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ニッケイ物語 1 — いただきます!ニッケイ食文化を味わう

オレゴンで和牛を育てる

世界に浸透する和食同様に, 和牛を渇望する声が高まっている。今回オレゴン州の牧場で黙々と2000頭の和牛を育てるハリー矢野をご紹介する。

今年、4月12日付フォーブ誌に「神戸ビーフ・フロード(詐欺)」というセンセーショナルな記事が出た。記事を書いたラリー・オルズメッドによれば、『和牛とは日本牛のことだが、それ以上は、尋ねる相手方、相手国の如何によっては、様々な回答がでてくるという。即ち、欧米人が熟知する米国産、欧州産の牛を含み、日本で飼育するすべての牛をいうと回答する人もいれば、日本が明治以降、輸入飼育した4種の牛を総称するという人もいる。米国の牧場主、及び米国和牛協会の幹部たちは、和牛とは改良種のことだと主張するが、その根拠は反駁に値する。しかし、多くの農夫や従業者は改良種と主張して譲らない。加えて、和牛とは神戸ビーフのことだと強調する人がいるが、これはでたらめだ。神戸ビーフが和牛から生まれるということは、カペルネ・ソーヴィニョンが葡萄からできるということ同じ意味だ。しかし、葡萄のすべてがカペルネ・ソーヴィニョンにはならないように、和牛のすべてが神戸ビーフだとは決していえない。神戸ビーフを凌ぐ和牛も沢山いるからだ。和牛という大きいアンブレラ・コンセプトに、高品質の和牛4種をまとめたといえばよいだろう。』

私が20数年を過ごしたサンディエゴには、ブラックアンガスがもとからあった。そこへ本店を神戸三宮に持つ「神戸みその」が進出してきた。私の工場のすぐ近くで便利なため、公私ともに利用した。同店は創始者藤岡重次(1909-1999)が「鉄板焼き」看板で、昭和20年(1945年)から始めた老舗で、厳選した黒牛や但馬牛を、お客の面前で料理し、シェフが見事なナイフ捌きをショーなみに披露して大人気を博した。サンディエゴではコロラドの和牛を仕入れると聞いたが、「アメリカに和牛?」変だなと思ったが、その時は聞き流してしまった。

私は、その後日本に帰り、10年以上経過した昨年の夏、北九州トーストマスターズの例会席上、隣合せた新顔メンバーから和牛の話がでた。東部オレゴンの牧場にいたという、「ひょっとしてワシントン州のワラワラの近く?」と聞くと。彼は驚いて私を見返した。「いや、友人がサンディエゴからワラワラに引っ越してね。手紙でワラワラの玉葱がおいしいって」。ワラワラで話が弾んだ。彼はハリー矢野を名乗り、ヤキマ、スネイク、コロンビアの3川が合流するパスコから、7マイル南のハーミストン牧場で和牛を飼育していると語った。また次の例会には牧場の写真を持参して見せてくれた。しかし、よく見るとチラシには和州牛とある。「なぜ和州牛?」ハリー曰く「和州牛は和牛中の和牛、つまりプレミアム和牛のことさ」。

ハリーはハーミストン牧場の和牛の食餌責任者として、干草、小麦、大豆粉、コーン、米藁等々、数多く飼料組み合せ調合を一手に引き受ける。これぞ和牛の飼育秘法なのだろう。米藁は、サクラメントの日系米生産者と特契しているという。ハリーの渡米決意は並大抵ではなかったと思うが、全米和牛協会主催の集まりで、最高の和牛は?という話題になった際、同協会の元会長が「そりゃ、和州牛だよ」と褒めてくれたと嬉し涙を拭った。「しかし、大旱魃の今年は、コーン他全ての飼料が値上がった。しめてかからねばと決意を新たにしていた。

私は製造会社にいて、畜産にはあまり縁がないものの、牧場見学の機会には3度恵まれた。1度目は、借りていた工場の定期検査で、天井の梁にひび割れが見つかり、大がかりな修理をせねばならなくなった。この工場所有者が、テキサス州ラボックの牧場主で、修理と支払責任を依頼すべく図面を抱えてラボックに飛んだ。この牧場はテキサス牛のみでなく、石油まで掘っていて、石油採掘機が牧場内に乱立していた。ランチ・ハンド即ちカウボーイはオイルリガー役もこなしていた。

2度目はサンホセの東部、リック天文台がよく見えるhp創立者ビル・ヒューレット、デイビッド・パカードが共有した大牧場である。私の元会社がhp社と日本で合弁会社を作ることになり、渡米調印した会長のお供をしたが、そのあと、鹿狩り同行の接待を受けた。広大な牧場内を一日ジープで走り回り、夕方やっと一頭をしとめて鹿肉のご馳走になった。

3度目は観光旅行したニューメキシコ州タオ近く、サングレ・デ・クリスト(キリストの血)山麓にあるCSランチ―1873年フランク・スプリンジャーが開拓、当初は13万エーカーあったという。アメリカの牧場は、毎年、数も用地も確実に目減りしている。世界一の家畜生産を誇った米国も、今、中国、ブラジル、インドに王座を奪われた。しかし、牛肉の安全性では、今もトップであり、消費量も揺るがない。ハリー矢野の挑戦と舞台は、始まったばかり、彼の健闘と成功を心から願う。

最後に米国で実経験した牛肉買い付けの話。

1. サンディエゴに着任してまもないころ、ロサンゼルスに住む米国の友人から、「これからメキシコ、ティファナまで牛肉の買い出しに行く、一緒にどう?」と電話で誘われた。当時は、口蹄疫の「こ」の字もなかった。私も不案内なティファナを知るまたとない機会と途中でピックアップしてもらった。記憶をたどると米国のVonsなみの大フッドストアのブチャーショップと直交渉したみたいだ。リブロース、サーロイン、ヒレ部を含む牛半頭分を車のトランクに氷袋と一緒に詰め込んだ。メキシコ税関はノーチェック、米国税関もさほどのトラブルなく、パス。米国の家庭買い付け規模に度肝を抜かれた。

2. 私のサンディエゴの会社は、日本の本社との間に毎夏、日米子弟の交換計画を実施した。期間は10日前後、うち3日間は、従業員家庭でホームステイする。子弟数は日本が30名、アメリカはその半分15名、引率者は日本10名、アメリカは5-6名。各々の定数には、50・50の公募、私募となっていた。公募は文字通り、一般市民からの公募で、抽選方法は、市の教育委員会に一任した。私募とは、社内募集である。

ホームステイは自発かつ善意に基くので、その返礼の意味をこめ、家族全員を招待しての歓迎、送別、懇親会をかねた山辺、または海辺の公園でのBBQパーティを開催した。参加者数は、300人をこえた。この300人の牛肉、鶏肉の買い付け、味付け(マリネード)を会社幹部婦人部会に依頼した。私の家内が音頭をとっていたので、詳細を聞いた。やはりVonsのブチャーショップと直交渉していたようで、牛肉はリブアイ、即ち、リブロースと指定したとのこと。BBQパーティでは、神戸みそのから特別に借り受けた色付きのっぽシェフ帽をドンし、やる気まんまんのグリル係が気勢をあげ、パーティを盛り上げていた。

BBQパーティ (写真提供:今村 亮)

© 2012 Rio Imamura

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このシリーズについて

世界各地に広がるニッケイ人の多くにとって、食はニッケイ文化への結びつきが最も強く、その伝統は長年保持されてきたました。世代を経て言葉や伝統が失われる中、食を通しての文化的つながりは今でも保たれています。

このシリーズでは、「ニッケイ食文化がニッケイのアイデンティとコミュニティに及ぼす影響」というテーマで投稿されたものを紹介します。

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