ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2015/11/25/toshi-yanag-2/

NHL試合で米国歌を演奏したミュージシャン -トシ・ヤナギさん- その2

(写真:Greg Vorobiov)

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究極のオプティミスト

レギュラー出演していた音楽番組が突然最終回を迎え、再びスタートオーバーとなったトシさんだが、そんな時もミュージシャン仲間たちに彼はチャンスをもらって活動を続けることができたと振り返る。

そうしているうちに、今も出演している「ジミー・キメル・ライブ」が新しく始まることになり、専属ギタリストとしてのオファーが届いた。

「チャンスをつかむコツ?それはやはりやめないこと、やり続けることだと思います。それしかない。壁にぶつかっても前に進むしかない。世の中何が起こるかなんてわからないんだから、とにかく前に進み続けることが大切だと思います。僕は究極のオプティミストです。たとえば、できないことでもイエスと言って話を受ける。受けてから必死に練習すればいいんです。アメリカ国歌だってそうでした。演奏したことはなかったけれど、どういう風に弾けば胸に届くだろうと試行錯誤しました」とトシさんは語る。

彼の楽観主義者としての内面は、ハッピーなオーラとなって外面にも現れている。ギタリストとして陰で研鑽を積み、ステージではプロフェッショナルとしての華麗な姿を見せるトシさんには常に、「好きな音楽を仕事にできている幸せ」が感じられ、そのことがにじみ出ているのだ。

マイノリティとして差別されたと感じたことはないか、聞いてみたが、楽観的だからかそんな経験も思い当たらないと即答された。「南部にツアーに行った時にあなただけアルコールがオーダーできなかったことがあったんじゃなかった?」と妻のゆきさんが指摘すると、それも「童顔だから21歳未満だと思われただけ」と言う。

こうしてずっとアメリカで活動を続けていたが、故郷に錦を飾る日が今から10年少し前に訪れた。日本の有名アーティスト、矢沢永吉のツアーに参加してほしいという誘いだった。しかし、その時既に、彼には「ジミー・キメル・ライブ」のレギュラー出演という仕事があった。日本のツアーに参加すれば、数カ月もの間、レギュラーの仕事を休まなければならなくなる。しかし、日本で演奏する、しかも矢沢永吉と仕事をすることは大きな魅力だった。彼はバンドの仲前に相談した。すると、バンドの仲間に「彼のツアーが大きなチャンスになるんだったら行って来い。留守は自分たちが守るから」と言ってもらえた。

「常識で考えればそんなことは許されないし、戻って来て自分のポジションが約束されているはずもないのが普通です。しかも、有り難いことにバンドだけじゃなく番組側も理解を示してくれたんです」。そして、トシさんはその信頼に応えるために、日本から戻ると以前より以上に「ジミー・キメル・ライブ」の仕事に感謝して演奏に取り組むようになったそうだ。矢沢永吉のバンドではバンドマスターまで務め、ツアー参加は10年に及んだ。

ハリウッドのエルキャピタン劇場内にある「ジミー・キメル・ライブ」のスタジオにて。  


活躍の舞台はボーダーレス

全米ネットワーク番組へのレギュラー出演、矢沢永吉のツアーへの参加と並行して、全曲作曲したCD「ハロー・ヒューマノイド」も2009年に発表。さらに2014年には、日本のファンと交流し、ギターのテクニックやアメリカの業界事情を日本で伝えるためのワークショップという新たなプロジェクトも始動させた。

「これはかなり新鮮な経験になりました。ギタリストを夢見る高校生が夜行バスで仙台から、飛行機で九州から駆けつけてくれたり、プロのミュージシャンや僕より上の年代のギターファンまで熱心に参加してくれたりしました。一緒に弾かないと伝わらないと思って、日本では馴染みのないワークショップ形式にしたため、定員は限定で30名程度。話をするだけ、または僕一人が演奏するだけだと、参加した人たちがスキルを体得できないからです。皆、ボトムラインはさまざまでしたけど、ギターが好きなんだということがよく伝わってきました。ワークショップの後もメールで質問を送ってくれるなど交流は続いています」

ワークショップに参加した高校生の中に、トシさんは昔の自分を見ていたのかもしれない。そして今の自分と30年前を比較して、こんな話をしてくれた。「アメリカに来た30年前は絶対にロックバンドのギタリスト、それもエディー・ヴァンヘイレンのようなギタリストになるぞっていう野望を持っていました。そしてサンフランシスコで50ドルくらいで買った中古の白黒テレビで最初に見たのが、デービッド・レターマンのナイトショーでした。当時の僕は、トーク番組のギタリストになんて絶対になりたくないと思いながら、あの番組を見ていました。でも、30年後の今、僕は深夜のトーク番組でギタリストをやっています。若気の至りと言うか、この仕事の価値が全然あの頃はわかってなかったなと思いますね。先日、ニューヨークでレターマンショーのバンドマスターのポール・シェーファーに会ったことも感慨深かったです」

今後は引き続きアメリカの生の情報やギターのテクニックを後進に伝えていくことと同時に、アメリカでは既にドラマの挿入曲などを手掛けているが、日本でも映画やテレビドラマのテーマ音楽を作り、自ら演奏したいという抱負も抱いている。もちろんギタリストとしての演奏活動も現役で続けていく。「好きなギターを弾けるなら、場所はどこだって構わない」と語るトシさん。彼の舞台はボーダーレスだ。

 

© 2015 Keiko Fukuda

執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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