ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2021/2/17/george-iga/

ジョージ伊賀:シアトルからのバンクーバー朝日メンバー

2003年、伝説の強豪日系人野球団のバンクーバー朝日がカナダ野球殿堂入りを果たし、2005年には、BC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、選手や家族の所在が不明のため、多数の殿堂メダルが未渡し状態で残っていた。私の叔父の嶋正一選手も、その一人で、2014年に叔父に代り殿堂メダルをいただいた。私はそれをきっかけに、BC州スポーツ殿堂の未渡しメダリスト選手家族探しを手伝ってきた。そのいくつかの事例をこのサイトでも紹介してきた。

今回は、これら未渡しメダリスト選手の一人だった、シアトル旭チーム出身のジョージ伊賀選手の家族探しについて述べたいと思う。この家族探しは、シアトル大学のマリエ・ローズ・ウオン博士の多大な協力を得て実現した。

薩摩琵琶を弾くジョージ伊賀

1887年生まれのジョージ伊賀は、もともとシアトル旭のショートストップとして活躍していた。時折、国境を越えて、バンクーバー朝日とも交流試合を重ねていたので、その際に目をつけられ、1921年にバンクーバー朝日が日本遠征をする時助っ人として参加したようだ。船上では、チームにすぐに馴染み、航海中には、そのころ流行っていた薩摩琵琶を披露し、皆を和ませたという。

2017年6月、伊賀選手の家族の所在を求めて、インターネット検索をしていた時、私はシアトル大学のマリエ・ローズ・ウオン博士が 日系アメリカ人の野球を研究しているとの記事を目にし、早速博士に連絡を取った。

マリエ・ウオン博士自身は、伊賀選手家族の所在について知識はなかったが、ワシントン州Puget Sound Regional Archivesの岡崎みどりさんにも声をかけ、共にジョージ伊賀の調査にあたってくれることになった。同年7月、ウオン博士は ジョージの孫のダグラス辻井がシアトルにいることを突き止めた。

なお、ダグラスは、ジョージの末娘ケイコの息子だった。ジョージは1935年にカリフォルニア州ですでに亡くなっていたこともあり、ウオン博士から連絡を受けた際、ダグラスはそもそも祖父が立派な野球選手だったことさえ知らなかったという。

IGAと刻まれた野球バット

しかし、母親ケイコが亡くなった後に親しくしていた伯母のアキ林(旧姓伊賀)の遺品がダグラスの自宅にそのままの状態で放置してあった。アキが亡くなった際、その中身を確認することはなかったが、ウオン博士から連絡を受け、ダグラスは伯母の遺品の入った箱を初めて開けてみた。驚くことに、その箱には祖父ジョージ伊賀の名前が刻まれた野球バットをはじめ、野球ユニフォーム姿の祖父の写真や祖父が楽器を奏でている写真が入った古いアルバム、バンクーバーでの勝利を報じた新聞記事など、ジョージにまつわる様々な遺品が収納されていた。

ジョージ伊賀(上)とシアトル旭がバンクーバー遠征で2勝を報じた新聞記事の切り抜き。

ダグラスの祖父の遺品の発見については、2017年11月にシアトルの週刊新聞「North West Asian Weekly」が報じた。それによると、ダグラス曰く、伯母の遺品を整理した時に知識があったなら、もっと気をつけてみていたはずとのことだった。

私はこの情報を殿堂へ知らせた。その結果、2018年にダグラスは祖父のジョージ伊賀選手に代わり、殿堂メダルを受け取った。

ダグラス辻井

しかし、その翌年の9月、ダグラスは逝去してしまった1。彼の突然の逝去はまことに残念だったが、彼が亡くなる前に殿堂メダルを渡せてよかったと思うしかなかった。


注釈:

1. “Douglas W. Tsujii (1954 - 2019),” The Seattle Times, October. 20, 2019.


参照:

Asahi Baseball Association, “The Search for Asahi Families Continues,” Nikkei Voice, January 17, 2018.

 

© 2021 Yobun Shima

野球 ジョージ伊賀 殿堂 博物館 シアトル朝日(野球チーム) バンクーバー朝日(野球チーム)
このシリーズについて

カナダの伝説の日系人野球チーム、バンクーバー朝日は、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にBC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、1941年に戦争が勃発しチームが解散してから既に60数年たっていたため、多くの選手またはその家族と連絡が取れず、殿堂記念メダルの多くを引き渡すことができないままでいた。

バンクーバー朝日の最初の選手だったライターの叔父、嶋正一もその一人だった。退職後、偶然それを知った嶋氏は、バンクーバー朝日のことだけでなく、ブリティッシュコロンビア州の歴史など様々な資料に目を通した。その後、未渡し殿堂メダリストであるバンクーバー朝日の元選手やその家族らを探し始めた。このシリーズでは、今までの調査の過程だけでなく、元選手やその家族について紹介する。

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執筆者について

嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ち、その後、東京の海運会社に勤めた。彼の祖父母と3人の息子たちは、1907年ごろから順次カナダに移住した。しかし、1930年代までに、カナダ残留を選んだ一人の息子を除き、順次日本へ帰国をした。

2007年に定年を迎えた頃、伯父の正一がバンクーバー朝日の選手だったことを知り、それをきっかけにバンクーバー朝日の研究調査を開始した。現在は、ブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂の依頼に基づき、バンクーバー朝日の選手家族及び関係者の協力を得ながら、殿堂メダルを渡されていない選手や家族を探すボランティア活動を続けている。

(2018年10月 更新)

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