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第8回(後編) 日系人に教わった、学校で教わらなかった基礎英語

オアフ島最西端の大自然

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それではLさんに直してもらった英語表現について、エピソードを交えながら紹介することにしよう。単純な間違いの修正や、文法の間違いなどは取り上げても面白くないし、手前味噌だが文法については私はほぼ基礎を身につけていて、あまり間違えることがないように思う。そこで、直されて初めて知ったり、意味を知って驚いたりしたものに絞ってみたい。それらは学校英語ではおそらく習ってないはずのものである。記憶に不安はあるけれど。


meetとsee

2001年から2002年にかけてハワイに住んでいた。2002年3月に帰国して、すぐに6月の小学校の卒業式に出席するためにハワイに行った時のことである。私は2ヶ月ほど前に別れた友人たちに再会し、“Nice meeting you (again)!” と言いながらハグをした。(英会話に長けている人は、もうそのおかしさに気づくだろう。)その時、友人たちが私から微かに距離を置いた感じがした。彼らはMさんLさんのバンドのメンバーであり、ガレージパーティにもよく来る友人たちだった。ニコニコして私たちの再会を喜んでくれていたLさんが、すかさず「アレ?ハジメテ?」と日本語で私に尋ねた。友人たちもその日が初対面だったかと一瞬疑問に思ったのだ。それはなぜか。

“meet”は初対面の挨拶に用いられ、2回目以降は “Nice seeing you” や “Nice to see you” を使うことになっているのである。だが、学校英語では習った記憶が全くない。何ということだろう。人間関係を育む一番最初の挨拶ではないか。私は既にいろいろな場所で繰り返し間違いを犯してきたことになる。学校英語に加えて英会話を習った日本人には常識なのだろうが、私にはその経験がない。大切な友人知人に再会するたびに「初めまして」と言って「アレ?ハジメテ?」と思わせていたかもしれないのだ。


mayとcan

学校英語では、“May I ~?” はイギリス英語、“Can I ~?” はアメリカ英語だと教わり、すっかり信じ込んでいた。ハワイでもこのフレーズは多用する。フィールドワークはある種「物乞い」でもあるので、日に何度使うだろうか。少し丁寧に “May I ~?” と言ってみたり、気軽に”Can I ~?”と言ってみたりしていたが、Lさんにその違いを訊ねてみた。これはごく最近、2014年頃のことである。すると予想もしない説明が返ってきた。

「そうねえ、ハッキリ違うわね。それは話者の意思。“May I ~?” を使う時はNoという返事を想定していません。Yesだけを期待して訊ねる時に使うわね。“May I ~?” と訊かれた側もそれは了解しています。“Can I ~?” の場合は、返事にはYesもNoもある。」とのことだった。これも学校英語では習っていない。

このことを知らないで私はフィールドワークを続けてきたのである。Mayを多用していれば、相手にこちらのはっきりした意思が伝わって、もっとスムーズにフィールドに入り込めたかもしれないのに。そしてまた、“I want to ~” とか、少し柔らかく “I’d like to ~” のようなこちらの主体的な意思の表明ではなくて、“May I ~ ?” という疑問文だったら、相手に決めさせる形をとりつつも自分の意思を明確に伝えることによって、フィールドでの居心地ももう少し早く良くなったかもしれないのに。

ハワイに20年以上通っていると、さすがに日常会話も少しずつうまくなってきた実感はある。それとともに自分の英語の訛りを自覚することも多くなってきた。英語を習い始めたのは中学校からだから、単語の日本語訛りはどうしようもない。ネイティブの発音が身につくかどうかの「10歳から11歳の壁」というのがあるらしいし、私の1本目の修士論文の調査でも、小学校5年生以降に渡米・渡英した子どもたちは、揃って英語で苦労をしていた。だから私が発音で訛るのは仕方がない。

いつの間にか疑問文の文末を上げなくなっているし、三単現(三人称単数現在形)のSを省略しても平気になってしまっていた。Mさんのように “He do ~” や “She don’t ~” と言ったり、「二重否定」を「否定の強調」として使ったりすることはないが、アメリカ本土で仕事をする時に「ハワイから来たのか?」とか「本土以外のどこかに住んでいたでしょう?」と言われることがたまにある。なぜだかLさんは、イントネーションと三単現のSについては直してくれていない。

フィールドワークに疲れた時にはハレイワのクア・アイナ

私が通っている小学校のすぐそばに古い古い食堂がある。ガラス張りの外観は時代とともに「すりガラス」になっていて中がよく見えないので、日本人旅行者はまず入ってこない。その店で、MさんとLさんと三人でランチをとっていた時のことである。Mさんの幼なじみが店に入ってきた。するとMさんは、それまで三人で英語でお喋りをしていたのをやめ、その人とピジン英語で話し始めた。Lさんは、「ほらごらんなさい。Mはピジンにスイッチしたでしょ。わかる?」と言った。別の言葉に変えたな、とは思っていたが、二人が喋るピジン英語はさっぱり聞き取れなかった。今でもピジン英語を聞き取る力はさっぱり身についていない。

ハワイの日系社会に入り込むには英語ができることが必須である。あたりまえのように思えるが、中でも表現する力がとくに大切だと感じる。人に紹介される時は、“He understands English.” ではなく “He speaks English.” と例外なく言われる。コミュニケーションの意思を見せることが大事だということだろう。

2001年に出会ったMさんは2005年頃までは不機嫌そうに見えた。大変親切なのにぶっきら棒な感じがした。それが2006年にはよく笑うようになった。Lさんとともに三人で出かけることがほとんどだったのが、Mさんと私で食べたり遊んだりすることが増えていったのだ。ガレージでビールを飲み、ハワイの生活の様々なことやハワイアン・ミュージック、物の見方や考え方、判断のつけ方に至るまでのあらゆることを、今でも噛んで含めるような語りで教わっている。

なぜMさんは笑うようになったのか。思い返してみると、私はその頃Mさんのハワイ訛りが突然聞き取れるようになった。そのためMさんに私が聞いてわかっているということが伝わり、Mさんは安心して私に喋ることができるようになったのだろう。Mさんは本当はよく笑う人だったのだ。

日系三世のMさんは四世たちの口数が少なく、何を考えているのかわからないと嘆いている。日系人は我々日本人とルーツを同じくするが、「以心伝心」という言葉のように、物言わずとも分かり合えるといった考え方は持っていない。ハワイの日系社会はコミュニカティブ、すなわちコミュニケーション豊かな社会なのである。そういえば、ガレージパーティではいつも誰かが喋っている。

 

© 2017 Seiji Kawasaki

ハワイ アメリカ 教育 日本 英語
このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。

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執筆者について

1965年愛媛県松山市生まれ。筑波大学第一学群社会学類法学主専攻卒業。筑波大学大学院修士課程教育研究科修了。筑波大学大学院博士課程教育学研究科単位取得退学。東京学芸大学教育学部専任講師、助教授、准教授、ハワイ大学教育学部客員研究員(2001-2002年、2008年)などを経て、現在、東京学芸大学教育学部教授、博士(教育学・筑波大学)。専門分野は社会科教育・多文化教育,ハワイ研究,授業研究方法論。著作は『多文化教育とハワイの異文化理解学習―「公正さ」はどう認識されるか(単著、ナカニシヤ出版、2011年)ほか。

(2014年7月 更新) 

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