ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2018/5/11/uwajimaya-11/

第11回 シアトルからタコマへ

ワシントン州のシアトルやタコマが日本人移民の町として栄えたのは、サンフランシスコやロサンゼルス同様に、日本からの定期航路が開けた地であったことがその大きな理由である。

日本から北米への航路は1896(明治29)年、日本郵船が香港—日本—シアトル間に定期航路を開いたのがはじまりだった。同年8月1日に神戸を出港した三池丸が横浜を経由して、途中臨時でホノルルに寄り、8月31日にシアトルに入港した。

シアトルへの航路を開いたのは、シアトルを起点にした大陸横断鉄道と提携することで東海岸から貨物を船便で太平洋に輸送することをねらったからだった。また、サンフランシスコへはすでにアメリカの船会社が航路を開いていたため競争を避けたこともある。が、この点については、1898年に東洋汽船が果敢にもサンフランシスコ航路に参入した。

その後アメリカ西海岸における排日の雰囲気は徐々に高まり、1908(明治41)年には日本からアメリカ本土への移民を制限する協定が日米間で結ばれる。こうした情勢ではあったがこの翌年、大阪商船が貨物を主とする航路をタコマへ開き、「たこま丸」などが香港—日本—タコマを行き来した。

しかし、この航路は1914(大正3)年にパナマ運河が開通し、需要が減少したことで1931(昭和6)年で廃止となる。


まずは鮮魚の卸で働く

森口富士松がアメリカに渡ったのは1923(大正12)年で、すでにシアトルにもタコマにも、こうした航路を利用して日本からやってきた移民・移住者たちがコミュニティーをつくり日本町が形成されていた。

さかのぼれば、1880(明治13)年の米国の国勢調査ではワシントン州に居住の日本人は一人だった。その後、鉄道工事現場をはじめ製材所、農園、鮭缶詰作業所などで働く日本人が増えていき、1922(大正11)年には、居住者は2万2000人余りに達していたという。このなかにはレストラン業やホテル業、グロサリー業、小売業、理髪業などを営む者も多数出てきた。

こうして発展してきた日本町のなかで、ワシントン州に足を踏み入れた富士松もまた働きはじめた。同郷の友人宅に滞在しながら、タコマのレストランで働くなどさまざまな仕事についた。そして最終的にはシアトルの日本町のメイン・ストリートにある「メイン・フィッシュ・カンパニー」という魚卸商会で働くことになった。

店の創業者である木原岩吉は、1889(明治22)年にアメリカにわたりシアトルにやってきて、1902(明治35)年に鮮魚の小売りをはじめた。その後6番街にも店舗を構え、吉田将と共同で精肉部も併設した。

また、二人の弟、留市と市松を日本から呼び寄せて共同で鮮魚卸業をつづけ、さらに店を会社組織にした。1927(昭和2)年には海岸通りの埠頭に移転して、直接漁船から荷揚げをするなどし事業を拡げ、全米に販路を拡張したという。

日本町では、移民してきた日本人を相手に、米やみそ、しょうゆなどの食品、食材を提供する商売が盛んで、メイン・フィッシュ・カンパニーもその一つだった。富士松はここで魚の扱いを学ぶと同時に、シアトルの日本人を顧客としてさまざまな商売を立ち上げ成功した岡山県出身の蔦川彰三(Tsutakawa Shozo)と知り合った。

森口富士松が働いていた「メイン・フィッシュ・カンパニー」(「北米百年桜」伊藤一男著、北米百年桜実行委員会、1969年より。)   

蔦川との交流は公私にわたって富士松の後の人生に大きな影響を与えることになるのだが、まずは蔦川のビジネスの仕方などをみて学んだ富士松は、自分でも商売をはじめようと考えた。そこで思いついたのが、日本にいるとき宇和島で培ったカマボコやじゃこてん作りの技術を生かし、これらを製造販売することだった。他の者には簡単にはまねのできない手仕事だった。

メイン・フィッシュ・カンパニーをやめた富士松は1928年、タコマの日本町に拠点を構え、「宇和島商店(のちの宇和島屋)」を開いた。同時に人手がいると考え、愛媛にいる8つ年下の弟、才助を呼び手伝ってもらうことにした。

かつて宇和島商店があったタコマの日本町(2017年撮影)  

富士松は、毎日午前中にカマボコなどをつくると、午後にトラックの荷台にのせて周辺地域で鉄道工事や漁業関係や林業の仕事に従事する日本人労働者が集まるところへ売りに出かけた。

富士松が外を回っている間は、才助が店を切り盛りした。また、毎日の定番商品のほか、正月料理として伊達巻や板付きカマボコやゴボウ巻きなどをつくって提供していき、商売は徐々に軌道に乗っていった。

(敬称略)

参考:「米國日系人百年史」(新日米新聞社、1961年)

 

© 2018 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

アメリカ・ワシントン州シアトルを拠点に店舗を展開、いまや知らない人はいない食品スーパーマーケットの「Uwajimaya(宇和島屋)」。1928(昭和3)年に家族経営の小さな店としてはじまり2018年には創業90周年を迎える。かつてあった多くの日系の商店が時代とともに姿を消してきたなかで、モリグチ・ファミリーの結束によって継続、発展してきたその歴史と秘訣を探る。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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