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ある四世の考察

ディスカバー・ニッケイ10周年を迎えて

ディスカバー・ニッケイ10周年を迎えて
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ディスカバー・ニッケイは、昨年3月に公開10周年を迎えました。アニバーサリーを記念して、当プロジェクト・マネージャーの西村陽子さんから記事の執筆を依頼されましたが、何を書こうかと悩むうちに1年以上が過ぎてしまいました。10周年のお祝いの1年がもうすぐ終わります。もうこれ以上、後回しにはできません。

当初はディスカバー・ニッケイ・プロジェクトの歩みや成果に真っすぐ踏み混んだ記事を書く予定でしたが、うまくいきませんでした。我が子のように感じているプロジェクトについて何を書くべきか考えた時、私は自分のアプローチ方法が完全に間違っていたことに気付きました。ディスカバー・ニッケイは、たくさんの重要な事実や情報を発信していますが、本当の醍醐味は、個人的なストーリーを共有し、世界中の人々をつないでいることです。

私は、自分自身の個人的なストーリーやつながりについて思いを巡らし、ディスカバー・ニッケイのどんなところが大好きなのか、考えてみました。そして思い出したのが、子供時代のことでした。このプロジェクトに親近感を覚える根底には、私が子供時代にしていたことが大きく関わっていると思いました。

私は、かなりの恥ずかしがり屋で内向的な子供でした。日系二世の母方の祖母に似たのでしょう。ずっと本を読んでいるような子供でした。祖母もいつも何か読んでいました。読めるものは何でも。新聞、「ナショナル・エンクワイアラー」(タブロイド紙)、恋愛小説、恋愛物中心の娯楽雑誌(私の家族には、こういった雑誌を祖母に購入した時の面白い話がたくさんあります)、絵本に至るまで、全てです。

母もよく読む人でした。戦後日本で育った母が読むのは、日本語のものがほとんどでした。私の知識欲は母譲りだと思います。母はブルーチップのクーポンを使ってものすごく重くて分厚い辞書を購入し、英語の勉強や、言葉の意味を調べる時に使っていました(今でも使っています)。クロスワードパズルを解く時は、特に重宝しています。

母は専業主婦でした。父は忙しい人で、週に7日働くこともありました。私は両親を尊敬し、物を欲しがったりすることはほとんどありませんでしたが、本だけはすぐに買ってもらえました。今でもあるかどうかは分かりませんが、私が小学生の頃は学校で推薦図書の購入ができました。注文用紙が配られると、私は自分で欲しい本を選び、両親からお金をもらいました。毎回本が届く日を楽しみにしていました。そして、届いた本をバックパックいっぱいに詰め込み、歩いて家に帰りました。

一時期私は、無邪気にも図書館司書になることを夢見ていました。いつでも手に届くところに本があり、1日中読んでいられると思ったからです。でも、なぜかは分かりませんが、図書館を利用することはほとんどありませんでした。その代わりに私は、本を集めて自分の図書室を作り、司書になることにしました。自分で買った本や家族にもらった本を棚いっぱいに並べ、「ビッキー&ジューン図書室」を始めました(妹のジューンは、長年に渡り、私のさまざまな挑戦に付き合ってくれています)。一体なぜ図書室を作ることにしたかは覚えていませんが、2、3年ほど続けたと思います。一時期は日付スタンプまで用意し、タイプ打ちしたニュースレターを発行し(父が職場でコピーしてきてくれました)、しおりコンテストやイベントを開き、本を買う資金集めのためのちょっとしたパーティーも開きました。図書室のメンバーは家族や友人たちでした。何年もしないうちに燃え尽きてしまっていたと思いますが、ニュースレターの原本は今でも持っています。

1983年、12歳の時に書いた図書室ニュースの原本

当時の図書室の活動を振り返ると、現在の全米日系人博物館、特にディスカバー・ニッケイの仕事とたくさん共通点があるように思います。ディスカバー・ニッケイはストーリーの収集と発信、プログラムの企画、E-ニュースレターの配信やコンテストもしています。ありがたいことに、たくさんの方々がプロジェクトの構築、維持、発展に力を貸してくださっています。私自身は、以前のようにディスカバー・ニッケイに関わることはなくなりましたが、プロジェクトは順調に進んでいます。妹のジューンは、ディスカバー・ニッケイのボランティアとして欠かせない存在になりました。

時々皮肉に思うのですが、陽子と私はグローバル・ネットワークの維持と発展に責任を持つ立場にありながら、2人ともスポットライトから一番遠いところで黙々と仕事をしています。内向的な私としては、人とバーチャルな関わりを持つ方が楽なのです。もちろんみなさんと直接お会いしたこともあり、楽しい経験でしたが、数えるほどしかありません。

このプロジェクトに関わったことで、私は様々な意味で自分の安全地帯から外に踏み出すことができました。ここ何年かの間にディスカバー・ニッケイのプレゼンテーションをする仕事や、たくさんの方々とお会いする機会がありました。かつての私は、表に出ることに強い苦手意識を持っていました。今後も完全に慣れることはないでしょう。でも、心から誇りに思うプロジェクトについて発表することで、自分に自信をつけることができました。今では人前で話すことを以前のようにプレッシャーには思いません。

人との対立に強いストレスを感じる私は、活動家になることは決してないでしょう。でも、ディスカバー・ニッケイを通して人々のつらい過去や歴史に関わるストーリーを発信し、世界がより良い場所になるよう自分にできることをしてきました。絆シリーズもその一つです。東日本大震災後の日本を支援するニッケイのストーリーを紹介しました。また、アルゼンチンのクーデターによる軍事政権時代に父親を誘拐された日系アルゼンチン人のストーリーを掲載できたことは、私の誇りです。このストーリーは、憎しみや不寛容の蔓延が引き起こした痛ましい実例を示してくれました。

私が誇らしく思っていることは他にもあります。ジャーナル・シリーズです。(このシリーズを始めたばかりの頃は、週にたった一本の記事を上げるためになんとか人に頼み込んでストーリーを見つけてきていました。)ニッケイ物語のシリーズを通し、地元地域の寄稿者や支援者、団体との関わりが増えました。太鼓グループのデータベースには個人的な愛着があります。このプロジェクトで私が最初に担当した仕事が、太鼓グループへの連絡と初期データの入力だったからです。

過去10か月に渡り、私たちはニマ会に様々な質問をしてきました。みなさんからいただいた回答は興味深く、期待以上のものでした。質問への回答に時間を割いてくださった全ての方々に感謝申し上げます。また、ディスカバー・ニッケイに参加いただき、応援や感謝の言葉、より良いディスカバー・ニッケイにしていくための貴重なご意見をいただきましたことに、重ねてお礼申し上げます。

ディスカバー・ニッケイに貢献してくださっている多くのみなさんが、私たちとだけでなく互いに交流されていることをとてもうれしく思っています。ニマ会メンバーが直接会える機会がもっとあればいいのに、という声もいただいています。私の中にいる内気な誰かはその考えに反対していますが、好奇心旺盛なまとめ役はいい考えだと声を上げています。今後どうなるかは分かりません。陽子と相談して20周年記念に何かできるかもしれません。もちろん私たちが10年後もディスカバー・ニッケイに関わっていれば、の話ですが。

ディスカバー・ニッケイを11年に渡り応援し、特別なプログラムに育てて下さった全てのみなさんに心から感謝申し上げます。引き続き、みなさんの胸の内のストーリーや、ご家族、そしてコミュニティにまつわる記事をお寄せください。

これからも、新たな学びを楽しみにしています!

 

© 2016 Vicky Murakami-Tsuda

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このシリーズについて

ビッキー・K・ムラカミ=ツダさんは、全米日系人博物館のコミュニケーションズ・プロダクション・マネージャーです。南カリフォルニア出身の“自称”四世で、親戚の多い家族の元に生まれました。ムラカミ=ツダさんは、全米日系人博物館(特にディスカバー・ニッケイ)の仕事を愛し、おいしものを食べることや家族と一緒に過ごすこと、フェイスブックや読書も大好きです。また、今より時間もエネルギーもあった頃はアーティストとして活動し、作品作りを通して日系アメリカ人の文化や歴史を探求しました。このシリーズには、ムラカミ=ツダさんの人生や身の回りの世界への考察が掲載されています。