ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2020/6/26/8170/

第35回 土地を寄付、将来公園になるという 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。所有する森林にはさまざま鳥たちが集まってくると満足。アメリカでの植栽事業に意欲を燃やし、檜の苗木を5千本植え、パイナップルの苗は、広い土地にひとりで這いずるようにして植えていったという。地元の郡へ土地を寄付し、それが公園化されることになると報告。一方、日本の故郷にも同様の申し出をしたがなにも返事はなかったと憤る。

* * * * *

〈昨年5千本の檜を植えた〉

1972年3月1日

玲さん(姪)、お手紙、ありがとう。便りがないので案じていた。何か気に障った事をいったか、聞きたいと思った。

雑誌ガーデンライフ、ライブと庭、自然と…の内容見本を送ってくれ。色々心配かけた松の種子が生えだした。全部出そろえば、数千本、数年後には立派な盆栽になる。日本の庭作り、盆栽、生け花などは大はやりだ。

故国の杉山植林は夢となった。一寸先は見えぬ。地図を見ると、山ばかり、人間は増える、食物は減る。荒地のような山地に植えるより外なくなる。故国はあきらめたが、希望は失わぬ。この国で実現する事にした。第一に昨年五千本の檜苗を植え付けた。

今年も植付け予定だったが、苗不足で一本も植付けられなかった。自分で苗を作るほかないので種子を注文した。あんたには何の興味もなかろうが、外交、政治、教育、美術、宗教等無教育の私には何もいえぬ。

つまるところ、茄子や南瓜の話より出来なくなる。今日は3月1日、桃は満開、桜花に劣らぬ美しさだ。既に実を結び親指くらいになっている。4月上旬には食べられる。一帯は農園、花園で狩猟を禁止されている。森林は私の土地だけなので、あらゆる鳥達は集まっている。穀物はなにも作っていないので害はない。ただ、時々大切な果物をつつく位だ。

私はこうした自然に近い境界の中で気ままな生活をしている。孤独は気にならぬ。家事には誰も使っていない。黒人の女云々は何か思い違いだろう。今日は久し振りに、店へ買い物にいった。食料品はなお値上がりを続けている。特に野菜類の高値には驚いた。

ここは生産地だ。上物のトマト一斤45セントから50セント、握りこぶし位の茄子が一個30セント、八寸位の胡瓜が15セント、こんな調子だ。私は値にかかわらず買わぬ。近所から沢山貰える。遠い親類より近いお隣りだ。


〈パイナップル苗を手で植え付ける〉

1973年3月26日

玲さん、お手紙と新聞切り抜き有り難う。誰でも花は好きだと言うが、真に好く人はあまりない。クリスマス等で美しい鉢植えを貰っても一週間か十日で枯らしてしまう。この辺には年中野生の草花が咲いている。

花の好きな人は空き缶や底の抜けたバケツ等に植えて庭先やポーチで皆楽しんでいる。花を好く人は大抵優しい人だ。近年この国は日本の生花が大流行、特に日本生れの婦人で少し素養のある人は先生になって好い金儲けをしている。戦前日本では良家の娘さんは嫁入りの準備に生花を習った。

三濱さんや樋口さんには立派な教養や住宅があり、費用も教会本部持ちだ。お母さんにはこれがない。長屋のような持屋一軒で、信者がお参りして説教を聞き、歌ったり踊ったりするだけだけだ。

お母さんは教会長だと言い張るが、事実が証明していない。本を読めばわかる。本は送ってあげていいが、送るとまた買わねばならぬ。安上がりな、いい方法はあんた自身で一冊買うのだ。店になければ教会本部の図書館にあると思う。本の名は「日本の新興宗教」。著者は高木宏夫。発行所は東京都千代田区神田一ツ橋2−3岩波書店。代価は百円だ。

ここ3日間無理してパイナップル苗の植え付けを手でした。足は何の役にもたたぬが、古パンツを二足はいて地べたをいざった。疲れているし、今朝は久し振りで雨が来たので仕事は休んで、この手紙を書く事にした。

パイナップルの苗をひとり植える助次(© 撮影・提供: Akira Suwa [諏訪徹])

雑誌「陽気」で見ると日本も随分変わったようだ。人心の廃頽は、この国以上だ。日本は幸福過ぎたようだ。これは悪いことでこの反動はきっと来る。油断してはならぬ。

次の本を頼む。

「憎悪の日米関係」(荒井好民著、大成出版社)
「袋たたきの日本」(武山春雄著)
「株式会社日本米国商務省」
「傷だらけの日米」(朝日新聞社)
「自然食の秘密」(栗山毅一著)


〈財産は公共の為にと考慮中だ〉

1973年3月×日

玲さん、「中心」と「陽気」(ともに雑誌)、うけ取った。ありがとう。暇な時また読み直す。三度位読めば大体解かる。渡米直前のこの頃は京都に居た。嵐山の桜は既に散り果てて青葉だった。鴨川の流れで、きれいな娘さん達が青物を洗っていた。

この頃はまだラバーブーツがなかったので、小型の深い盥をはいて居た。京都の御飯はおしかった。江州米とかで給仕のお梅どんを驚かせた。そのころの京都は寂しかった。人口が3倍になった今は如何か。

松の種子は殆ど生えそろった。予想に反してずっと少なく、さらに鳥に数百本引き抜かれた。黒鳥というツバメ位の小鳥で群れをなしてやって来る。苗床を荒らすのは初めてだ。初め鉄砲で脅したが効かない。止むなく30羽ばかり撃ち殺した。さらに、近くの花作りの友人から日陰用の網を借りて来て苗床全部を覆った。

これでまず一安心だ。それでも時に二、三羽が隙からステークーアタックをやる。見つけ次第撃ち殺す。パイナップルやパパヤ等は兎や鼠の害がひどい。一個50セント、一弗もするのを食い荒らす。兎は大抵撃つ。鼠は数も多いので毒により外ない。

こちらは早夏だ。昼間は裸で過ごすが、夜間は、ずっと涼しくヒーターは要らぬ。毎日の好天気、風も余りない。北からの避寒客も帰りだした。相変わらず家はどしどし建って行く。夏中続くだろう。

デルレービーチは今、定住人口が3万人位だが、五年後には十万以上の見込みだ。土地は広いが、山も河もない。平坦地で給水と排水が難問題だ。

あんたは今教会に住んで居るので自分の事は皆後回しだという。何が教会かと尋ねたが返事がない。なお、お母さんと同居と思っていた。本で見ると、一介の布教師。教会もなければ、教会長でもない。信徒からの寄付だけが収入。本部からの補助もなく家賃も、雑費も自弁。話と事実は雲泥の差だ。何が何だか分からなくなった。あの提供の一万弗も止む無く取り消すより外なくなった。

私はかなり多く公共や個人に尽くしてきたが、結果が期待に反する事が多いので今は方針を変えた。私にはかなり大きな財産がある。死ねば用はない。何かと面倒な個人的な事はよして、一纏めにして公共の為に使った方がよくはないかと思う。考慮中だ。

既に五千本の檜を手初めに植え付けた。苗が不足し、思うようにいかぬ。苗木を作って種子の注文した。あんたには何の興味もなかろうから止める。私の健康は変化もない。よくもならず、悪くもならず、腰に手をあてチンバ引いている。

どこか旅に出たらどうだ。一望千里の日本海岸、新鮮な野菜や魚類がふんだんにある漁村で知り合いはないのか。瀬戸内海、宮津辺りもいい。旅は一人で、若いうちだ。年取っては役にたたぬ。考えてみてはどうか。


〈トラクター事故で大怪我〉

1973年6月16日

玲子さん、長らくご無沙汰した。済まんと思いながらも病気で書く気になれなかった。トラクター事故で大怪我して、生きているのが不思議な位だ。まだ怪我が痛く寝て居り、何も出来ん。日の長い事。読むのが唯一の楽しみだ。送ってくれた日本の雑誌で大助かりだ。

引き続き送ってくれ。50弗、為替で送る。去月15日は私の記念日だった。67年前、着いた日だ。この頃はだれも来ないので話相手もいない。皆、避暑に出かけて留守がちだ。

今、丁度、バナナ、マンゴー、パパイア、アボガド等が出盛りだが、雨が多いので腐りが多い。雨に強いパイナップルさえ長持ちせぬ。日本はミカンが豊作で持て余しているとか。こちらは世界一の生産地だが、そんな様子はない。値さえ上がった位だ。

今度、百十五英町の土地を郡の公園として寄付する事にした。お世話になったお礼として多年の念願で一流の公園としての完成は約三年を要する。時価一百万弗位だ。故郷の宮津にも似たような申し出をしたが、返事もこなかった。こちらでは当局は勿論、公衆いっぱんは大喜びだ。

何か困ると頭をペコペコさげ、三拝九拝するが、すこし調子がよくなると鼻もひっかけない。これが日本人の根性だ。夏になると文殊(注)を思い出す。よく釣りに出かけた内海(阿蘇海)では、アジ、コチ、ハゼやタコ等がよく釣れた。お寺の前にホテル兼レストランがあった。

名物のチエの餅(あんころ餅)や 田楽(コンニャクに焼きミソを塗ったもの)を売っていた。私はどちらも好きで五銭をはずんだ。その頃は避暑客も殆どなくさびしかった。橋もなく、橋立には船で渡った。

長い事、日本の誰とも話さない。こちらが書かんと忘れられても仕方がない。送ってあげたい本や雑誌は少なくないが、……では何の役にも立たぬ。食欲があまりない為か、年からか、痩せ細った。顔はあまり変わらない。近影、一葉送る。

(注)文殊=宮津市の天の橋立に面した臨済宗妙心寺派の名刹・で智恩寺のこと。奈良県桜井市の安倍文殊院、山形県高畠町の亀岡文殊とともに日本三文殊のひとつ。

二伸

下記の本を送って呉れ。

「カキの栽培と利用」(東京・文京区東大正門前、養賢堂発行)
「月刊人間医学」(大阪市北区……)
「長寿村ニッポン紀行」(近藤正二著)
「趣味の盆栽」(東京・文京区音羽・・・)
「朝日新聞日曜版」


玲子さん

森上農事試験場試作用に、航空便にて成り丈新しい(種子の?)キャタログを願います。1973年キャタログより、新しいキャタログを送って下さい。

トマト、枝豆、しろうり、水瓜、とがらし、めろん、かぼちゃなど(53種)を、各一袋、送ってください。

(敬称略)

続く>>

 

© 2020 Ryusuke Kawai

農家 フロリダ州 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) 森上助次 アメリカ合衆国 ヤマトコロニー(フロリダ州)
このシリーズについて

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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