ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2013/5/16/uchinanchu-worldwide-3/

世界のウチナーンチュ:精神の有り方 - 世界と郷里の沖縄人へのまなざし その3/3

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伝統音楽とともに沖縄移民の間で根強く受け継がれているものに「ウチナーグチ」があります。南米などのウチナーンチュ・コミュニティーでは今もウチナーグチがポルトガル語やスペイン語とともによく使われています。

私は20年前、ブラジルのフェーラという市場で会った沖縄二世の女性のことが今も強く印象に残っています。最初、日本語で話しかけたのですが、いっこうに通じません。私はポルトガル語ができないので困りました。仕方がないのでウチナーグチで話しかけたところ、なんとウチナーグチで答えたのでした。

ブラジル生まれで、沖縄に行ったことがない二世が流暢にウチナーグチを話すことには驚かされました。さらにそのウチナーグチは彼女の親の出身地である沖縄の北部のなまりも見事に入っていました。言葉の持つ力ですね。私はアルゼンチンやペルーでも同じような経験をしました。

南米でもペルーやアルゼンチンでは日系の7割が沖縄系ですね。つまり沖縄コミュニティーのなかでは日本語よりもウチナーグチが話されてきました。私の番組でもリマでベーカリーをしている諸美里安健(あんけん)さんという人が全部、ウチナーグチで話し続け、仕方なく放送の時には日本語の字幕を付けたことがあります。

諸見里さんは日本語も話せるのですが、徹底してウチナーグチで話す。それだけウチナーグチに誇りを持っているのですね。おかげで私も南米を取材する間に、ウチナーグチがずいぶん使えるようになりました。

このようにハワイを始め、世界のウチナーンチュ社会では一世たちが沖縄の村社会からもちこんだ相互扶助、愛郷心とともに、他人に対する優しさや思いやりといった沖縄の心、スピリットが大切にされてきました。沖縄のスピリットと伝統文化、そこに沖縄のコミュニティーの特質、ファンダメンタルなものがあると思うのです。

そうしたファンダメンタルな特質は、それぞれの国のウチナーンチュのコミュニティーを通じて、二世から三世へ、三世から四世へと継承され、多文化・多人種社会のなかで、ウチナーンチュのバックボーンとなり、アイデンティティーにまで高められていったのです。

その例がハワイの沖縄コミュニティーに見ることができます。多民族・多文化が共生しているハワイで、マイノリティーの存在を高める運動が起こり始めた1960年代から70年代にかけて、沖縄系の二世や三世の間でも自分たちのルーツとしての沖縄への関心が高まってきました。

1982年に始まった沖縄フェスティバル、1990年のハワイ沖縄センターの完成は、まさにそうしたムーブメントの成果であり、その過程のなかでハワイのウチナーンチュは自分たちのアイデンティティーを強く意識し、誇りに感じるようになったといえるのではないのでしょうか。

たとえば、それはHUOAの年間テーマにも表れています。「ヤーニンジュ」(ウイ・アー・ワン・ファミリー)「チムジュリー」(ザ・ビューティフル・ハーモニー)「シナサキ」(オキナワン・スピリット・アンド・ハート)など沖縄の心をウチナーグチで表現し、活動の規範としているところにもうかがえます。

前原氏

私は2000年、ハワイ沖縄センターで開かれた沖縄移民100周年記念式典で、その時のHUOA会長、アルバート・宮里さんの言葉を聞いて大きな感銘を受けました。

宮里さんはこのように話しました。「私は三つの短い日本語を心に刻んでいます。まず「忘れるな」という言葉。それは苦難の時代を生きた一世の苦労を忘れないこと。次に「受け継げ」という言葉。それは沖縄の伝統や文化を継承していくこと。そして「伝える」という言葉。それは将来の世代にもウチナーンチュとしてのスピリットやアイデンティティーを伝えることです」と述べました。

ハワイを始め、世界のウチナーンチュ社会を取材し、多くのウチナーンチュと会ったなかで、沖縄のスピリットや伝統文化が大切に守られていることをお話ししましたが、私には気がかりなことがあります。それは世界の沖縄の人たちが「母県」あるいは「マザーランド」と呼んでいる私の住む沖縄県のことです。

沖縄は1972年に日本本土に復帰をしました。それまでアメリカの施政権下にあった沖縄は戦前のように、日本の一県となりとなりました。私たちが考えていたことは、早く遅れを取り戻して、本土に追いつこうという気持ちでした。つまり、「日本への同化」が復帰後の最大のテーマになったのでした。

そして、本土から進出してきた企業の影響で会社のビジネスのやり方も画一化され、競争や効率化による経済的発展が優先されるようになりました。優しさとか思いやりといったウチナーンチュの心の大切な部分が、あまりかえりみられないようになりました。

こうした変化に沖縄に住んでいる私たちは実はあまり気づかなかったのですが、世界のウチナーンチュの人たちは、沖縄のスピリット、心の変化を敏感に感じ取っていました。

16年前、ボリビアでの取材で旅行社を経営している島袋金丈さんは「以前は沖縄に帰ると、「ムノーカディー」「チャーグヮー・ヌディイケー」(食事はしたのか、お茶でも飲んでいきなさい)と温かく迎えてくれものだが、今はそういう優しい言葉も聞かれなくなった。沖縄の人はよそよそしくなったし、温かみが感じられなくなった」と私に話したのです。

確かに、本土復帰後、沖縄の社会資本は整備され、暮らしは豊かになりましたが、競争や効率が優先される風潮のなかで、「ナンクルナイサ」「テーゲー」といった緩やかなウチナーンチュのライフスタイルは薄らいできて、社会のなかも窮屈になってきたような気がします。

「ウチナーグチ」も沖縄では目立って話されなくなり、存在力が失われています。家庭の中からもウチナーグチの会話が消え、若者はウチナーグチを理解することができません。南米から来た二世や三世の若い人が、沖縄の若者がまったくウチナーグチを理解できないことに驚くということもしばしばです。

このままでいくと世界のウチナーンチュが持つ沖縄の心、スピリットやアイデンティティーと沖縄の私たちの認識にずれが出てこないか私は危惧しています。

ハワイで起きたウチナーンチュ・ムーブメントのような運動が、マザーランドや母県と呼ばれる沖縄に、むしろ必要になっているのではないかと思うぐらいです。

沖縄では5年に一度、海外のウチナーンチュが集まる「世界のウチナーンチュ大会」が開かれます。今年も10月に開催され、世界23カ国から5,200人が沖縄を訪問しました。ハワイからも1,000人が参加しました。

そのなかで海外の参加者から「沖縄の若者はもっと沖縄の言葉や文化に関心を持って欲しい」「海外から見ると沖縄の文化やウチナーンチュの心が以前ほど感じらない」「沖縄の心は伝統芸能、すばらしい文化に気付いてほしい」「30年ぶりに南米からきたが誰もウチナーグチを話さないことにショックを受けた」などの意見がシンポジウムでも出されました。

毎年、ハワイの沖縄フェスティバルに参加し、ボランティアでアンダギー(沖縄の菓子)を揚げている駒沢大学の白水繁彦教授は「アイデンティティーとは沖縄で生まれたから備わるものではなくて、沖縄の文化や伝統に関心を持ち、優しさとか思いやりとか沖縄的な考えを実践することから生まれる。今のままでは沖縄のアイデンティティーが心配だ」と指摘しています。

沖縄から南米に旅行した人は、南米のウチナーンチュたちが今も大切に沖縄の心やアイデンティティーを大切にしていることに驚き、「沖縄の心は南米にある」と感激します。それはこのハワイでも同じことで沖縄からハワイを訪問する人は、ハワイのウチナーンチュのホスピタリティー溢れる心に感激するものです。

今、世界のウチナーンチュは40万人。日系人全体の10%以上も占めています。日本のなかの沖縄県の人口が140万人、全国の1%にしか過ぎないのに比べると、世界のなかでウチナーンチュは日系人の10人に1人という実に大きな存在になっています。

一世紀も前、パイオニアの一世たちは沖縄から波涛を越えて、未知の国へと渡り、様々な苦難と闘いながら、世界各地で寛容・共生・相互扶助という沖縄のスピリットやメンタリティーを実践し、それをもとに沖縄コミュニティーを築き上げてきました。

そして、沖縄の心、スピリットは沖縄の伝統文化とともに一世から二世、三世から四世へと受け継がれ、世界のなかでウチナーンチュのアイデンティティーとして確立されていると私は思います。

優れた教育者だったアルバート・宮里さんの「忘れるな・受け継げ・伝えろ」という移民100周年での示唆にあふれる言葉は、世界にいる沖縄移民の子孫のみならず、沖縄のウチナーンチュ全体にも問いかけられているような言葉だという気がするのです。

 

*「世界のウチナーンチュ」は、NGN(677チャンネル)で放送されています。ハワイで番組を視聴するには、Oceanic Times Warner Cableに受信申し込みを行ってください。

 

* 本稿は、2011年に名誉博士号を授与された前原氏がハワイで行った日本語のスピーチ。英語版は、2012年8月17日に英字紙「ハワイ・ヘラルド(Hawaii Herald) 」に掲載されたものです。ディスカバー・ニッケイは、前原氏の承諾を得て、スピーチを再掲載しています。

© 2012 Hawaii Herald; Shinichi Maehara

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執筆者について

沖縄テレビ放送(OTV)の元常務取締役。世界中の沖縄人への理解促進に貢献したことが認められ、ハワイ大学マノア校名誉人文学博士号を授与された。OTVのシリーズ番組「世界のウチナーンチュ」で、長年、レポーター、プロデューサー、番組のホスト役を務めた経験をもつ。

(2013年3月 更新) 

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