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ミュージシャン・ヒロキ・タナカ・インタビュー:「介護記憶曲集」の中の「生のサイクルと死」とは何か

ミュージシャン・ヒロキ・タナカ・インタビュー:「介護記憶曲集」の中の「生のサイクルと死」とは何か
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「介護記憶曲集」アルバムジャケット

グレーの柔らかいトーンに包まれて、トロント在住のミュージシャン・ヒロキ・タナカ(田中博基)がゆったりと佇んでいる。これは彼のソロデビューアルバム「介護記憶曲集」のアルバムジャケットの写真だ。ほの暗い簡素な部屋には日本人形が飾られているくらいで、ごく普通の人家である。だが、そこを深く踏み込むと、彼の座るベッドは実は彼の祖母が生前寝ていたもので、彼自身もその部屋で生まれたのだという。つまり、その部屋と家の空間は彼のこれまでの人生と共にあったのだ。

アルバムのタイトル「介護記憶曲集」は、タナカが自身の祖母と伯父の人生末期を介護した経験を記録したものだ。この8曲収録されたアルバムに、彼は自己を規定する確かな思いを投射しながら、死と喪失の悲しみを体験するとはどういうことかを歌い込んでいる。タナカは2018年にこの制作を開始したが、2020年がコロナ禍によって世界中が嘆きにつつまれ、彼の経験と重なり合うことになるなど予想もできなかったのである。

当時、タナカは20代の中頃で、ヤマンタカ・ソニック・タイタンという実験的音楽バンドのメンバーとしてツアーをこなしながら、若い介護者として親族の面倒もみていた。つまり、2つの全く異なる現実を往復しながらも、絶えず片方を念頭に置く生活を強いられたわけだ。そうするうちに、タナカはあることに気づいたという。

「自分の家族が人生最期のステージを迎えるのを側で見ていて実感するのは、人生において何が一番大切なのかってことなんだ。それまで日常的に身にまとっていたいろんな飾りが削げ落ちていって、最期には核となる価値だけが残る」。伯父が死の床で泣き叫んだのは子供たちへの愛だった。「こういったことが、私たちにとって本当に大切なものなのだと思う」。

タナカはいま「巡り巡る人生」の中にいる自分を感じている。フルタイムの仕事を抱えながら、自作のアルバムを発表し、生まれたばかりの子供もいる。介護の経験から、家族と自分の人生にとって真に焦点を当てるべきものが何かが見え始めた。

「実人生における愛と家族、日常的、世俗的な喜びの基礎を築くこと。こういったことが、今、世界中で様々な破局が起きている中で、僕の生きる喜びとエネルギーの源になっているのだと思う」。

ソロデビューアルバム「介護記憶曲集」は、日常生活で耳にする音や祖母が入居した長期介護施設で定期的に催されるシニアたちの合唱などを使った曲も収録してある。その一曲が自作の「Blue-Eyed Doll(青い目の人形)」である。彼の姉が心理療法士になるための実習課題として収録した祖母へのインタビューも使われている。

オープニングの曲「Bare Hallways(何もない廊下)」はタナカが最初に取り組んだ曲で、祖母の「イエスよ、優しき牛飼いよ、お聞き下され」という優しい歌声で始まる。彼が小さい時から聞いてきた賛美歌だという。

タナカが書いたライナーノートによると、最初の曲「Bare Hallway」は「僕が祖母の介護をしている時に感じた、全てがゆっくり崩れ落ちていくような感覚を歌にした。祖母の認知症が止まることなく進行し続けて、家じゅうが絶望に包まれだし、家族は祖母がパニックにならないように、家具を少しずつそっと処分し始めた時のことを歌にしてみた」。

「Bare Hallways(何もない廊下)」

お聞きください
彼女の記憶力をお救いください
廊下に響く 私を呼ぶ声

影が見えている
彼女の過去から立ち上る
小さな手が震える
冷えと孤独の中で
終わりが始まる

イン・ディ・エンド
イン・ディ・エンド
イン・ディ・エンド

毎晩、ベッドをつくり
優しく語りかける
眠りに就くまで
私の生まれた家が
崩れ落ちてゆく
空っぽの廊下と化していく

イン・ディ・エンド
イン・ディ・エンド
イン・ディ・エンド
イン・ディ・エンド

自分で作ったトラックをパートナーのマヤに聞かせると、彼女も他の多くの人たちも、このプロジェクトをもっと進めるように励ましてくれた。こうして、デモ盤の「Bare Hallway」はCD制作の土台となった。ただ、その間にも親族の病状はどんどん悪化していったという。

余命6ヶ月の診断を受けた伯父は、2018年12月下旬に前立腺癌で逝った。その月、タナカは「Long Winter」という多数のアーティストが出演するイベントに出ることになっていた。最初はごく短時間の出演予定だったが、驚いたことに、ソロのステージのオファーを受け取った。彼はそれに同意したが、この時彼の持ち歌は1曲、5分間ほどしかなかったので、レパートリーをなんとか25分間に延長させた。

そのひとつとして、彼の姉そのみが祖母にさりげない会話で優しく問いかけるインタビューに、10分間の音源を挿入し、曲「Snowdrops(雪の花)」を書き上げた。この曲で、タナカはカルフォルニア州北部在住の詩人トニー・ホグランドが書いた「I Have Good News(朗報がある)」を朗読した。ホグランドはその数ヶ月前に亡くなっていたという。

「Snowdrops (雪の花)」

不治の病に冒されて、歩きまわり、震えながら、最期の病に衰弱してゆく、自分と他人の間の隙間が広がる、ボートと船着場の間が開いてゆくように、若い頃のプラントと花が見え始める。

それらが前のように真新しいものに見え始める、太陽系に散りばめられた小さなラベンダーのブーケは想像を超える繊細さ:紫の髭のついた暗い黄金色のボタン;スワンの白い喉には根菜色のまだら模様;糸のように細い茎の先に星くず。

あなたが去った後のバス停のベンチ近くには、これらが置かれている;未亡人の家の裏の針金のフェンスに沿って、置かれたままになっている。以前そうしたように、あなたはしゃがみこんでそれを見つめるだろう。

あなたの心臓は復元されるのだから、老化や死で威厳を失うことなど怖れる必要はない。草の先のようにとがったシナゴーグが、あなたの生がいつも他人に踏みつけられてばかりいたのではないという証になるだろう。

怒りにかられて点滴管から滴るモルヒネを何度も注入して、一人で終わりを告げたとて、見舞客を拒絶し、夜明けに自分の体臭を嗅ぎながら、病院のベッドの枠にすがりメソメソ泣きじゃくって死のうとかまわないのだ。

歓びの絶頂にあったあの日は、どんな恥辱にも霞むことはないのだから。

トニー・ホグランド – “I Have Good News”

「このホグランドの経験によく似ていると思う」とタナカは言う。「ホグランドは膵臓癌で苦しんだ。僕の伯父は前立腺癌だった。二人とも享年65歳だった。ちょうど同じように重なっている。全てがミステリーじみてアート的に一緒に起きたんだよ」。

タナカは内心落ち込んではいたが、なんとかロング・ウィンターでの演奏をこなした。その多くを即興でやり抜いたという。

「『Snowdrops』の最初のところをどうしたらよいか分からなかったんだけど、僕は唐突に『さくらさくら』を歌い始めていた。そしたら、それがこの曲の特徴の一つになった。こんなふうに全てがいきなり一つになった」。

彼の演奏は聴衆にとっても力強いものに聞こえたのである。

「僕の後に演奏したバンドの一人が後で近づいてきて、『ワーオ、うちの婆さんも最近亡くなったんだけど、君の曲はこれまで考えたことがない何かを感じさせてくれたよ』っていうんだ。僕は彼の顔をじっと見ながら『ありがとう』とか何とか言ったと思う」と思い出しながらタナカは言う。

そんな経験や他の似たようなことが、「介護記憶曲集」の価値とかインパクトを彼の中で明確化するのを助けてくれたようだ。それはおそらく、最初にそれを制作しようと思った動機よりも大きなものになったようだ。

「アルバム制作が決まると、他の人たちも巻き込んで、自分自身の感情とか、必ずしも居心地のよくない抵抗する感情と向き合ったり、みんなに話したりとかし始めた。これこそが、僕がいつも価値を置いていることだ」と説明してくれた。「特に、このアルバム制作で自負していることは、人と触れ合うことのできる何かを創り上げることができたということに尽きると思う」。

「祈り」

ベッドの中で具合が悪くなって
シーツから何まで濡らしてしまった
僕が全部洗うから
全部洗ってあげるから
全部洗うよ
全部洗うよ

怖い、このまま死んでしまうのか
でもいま電話をしたら
彼らが来て全部持って行ってしまう
全部持って行ってしまうだろう
ここで怯んだら彼らは全部持って行ってしまう

時間をこのまま止めてしまいたい
気持ちが萎えてしまいそう
頼れるものはあるのだろうか

他には何も望まないから
この痛みを消してほしい
両手を合わせ 両手を合わせて
あなたのために
徐々にあなたは忘れてゆく、僕のことも
こうして、あなたは…. 

「介護記憶曲集」の一番の強みは、死と嘆きを正直に見つめる断固とした姿勢である。人の最期について話すことを躊躇い、タブー視する西洋的姿勢ではなく、このアルバムはむしろ介護の現実を時系列的に語り、介護に関する不快なところまでまっすぐに見つめようとする。人の弱さの中にある力を見出そうとしている点である。

「(ここカナダでは)介護の仕事は下に見られている、でも僕はそれに抗いたい…その考え方自体に」とタナカは言い、日本や他のアジア社会では家族の介護はもっと普通なことなのだと指摘する。

「このアルバム制作自体が、一般的に介護とか他者への思いやりを要する仕事、人の感情や情緒を扱う仕事は、ビジネスでの成功をよしとする資本主義的な価値より低いと思われていることに対する直接的なプロテストでもある」。

だが、身内への介護ということもあり、タナカは若い介護者として、他の家族から手厚い援助を受けていたことも認識している。

「親や親族の介護をすると、他の家族は『やあ、本当にありがとう』と僕には言ってくれたけど、見舞いに来て本人に話しかけようとはしないし、避けようとさえした」とため息をついた。「できれば介護にまつわるこういった現状を知ってもらい、、一般的な傾向に対して立ち向かいたいと思う。介護に対する不快感、さらにその不快感に対して示す親族の反応こそが、ケアされる当人を親族から遠ざけている。それはとても不健全だと思う」。

この結論は、ある意味でタナカ自身が祖母の家に初めて舞い戻った時に経験、あるいは自分と対話した時の経験からくるものかもしれない。最初の感情は恥であり体裁の悪さだった。彼が失意を抱いてトロントに戻ってきた時、家賃が高くて自分で借りて住むことができなかったために、取り敢えず祖母の家に住み着いたのだった。

「最初の段階から自分自身との闘いだった」という。「それから、ある時点では、成長と成功、自立の追求などに対する深い不安感…それらが崩れ落ちていって、そこで残ったのは、ここでどうなろうと、それが自分なのだと認めなくちゃならないということだった。つまりね、祖母の面倒をみているコイツも、心底祖母を愛そうと思っているコイツも、祖母にできる限りの介護をしたいと思っているコイツも、みな同じ自分なのだということ。それが自尊心、アイデンティティ、力の源なのだって。二重人格になった自分がロックンロールとかパンク・ロックとか、なんでもいいけど、外にでかけていって演奏したりするのではない、ということだと思う。」

タナカは、こういった思いは彼にうわべだけの人間にならず、より良い人になることを強いた。なぜなら、力を注いでいた音楽創作は彼自身の自我を満足させる度合いは少なく、挑戦的な人生経験から何かを創り出すことのほうが満足度が高いと思ったからだ。

このような考え方の変化は、彼がそれまでの人生で抱いてきた不安感、恐れ、心の傷を乗り越えるきっかけとなり、人生の大いなる重荷や存在への苦悩、愛する人を失う痛みに耐え、愛を見つけて生命を育むことのできる人間へと導いてくれた。

「その投げ出すという行為なしには、いわば、生まれ変わることなしには、またそういった人生のサイクルを経験することなしには、生きる上で多くの側面をうまく操作するのは本当に難しいのだと思う」。

さらに、「自分でもわかっているんだ。そう、僕はうちでばあさんの面倒をみている少し変なヤツだということは認めるよ。パーティでウケる口八丁の男じゃないかもしれないけど、もっともっと大事なことを仕事としてやっているのさ」。

そんな悲劇にもかかわらず、タナカは今、自分は生まれて以来一番幸せだと感じているという。なぜなら、どれだけ多くの価値あるものを自分が人生の中に有しているかを理解したからだという。同様に、「介護記憶曲集」は社会的な声にならない多くの介護者たちの代わりに声となり、自分の痛みをオープンに語ることが、いろんな意味で癒しになるのだということを思い出させてくれるのである。 

 

*本稿は、「Redefine」マガジンに2020年11月30日に英語で掲載されたものの日本語訳です。
アルバム「介護記憶曲集」の背景ともなる祖母とタナカとのつながりについては、こちらの記事を参照 >>

 

© 2020 Vivian Hua

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