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日本の着物文化を世界に発信: コスチュームデザイナー/ファッションスタイリスト/着付け師 押元末子さん ~ その2

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伝統文化表現者としての自負と気概を胸に 

2010年、着物を世界に広めるため、寺内健太郎さんとのパートナーシップでSuehiro Kimono Agencyを立ち上げた押元さん。その当時、寺内さんから「これから何をやっていきたいですか?」と問いかけられ、「そうね、コスチュームデザインをやりたいわ」と即答したそうだ。

一流フォトグラファー、シーザー・リマ氏とコラボしたファッションフォト    

そして、アメリカはもちろん世界の人々に通用する着物を取り入れた衣装をデザインすることを目標に掲げ、映画、CM、舞台、ページェントと媒体や機会の種類は問わずに押元さんは挑戦を開始した。

「夜寝ないで自分で縫い物をして衣装を仕上げたりもします。ずっと着付け中心だったので、何十年ぶりかというほどに。でも不思議と疲れないんです」

好きなことを仕事にすることができた、そのことに日々忙しく取り組めるという充実感がそうさせるのかもしれない。晴れてハリウッドのエインターテインメントのコスチューム部門の組合のメンバーにもなった。日系アメリカ人のコスチュームデザイナーはいるが、日本から来た日本人のデザイナーは押元さんを含め二人だけ。しかも日本の国家資格の着付け師免許を持ったデザイナーとなると…返答の必要はなさそうだ。

「衣装をデザインするにしても、スタイリングを手がけるにしても、品だけは常に気をつけています」と押元さんは言う。そのきっぱりとした表情に、日本の伝統文化の表現者としての自負と気概を感じる。 

「デザイン業界での50歳はまだまだベイビー」

会社設立4周年の今年、嬉しいニュースが相次いだ。テレビCMで女優ミランダ・カーの着付けを担当し、ロサンゼルス州立美術館(LACMA)では着付けのデモビデオを展示、7月には全米日系人博物館でのファッションショー、さらに、ファッション映画「キッス・オブ・ア・サイレン」でのコスチュームデザインの仕事が高く評価され、押元さんはラホヤ国際ファッション映画祭で日本人初となるベストコスチュームデザイン賞を受賞したのだ。

現在は、2年連続して担当することになったミス・ユニバース(世界大会は2015年1月に開催)の衣装デザインの最終的な仕上げに入っている。担当取材時にデザイン案を画面で見せてもらったが、おおいに期待できる完成度の高さ、そして斬新さで見る者の目を惹き付ける。

38歳で渡米、そして40代でデザイナーとしての道を歩み始めた押元さん、遅咲きながらも、確実に大輪の花を咲かせつつある。「NBCを引退後に独立して世界を舞台に活躍している日本人カメラマンの方に、私がまだ50歳になる前、沖縄の姉に『そろそろゆっくり暮らしたら』と言われたことをお話したことがあります。姉にしてみたら、なぜわざわざ忙しい人生を選ぶのか、もう楽をしてもいいのではないかという気持ちだったと思うのです。そうしたら、そのカメラマンさんに『あなた、一体何を言っているの? まだまだベイビーだよ』と言われてしまったんです。その時に目が覚めましたね。確かにデザイン業界では50歳なんて言ったらベイビーで、70歳、80歳になっても第一線で活躍している人は珍しくありません。シャネルのデザイナーだって80歳くらいでしょう?(筆者注:デザイナーのカール・ラガーフェルドは2014年で81歳)」

振り返れば、安定した生活が手の中にあったのに、彼女は何度もそれを捨てて挑戦を選んだ。沖縄を離れてアメリカに渡り、ラスベガスでの仕事を辞めてロサンゼルスに移った。「人生は一度きり」と押元さんは口にする。しかし、その言葉を口にしても実際にそれをモチベーションに行動している人は果たしてどれだけいるだろうか。 

今後は故郷、沖縄の織物と染め物に光を当てる

そして今、デザイナーとしての押元さんは新たなテーマに取り組もうとしている。「沖縄の伝統衣装の縫いと染め、これを私のデザインに取り入れたいのです。今でも沖縄には年2回は帰省しています。ビジネスの用事がある東京のついでの里帰りのはずですが、沖縄でもどうしても仕事のことを考えてしまい、行動してしまいます。前回の帰省では、織物と染め物の現場を芸術大学で見学しただけでなく、宮城能鳳先生、金城光子先生、そして佐藤太圭子先生という、琉球舞踊の第一人者の方々にお会いして、踊りとその衣装の造りや着付けについても勉強する機会にも恵まれました。特に琉舞の衣装は着物と違って、身体を締め付けずに形が完成することに、沖縄の風土や気候に合ったものを作り出したものだとおおいに感心しました」

これまで、日本の伝統文化である着物に取り組んできたが、その活躍の土台を固めた今は、次のステージとして、生まれ故郷の沖縄の伝統文化の発信にも力を注ぐ意向だと押元さんは語る。彼女の性分から「深く入り込んで研究したことでないと、

自分のデザインにアレンジして取り入れることはできない」そうで、今後も繰り返し、沖縄に里帰りしては琉装を掘り下げて学んでいく計画だ。

伝統の着付けだけでなく、スタイリングにデザインまでを手がけ、いくら時間があっても足りないはずの押元さんだが、「50歳なんてデザイン業界ではまだベイビー」という言葉を思い出せば、彼女の時間は30年以上残っている。今後もハリウッドを拠点に、日本の伝統文化、そして沖縄の美を、持ち前の創造性と行動力を駆使して世界に伝え続けてほしい。

ノースハリウッドにあるオフィスでの押元さん(中央)。ビジネスパートナーの寺内健太郎さん(右)とインターンの日本人留学生と共に。

Suehiro Kimono Agency: http://suehiro-kimono.com/

Suekoブランドオフィシャルサイト: http://sueko.co

 

© 2014 Keiko Fukuda

designer fashion kimono Sueko Oshimoto