ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2013/11/26/gohan-good-fortune/

ご飯と福 −新年と新しい伝統を迎えて−

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あけましておめでとう、
新年快乐、
ハッピーニューイヤー&オールド・ラング・サイン

日系、中国系、アイルランド系の私たち一家は、このように挨拶を交わし、新年を迎えます。私は、ロッキーマウンテン出身の日系アメリカ人三世で、夫の先祖はオレゴン・トレイル(オレゴン街道とも呼ばれ、19世紀西部開拓時代にアメリカ合衆国の開拓者達が通った主要道の一つ)を横断し、太平洋岸北西部に辿り着いたアイルランド系アメリカ人で、夫自身はロサンゼルスのサンフェルナンドバレーで育ちました。私たちの2人の娘たちは、中国系アメリカ人一世で、国際養子縁組を介し家族となり、2人は私たちの腕に抱かれて中国から南カリフォルニアに渡りました。年月をかけ、私たち一家は、日系プラスアルファのお正月の伝統を自分たち独自のスタイルに合わせて祝ってきました。日本のお正月に、アイルランド的要素と中国の習慣を新たに取り入れたのです。私は、子供の頃の祝日の記憶を、温かい気持ちで思い返し、娘たちにも私と同じように文化的基盤を築き、家族の愛情や私たちの多文化の伝統を、彼女たちにつないであげられていれば、と願うのです。

新年の晩餐会に参加するオカモト・フロイド家(2003年)— 家族写真

1960年代から70年代、私が子供だった頃、クリスマスからお正月は一連の長い休暇として融合し、家族や友人たちと菓子や料理を作り、祝いました。兄と私が生まれたデンバーでは、郊外から遠路はるばるグラナダフィッシュマーケットや日系スーパーに出かけ、鯛や新鮮な蛸、海老、餅、出汁、稲荷寿司や巻き寿司の材料を買いました。両親は、大晦日のパーティを自宅の地下室で盛大に開き、ご馳走を振る舞いました。その間、兄と私は、取り分けてもらったパーティのご馳走を2階で食べ、自分たちの部屋からスーツ姿の男性やカクテルドレスとブッファンヘア(ふんわりと膨らませた髪型)の女性ゲストたちが到着するのを眺めました。私たちは、地下室のドア越しに大人たちの騒々しい笑い声や、父のステレオから流れるデーブ・ブルーベックの「Take Five」を立ち聞きしました。大盛り上がりの最中であっても、私たちは深夜を回るずっと前に眠りに落ちました。元旦は、サダミ叔母さんの家で親戚と一緒にアメフト観戦をしました。

私が8歳の頃、私たち一家はデンバーを離れ、その後数年毎に引越しを繰り返し、日本食が手に入らない土地に住むこともありました。それでも両親は伝統を守り続け、材料がない時はある物を代用し、材料を求めて車で数百マイル離れた店まで買いに行くこともありました。ネバダ、モンタナ、カリフォルニア、オレゴン、どこに住んでいても、元日の朝には紅白かまぼこが入った母のお雑煮があり、新年最初の食事を家族一緒に食べる前に、何か口に入れるのは縁起が悪いのよ、という母の訓示がありました。その後、私たちは天ぷら、ワンタン、照り焼きを食べ、鯛の代わりにサーモン、寿司の代わりにおにぎりを食べました。私は、にんじんと大根のなますを作り、オレンジスライスを風車の形にしました。また、私は好きではありませんでしたが、母のお気に入りの黒豆を、縁起物なので一粒は必ず食べるよう促されました。私たち一家は、地域の唯一の日系人であることが多かったので、両親は新たに出会った友人たちを元日に我が家に招き、伝統料理でもてなすこともありました。

私も伝統料理を娘たちに引き継いでいます、と言いたいところですが、(一世や二世の年配の皆さんへの尊敬の念と少し恥ずかしい気持ちがありますが、)私は、ロサンゼルス生活者ならではのテイクアウトという贅沢を取り入れています。私たちは、マルカイ(日本食材の購入できるスーパー)で出来合いのおせち料理やカリフォルニアロール、冷凍餃子を買い、スーパーで購入したフライドチキンを添えて重箱に並べます。(重要なのは、意図と見せ方ですよね?)そして、黒豆の代わりに黒のゼリービーンズを準備しています。大晦日の深夜には、スパークリングサイダーで乾杯し、蕎麦を食べ、朝起きたら餅を食べます。私は自分用にお雑煮を作り、夫には電子レンジで膨らませた餅に砂糖醤油をつけて食べさせ、娘たちにはモチアイスクリームを与えます。母から受け継ぎ、今でも手作りしているのは、(雑煮の他に)なますとご飯のみです。正面玄関には、鏡餅と門松を飾り、何年も前に亡くなった母が私に言っていたように、娘たちには、良い1年となるよう行儀良く振る舞うように言い聞かせています。

旧正月のお祝いを始めたのは、長女を養子に迎えた1997年からでした。娘の伝統に敬意を表し、中国系の友人たちに相談し、新しい伝統を取り入れるために勉強しました。(同時に、日本の習慣に関する歴史も学びました。)現在、私たちの祝日は、クリスマス前の特別なツリー作りから始まります。折鶴やフォーチュンクッキー、こけし、干支の動物などといったアジアのオーナメントを使い、ツリーの飾りつけをします。大掃除に関しては、私は喜んで1月1日以降に延期し、旧正月に間に合うようにしています。

旧正月1週間前になると、ご馳走や家の飾りつけのための梅の枝、万年竹、天灯(チャイニーズランタン)、対聯(対になっている中国の掛け軸)等を買いに一家でチャイナタウンに出かけます。子供たちが小さい頃は、ブロードウェイ通りを皆で並んで歩き、お揃いの赤いチャイナドレスを探し、出来立ての中華まんを食べました。

家では、鏡餅に代わり、繁栄をもたらすという意味のみかんを器に盛り、幸運を招くという意味の「福」の文字をさかさまにして玄関に飾ります。大晦日には、連帯を意味する尾頭付きの魚や長寿麺、中華風チキンサラダ、パンダエクスプレス(米国の中華ファストフード)のオレンジチキンをテイクアウトし、家族全員で食卓を囲みます。娘たちは、2、3ドル入りの紅包(中国のお年玉)をもらえるよう、寝る前に夫と私への感謝の言葉を口にします。

日本のお正月とは対照的に、旧正月のお祝いは何週も続きます。私は、中国から養子を迎えた家庭のための「Families with Children from China」という団体の新年の晩餐会を、お母さん友達2人と共に12年間開催してきました。この会は、チャイナタウンで開催されているとても大きなイベントで、1500人以上の養子と養父母、ゲストが集い、10品のコース料理を楽しみ、獅子舞や龍舞、中国雑技を鑑賞しています。娘たちは、中国のお友達と一緒に祝い、ゴールデンドラゴンパレードを行進する他、オークション商品の包装やナプキンの準備、テーブル番号の色付け等、晩餐会準備の手伝いをしてくれています。このイベントは、私たち養子縁組家庭の新しい伝統として定着し、1年を飾るハイライトとなりました。

一連のお祝いシーズンは、元宵節(最初の満月の日にあたる旧暦1月15日。日本での小正月を祝う中華圏の習慣)をもって終わりを迎えます。私たち一家はこの日、満月を眺め、幸福と健康に恵まれた1年になるよう祈りをささげ、餃子を食べます。(再び冷凍餃子の出番です。)

祝日用のアジアの飾りを片付けた後、いよいよシャムロックとショートブレッドの出番がやって来ます。緑色の服を着て、世界中至るところにいるであろう先祖のために祝杯を上げ、セントパトリックデイを祝います。私たちは、日本と中国のお正月に「アイルランドの運(the luck of the Irish)」を重ね、アイリッシュシチュー(私の手作りです!)をご飯やほうれん草のトルテリーニにかけて食べ、デザートには緑色のカップケーキを食べて、さらなる幸福を呼び込みます。日系イースターの準備が始まるのは、その後です。

* * *

娘たちはティーンエイジャーになりました。彼女たちは点心より寿司を好む一方で、自分たちなりにミックスした習慣を取り入れています。私たちは、我が家独自のスタイルを伝統に加えてきましたが、自分たちなりにブレンドした毎年恒例の習慣には、私たちそれぞれがコミュニティに属し、人との繋がりを築いてきた、という共通点が内包されています。私たちは、家族であることへの感謝の気持ちを1年を通し育み、感謝を込めて祝杯を上げるのです。

 

輝かしい新年に乾杯

愛を込めて過去へのお別れを

まだ見ぬ未来に乾杯

我らのなつかしき思い出に乾杯

「アイルランドのお祈りより」

 

© 2013 Jeri Okamoto Floyd

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このシリーズについて

「ニッケイ」であるということは、本質的に、伝統や文化が混合している状態にあると言えます。世界中の多くの日系コミュニティや家族にとって、箸とフォーク両方を使い、日本語とスペイン語をミックスし、西洋のスタイルで大晦日を過ごすかたわら伝統的な日本のお正月をお雑煮を食べて過ごすということは珍しいことではありません。  

このシリーズでは、多人種、多国籍、多言語といったトピックや世代間にわたるエッセイなどの作品を紹介します。

今回のシリーズでは、ニマ会読者によって、各言語別に全ての投稿作品からお気に入り作品を選んでもらいました。

ニマ会のお気に入りに選ばれた作品は、こちらです。

当プロジェクトについて、詳しくはこちらをご覧ください >>


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執筆者について

ジェリ・オカモト・タナカさんは日系アメリカ人三世で、両親はワイオミング州農村部の出身。自身の家族史やコロラド、ネバダ、モンタナ、オレゴン、カリフォルニアで過ごした幼少期、養母としての経験やコミュニティ・ボランティアとしての活動をもとに執筆活動を行っている。また、リトルトーキョーサービスセンターの役員の他、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の中国からの養子や孤児の支援プログラム、China Care Bruins Youth Mentorship Programのアドバイザー兼ペアレント・コーディネーターも務めている。現在ロサンゼルス在住。また、ジェリさんが執筆した記事は、以下雑誌および書籍に掲載されています。雑誌:Adoptive Families magazine, Guidepost's Joys of Christmas, The Sun, Loyola of Los Angeles Law Review, Journal of Families with Children from China, OCA Image, UCLA Chinese Cultural Dance Dragonfly Quarterly, China Care Foundation's Care Package; 書籍:Kicking in the Wall:  A Year of Writing Exercises, Prompts & Quotes to Help You Break Through Your Blocks and Reach Your Writing Goals

(2015年9月 更新) 

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