ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/3/17/chinchikurin/

「ちんちくりん」へ

広島お好み焼き店「ちんちくりん」

「白人に食べさせたい」

ソーテル通りの広島お好み焼き店「ちんちくりん」

金曜日の夜、ソーテル地区ではなかなか路上駐車のスポットが見つかりません。2度ぐるぐる回った末、やっとラグランジ通りのソーテル通りから2ブロック西にいったところにスポットを見つけ、そこに車を停めて、ソーテル通りまで歩きました。

ソーテル通りまで来て南へ向かうと、両側にはさまざまな店のネオンサインが連なっていました。通りの西側が特に賑わっているように見えました。長い行列のできている店も少なくなく、場所によっては、数軒に及ぶ長い列ができていました。

ミシシッピ通りを渡ると、俄然店の数は多くなります。ラーメン屋、寿司屋、居酒屋、カレー店、豚カツ店、焼き鳥屋などの日本食レストランをはじめ、中華料理店、韓国料理店、アメリカ料理店、BBQレストラン、ハンバーガー店、ホットドッグ店、メキシコ料理店、それに、デザート系のアイスクリーム屋、チョコレート専門店、ジュースバー、コーヒーショップ(喫茶店)などなど。日本のマーケットや小売店もあります。

ラグランジ通りからオリンピック通りまで、飲食店だけでもざっと50店が軒を連ね、まるで東京の繁華街のような人込み。それにソーテル通りの狭さも手伝って、余計に混雑した感じを与えています。

「ちんちくりん」のあるソーテルセンター

ミシシッピ通りとオリンピック通りの間のソーテル通り西側にはソーテルセンターと呼ばれるモールがあり、13の店舗が並んでいます。うち10店は飲食業。そのひとつが、今回私が目指しているまだオープンして間もない広島お好み焼きの「ちんちくりん」です。

「ちんちくりん」は広島市に本社があるケーツーエス(株)が広島に10店舗、東京に3店舗を展開している広島風お好み焼き店で、ソーテル店は、米国進出の第一号店として、2017年1月にグランドオープンしました。ソーテル地区は飲食店がひしめき、競争が厳しい。それなのに、なぜソーテルに? そんな疑問がふと心をよぎりました。その答えは後ほどオーナーの川上博章さんが明らかにしてくれました。

独特のメニュー

順番を待って「ちんちくりん」の店内へ入ると、お客で満席。カウンターもいっぱいでした。

テーブルについて、まず当然のごとく、メニューを見ました。通常のレストランのものとはちょっと違っていました。店で出しているもののリストは言うまでもありませんが、それに加えて「ちんちくりんの歴史」「鉄板事業の紹介」「広島お好み焼きの歴史」「広島県の紹介」「オタフクお好みソースの歴史」などが日英両語で綴られています。それぞれとてもしっかりした内容で、博物館の案内書のような趣です。

ちんちくりんのメニューに紹介されている広島市の歴史

オーナーの川上博章さんに、なぜ詳しい歴史をメニューに含めたのか聞きました。

広島市には「お好み焼きととともに歩んできた」というオタフクソース社があります。そのオタフクソース社が、同社の近くにお好み焼きの博物館「Wood Egg お好み焼き館」を作りました。そこでは、お好み焼きの文化や歴史の展示だけでなく、お好み焼き教室、お好み焼き店開業案内などを行っています。お好み焼き館は、お好み焼きに親しんでもらう場を提供するのはもちろんのこと、お好み焼きを日本全国に、そして世界に広めるための、まさに「基地」になっているのです。

「ちんちくりん」のメニューは、そこの資料を参考にして、川上さんの会社のデザイナーが作成したものと説明してくれました。なるほど、メニューがしっかりした内容になっているはずです。そこには、お好み焼きを世界に広めたいという川上さんの願いが込められているのです。

特徴はレイヤー

広島風お好み焼きをちょっと説明しておきましょう。

大阪などのお好み焼きは、生地と具を混ぜ合わせて焼きますが、広島風お好み焼きは、小麦粉を水で溶き、薄く伸ばして焼いた生地の上に魚粉、キャベツ、揚げ玉、ネギ、モヤシ、薄切り豚肉、焼きそば麺、タマゴといった具を順に載せていくという、いわゆるレイヤーにするのが特徴です。

「広島お好み焼き」

広島の市民にとって、お好み焼きは特別な意味を持っていました。

広島では戦後間もなく、バラックがかつての中心街に建ち始め、アメリカ軍から支給されたメリケン粉(小麦粉)と少量の野菜を使用して焼いたものが売り出されました。これは、食糧や生活に必要な物すべてが不足している中、戦前に子どものおやつだった「一銭洋食」に替わるものとして市民に供するようになりました。お好み焼き屋の誕生です。当時は充実した調理器具はなく、闇市や廃材から入手した鉄板を練炭の上に置き、調理していたと言われています。その後、街中に屋台がどんどん増え、1970年ごろになると、自宅の一角を使ってお好み焼き屋を営業する人も増えていきました。すなわち、現在の広島の復興を支えてきたのが、お好み焼きだったということです。

広島生まれの川上さんも、子どものころからお好み焼きを食べて育ちました。お好み焼きには強い思いがあります。

「ちんちくりん」の歴史

「ちんちくりん」は1999年に川上さんが広島市内で始めたお好み焼き店です。県内には約1600店舗のお好み焼き店があり、ライバル店がひしめく中、町の路地に入ったところに、わずか8席だけの小さな店を始めました。「ちんちくりん」という店名は、背の低かった川上さんに付けられたあだ名からとったものだそうです。

開店当初の営業はなかなかきびしかったようです。でも「広島で一番おいしいお好み焼きをつくろう」と頑張った甲斐あり、次第に状況は好転、少しずつお客さんが増え、広島中に評判が広まりました。今では広島お好み焼き専門店として日本でトップの店舗数です。

オタフクソースとともに

そうした「ちんちくりん」の繁盛を支えた鍵が二つあります。その一つは、お好み焼きを焼く鉄板です。

オーナーの川上博章さん

元機械設計士の川上さんは開業後、美味しいお好み焼きを作るためにはお好み焼きに適した鉄板が必要と考え、自ら鉄工場を回り、独特の鉄板を開発しました。その鉄板の評判が良く、その後、他のお好み焼き・鉄板焼店の店舗の設計、設備の導入も手掛けるようになりました。「ちんちくりん」を開業して6年後、お店を続ける傍ら、かつての級友である村竹真一さんとケーツーエス社を設立し、鉄板事業を本格化しました。現在では日本で業務用鉄板のトップシェアを占めるようになり、海外へ鉄板機器の輸出もしています。

もうひとつの成功の秘訣は、お好み焼きのソースです。

「ちんちくりん」では一貫してオタフクソースを使っています。このオタフクソースは、広島市で1922年に創業した佐々木商店(現オタフクホールディングズ社)が、戦後に製造・販売を開始したものでした。

佐々木商店は1938年に「お多福酢」の製造を始めたのですが、戦争で全廃。戦後、醸造酢の製造を再開したのに続き、1950年からソースの製造・販売を始め、52年にお多福造酢会社を設立して、同年「お好み焼きソース」を発売しました。以来、お好み焼き屋さんとともに長い年月をかけて試行錯誤を重ね、今のオタフクソースが完成したそうです。文字通り「お好み焼きととともに歩んできた」歴史でした。

オタフクソースの海外普及に努めるオタフクソース社は、1988年には米国法人オタフクフーズ・インクをサンタフェスプリングズに設立、2013年にロサンゼルスに製造工場を設けました。

川上さんは、オタフクフーズ社と「ちんちくりん」との関係について、「双方にメリットがあり、お互いに協力しあっている」といいます。「お好み焼きが売れれば、ソースが売れ、鉄板も売れる」という相乗関係です。「広島の文化を広める」という思いでも一致しているとのことです。

ソーテルのトラフィック

「ちんちくりん」の米国進出に際して、オタフクフーズ・インクの小澤孝充社長が場所探しを手伝いました。

ちんちくりんの米国進出にあたって、最初の大きな課題は場所の選定でした。川上さんは当初、ロサンゼルスの日本人街、リトル東京を考えていました。しかし、適当な場所がなく、日本人や日系人が多く住むサウスベイ地区など他の候補地も見て回りました。

空いているところはいろいろあったのですが、何か求めていたものと違ったそうです。

ソーテル地区を見た時「トラフィックが違う」と思ったそうです。ソーテル地区には他のところになかったものがありました。トラフィック、つまり、人通り・人込みです。大勢の人々が行き交う賑やかな雰囲気。日系や日本人だけでなく、アジア系、そして白人も多く集まっていました。

川上さんは「お好み焼きを白人はじめ、一般のアメリカ人に食べてもらいたいと思っていた。ここには白人も大勢来ている。それで、ソーテルに決めました」と説明してくれました。

お好み焼きを世界に。そのための足がかりとして、ソーテルはぴったりの場所だったのです。

こうして、米国初の広島お好み焼き店がソーテルにオープンしました。12月にソフトオープンした時点で、すでにお店の外に行列が出来るほどの人気。川上さんの期待通り、アジア系や白人など非日系のお客さんがかなり多いそうです。

川上さんは次のステップについての夢も語ってくれました。「お店でお好み焼きのファンになった人たちが、お好み焼きの研修施設で研修を受け、そういう人たちがどんどん店を出していく、そうしてみんなで店舗を広げていきたい」

「ちんちくりん」で広島風お好み焼きを食べ、店を後にしました。車まで戻る途中、チョコレート専門店に入り、ホットチョコレートを注文。それを手に車を停めた所まで。車についてフロントガラスを見ると、封筒がワイパーのところに挟まっていました。駐車違反のチケットでした。停めたところは、特定の時間帯は地域住民だけが駐車できるようになっていたのです。なるほど、込み合っているソーテル。駐車にも気をつけなければ、と思ったものでした。

 

© 2017 Yukikazu Nagashima

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このシリーズについて

ウエストロサンゼルスのソーテル地区が2015年、ロサンゼルス市議会の賛同を得て「ソーテル・ジャパンタウン」と命名され、標識がソーテル通りとオリンピック通りの角に設置された。日本の商店やレストランが集中する地区として年々賑やかさを増しており、まさに「ジャパンタウン」の命名はふさわしいだろう。だが、この地区は長年「リトル・オーサカ」と呼ばれ、すでに日本人街であることをアピールする名前を持っていたことも事実。それなのに、なぜ今「ソーテル・ジャパンタウン」なのだろうか。命名の経緯をたどるとともに、地域の住民や商店主などの反応を聞いた。

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執筆者について

千葉市生まれ。早稲田大学卒。1979年渡米。加州毎日新聞を経て84年に羅府新報社入社、日本語編集部に勤務し、91年から日本語部編集長。2007年8月、同社退職。同年9月、在ロサンゼルス日本国総領事表彰受賞。米国に住む日本人・日系人を紹介する「点描・日系人現代史」を「TVファン」に連載した。現在リトル東京を紹介する英語のタウン誌「J-Town Guide Little Tokyo」の編集担当。

(2014年6月 更新)

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