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私と「県人会」の出会い

「南米旅行はいかがでしたか。長旅ですからお疲れになられたのではありませんか。」

エコノミークラスに、二人仲良く静かに座られているお客様に声をかけた。食事のサービスの時、あれこれいくつも注文をするお客様が多い中、その二人はとても静かに、こちらの勧めるままに食事をお選びになり、飲み物もブラジル国民が大好きなガラナを一杯づつ注文しただけだった。

「いやいや、私達はブラジルに住んでるんです。もう70年になるか。」

私は絶句してしまった。

「ブラジルに。70年ですか。。。」

広島から15歳で移民船に乗ってブラジルに渡ったそのお客様は、南米の暑い太陽の下長年に渡る過酷な労働をしてきたのだろう思わせる褐色に灼けた肌と深い皺、節くれだった太い指、そしてラテンの国に染まった人だけが持つ人なつっこい笑顔が私の記憶にはっきりと残っている。

「そうでしたか。今回は何年ぶりの帰国ですか。」

「70年ぶりです。」

サラリと言われたので、それがどれほどの長い間い年月なのかを感じるのに一瞬考えてしまった。

「え!70年ぶり?という事は、初めての里帰りという事ですか。」

と聞き返してしまうほどだった。70年の間、里帰りをしようにもする事ができなかったのか、それとも里心が付かなかったのかはわからないが、その老夫婦は、笑顔でしかも少し誇らしげに初めての里帰りを心の底から楽しみにしている様子だった。

日本で生まれ育った私にとって、一生を日本の外で暮らす事は、そのとき想像すらできなかった。20代の頃に数年の海外勤務をしたり、またそのような友達も沢山いるがそれは、会社というバックグラウンドの他に、日本と同等もしくはそれ以上の生活レベルが保証されてのものだ。それと移民としてその国に根付き、生活の一からを自分で築き上げ、家族を増やしてきた人達の気持ちは、どう並べても比べようがないが、どうにかして少しでもその心情を理解してみいたと思った。

「大変失礼な事をお伺いしますが、15歳で渡り70年間、日本から離れて暮らしているのに、日本語も普通にお話になられますね。」

南加広島県人会バンド

二人のラテン的な笑顔が、私の頭のなかにあった大きな疑問、不躾な質問も言わせてしまったのだと思う。そして、その夫婦の答えが正に私にとって「県人会」という存在を知る初めての出会いになったのです。そのお二人はブラジルの広島県人会会員で、そこではいつも日本語が話され、イベントや冠婚葬祭などの大きな集会から家族単位の繋がりまで、この県人会が中心となり日本の心と文化と言葉を大切に守ってきたのだろう。

機内には、毎日沢山の日系ブラジル人のお客様が搭乗され、もう8世の代まできていた。日本へ出稼ぎに行く人達だ。片言の日本語も話せず大丈夫なのだろうかと心配になってしまうほどだが、日本へは知り合いの伝で行くのだと言う。そしてそこには、日系ブラジル人が集まる、ブラジル人コミュニティーがあり、ポトガル語を話し、ブラジル料理、風習、文化が心細い彼らを元気づけてくれるのだろう。遠く離れてもその集まりの中で日系ブラジル人としての文化が代々引き継がれていくのだ。まさに文化の融合である。
 
今、世界は狭くなっている。地球の裏側だって24時間で行けてしまう。昔の様に船に揺られて何ヶ月がもかかる事が無いぶん、郷愁は薄れ、異国に住むという意気込みは昔程必要ではないのだろう。

現在、県人会の置かれている立場は、どこも厳しい。後継者となるべき若い世代は、もうアメリカ人の若者たちだ。その中でもこの南加広島県人会は、なんとか小さいながらも後継者が育ってきている。だが、あまりにも小さいこのヒロケングループ(*編注: 若い世代による南加広島県人会の付属団体)に今まで県人会が行ってきた規模を守る事は難しいかもしれない。そしてメンバーの意識は昔とは大きく異なり、心の拠り所やアメリカで暮らす為の知恵知識を持ち寄る場ではなく、別の意味の日系コミュニティーとして活動することで「広島県人会」という歴史と日本の文化を継承して行く事になるだろう。これから先、若い世代の者として100年前から先駆者達が歩んできた道を絶やすことなく継承し、広島県人会を盛り上げ行きたいと思う。

ヒロケングループを率いる日系人と結婚。結婚式には多くの南加広島県人会会員の方が参加してくださいました。


*筆者注: この手記は、ヴァリグブラジル航空の客室乗務員として勤務していた時の経験を書いたものです。

* 本稿は、ヒロケングループのサイトからの転載です。

© 2011 Masako Mukai

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