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麻が結わえた南米との絆 =エクアドルの古川拓植= その2/3

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=従業員とサッカーで団結=紙幣や煙草、紅茶袋にも

古川拓殖から独立した日本人アバカ業者がソシオ(会員)となっているABAUDESAは、干された状態で納入されたアバカ繊維を品質の等級に分け、きれいに掃除し、圧力をかけて固め、日本に向けて輸出している会社だ。

そこで雇われ社長をしているのはグアヤキル生まれの二世、古木雄治さん(27)。1年半前、前社長が体調を崩したため、ソシオが一日交替で社長の仕事をしていたときに白羽の矢が立った。

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古木雄治さんの両親は子供の頃ボリビアのサンフアンに移民として渡ったが、後にエクアドルに再移住しており、南米生活は長い。でも家庭内は日本語で、古木さんも日本の大学へ留学経験があり、丁寧語も使いこなせる。

現地人とも日本人とも交渉が重要な役に適していたが、それまではフリーランスで通訳や映像の仕事をしており、アバカに関しては全くの素人だった。

「サントドミンゴに来たのも初めてで、何もわかりませんでした。1カ月は従業員の皆さんと一緒に働いていろいろ教えてもらいました」。ニコニコと話す古木さんは、不思議と苦労を感じさせない。

エクアドルでも特に活気のあるグアヤキルから突然、鳥の鳴き声しか聞こえないプランテーションのど真ん中に転住した。でも、「車がなくて渋滞もないし、静かで落ち着きます」と微笑んでいる。

新米の若社長ではあるが、彼が来てから業務の改善が進んだ。パックにするときに結ぶ紐をアバカのロープに変えたり、苦情に対応できるよう日付などの情報を記入したタグをパックに付けることを始めた。

仕事の後は、ほぼ毎日従業員とサッカーで汗を流し、いつの間にか団結が芽生えた。

アバカの繊維はその強さゆえに昔はロープに使われていたが、徐々に石油製品に圧され、現在は主に特殊な紙の原料になっている。紙幣やティーパック、たばこのフィルターなどだ。天然素材ということを生かし、従来ビニールが使われていたソーセージのフィルムにも加工されているという。

「これからは、もっとアバカの使い道を広げたいですね」。穏やかに話しながらも、ときおり意気込む若社長の様子はどこか頼もしい。

若社長の古木雄治さん、出荷待ちのアバカを背に

日本で有名「田辺バナナ」

現在日本でよく知られるようになった自然循環栽培バナナの田辺農園(TECNOBAN)も、もとは古川拓殖のアバカ農家であった。

現在エクアドル在住日本人最高齢の田邊正明さん(95)は、ダバオ時代に農業技術者をしていた。戦後、日本郵便に勤めていたが海外移住の夢を諦められず、45歳で妻と二人の子を残し、単身エクアドルへ。

67年に家族を連れてきた。16歳だった長男の正裕さんは当時を語る。「自分も外に出たいと思っていたから、父がエクアドルに行きたいと言ったときはいいね!と思った」。

到着して2週間後、正裕さんはひとり家族から離れ、他の古川拓殖社員の家に住み、キトで高校に通った。「父は2年後に独立したけど、自分は大学で獣医学を勉強していたから、農園のことはわからなかった」。

大使館や日系商社の現地採用を経て、88年に跡を継ぐため初めて農園に戻った。

正裕さんは「親がやっていることをそのままやるのは面白くないから、ブームだったバナナをやろう」と91年、キトで貿易代理店を営む内田渥さんの出資をえて、150ヘクタールにバナナを植えた。

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エクアドルに到着した翌年に誕生した二男、田邊洋樹さん(ひろき、45)は、アメリカの大学を卒業後、日本で英語講師などをしていた。でも、兄の仕事の関係から、日本のバナナの取引先である会社に勤めるようになった。

兄弟に転機が訪れたのは2005年。たくさんの農家から集めたどんなものかわからないバナナを一つのブランドにして出すという、大手のやり方に疑問を持っていた正裕さんは、「顔の見えるバナナ」を目指して独立を決意したのだ。

エクアドル最大手ノボアに取引の終了を通告した。「ノボアの扱う量からしたら、うちはちっぽけで気にするほどではないと思ったが、気分を害したらしく命まで狙われた。ヘリコプターで農園まで乗り込んできてね」。冗談めかして話す正裕さんだが、キトに住む日本人の間では有名な逸話になっている。

また、それをきっかけに日本側の洋樹さんは新しい取引相手の会社に転職した。これでようやく「田辺バナナ」を日本へ送り出す体制が整った。

「自然に優しい」をモットーにした田辺バナナは徐々に日本で知名度を高め、コンビニエンスストアでは一本100円という値段ながらも人気商品となっている。

「水や土にこだわって、自然の営みから生まれるおいしさを大切にしたい」。正裕さんは、こだわりを追求するため、まだ次世代を考えて07年、08年に農園で働く日本人を受け入れた。

高橋力さん(ちから、37)は技術担当。出荷できない傷のあるバナナをミミズに与えてできた肥料と、バナナの茎やパルミート、おがくずにEM菌(有用微生物群)を振りかけて作った「ぼかし」堆肥を一株ずつ与え、農薬もできる限り自然に還るものをと日々研究を続けている。

また、10年には洋樹さんを呼びよせた。「父はリタイアするときにすべて降りて、何も言わなかった。それで自分は成長することができた」と正裕さんは振り返る。

「でも今は責任や規模が大きくなって、放り出すことは絶対にできない。彼らには担当分野だけでなく、全体を学んでもらわなくてはいけない」

洋樹さんは「こちらの世代交代は日本と歩調を合わせながら。でもこの国が数年後どうなってるかわからないからね」と不安をはねのけるように笑い飛ばした。

「田辺バナナ」の正裕さん(中央)、洋樹(ひろき)さん(右)、高橋力さん(左)

その3 >>

 

* 本稿は、『ニッケイ新聞』(2013年9月17~19日掲載)からの転載です。

 

© 2013 Nikkey Shimbun

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