水の活動をアジアで拡大していく予定だそうだ。

清水瑛紀子さんのウェブサイト:https://lit.link/akikoshimizu

 

© 2021 Keiko Fukuda

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このシリーズについて

米国と日本の間で生きる日本人に、永住権取得や日本への引き揚げなど、人生の選択についてインタビュー。

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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