ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2012/11/5/oatmeal-to-ojiya/

“おふくろの味”オートミールと親父のおじや

日本のおふくろの味といえば芋の煮っころがしとかお煮染めが想像されるかもしれないが、家ではまるで違っていた。朝食の懐かしい味といえばオートミールだ。

私が育った頃はまだ外国製品のことを舶来品と呼び、輸入食品はデパートや特定のお店に行かないと入手できなかった。しかし、舶来品好きの母は私と弟をアメリカ製の離乳食で育てた。そんなわけで、朝食もチーズトーストにミルク、スクランブルエッグとハムまたはベーコン、そしてオートミールだった。固めに作ったオートミールにミルクとバターと砂糖をかけてゆっくりかき混ぜると芳醇な香りが食欲を誘う。ケロッグのコーンフレークもあったが、オートミールのおいしさにはかなわなかった。

学校給食がなかったので毎日お弁当を持って行ったが、そのおかずはランチョンミートやコンビーフ、ソーセージ、ハム入りの卵焼きなど。でも、ごはんのまん中には梅干しがあり、大好きだったのでいつも最後に食べた。たまにお弁当がサンドウィッチだと、ごはんを食べている同級生がうらやましかった。

晩ご飯は白米という基本パターンは守っていたが、おかずはやはりコロッケやカツ、オムレツという大正時代から人気の西洋料理が多かった。しかもおみおつけ(味噌汁)ではなくコーンスープなどと一緒に食べることもしばしばあった。食後に必ず、ごはん茶碗か別の茶碗で番茶を一杯飲むのは日本的習慣だった。

たまに祖母の家に行くと、母がつくってくれないグラタンが出て、特別のご馳走に思えた。祖母は野菜の切り方が豪快で、タマネギや肉が大きめだった。マッシュルームはまだ生のが手に入りにくかったのでいつも缶詰。

後年、84歳で亡くなる少し前に入院していた祖母に、「何か食べたいものは?」と聞いたらクロワッサンをリクエストされた。それほどこってり味を好んだ明治生まれの祖母であった。

なぜ母も祖母もこんなに西洋料理好きだったかというと、日本の占領時代、祖母が東京の六本木で、進駐軍に接収された屋敷に住んでいたアメリカ人将校家庭の住み込みハウスキーパーになり、母も同居して、そこから洋裁学校に通っていたからだ。

中野にあった実家は運良く空襲を免れたが、事情によって親戚に貸していたのである。この「進駐軍ホームステイ」は2年間ぐらいのことだったらしいが、母にとっては食生活のみならず、そこで出会った人々を含めて、めくるめく体験だったようだ。今でも当時の生活について楽しそうに語る。

父は何でも喜んで食べる人だったが、伝統的和食で育った。米どころの仙台出身だから、味噌は辛口の仙台味噌。そして納豆が大好物だった。今のように発砲スチロールの容器ではなく、細長い藁の入れ物に入っていた。父がごはんの上にかけて醤油をたらし箸でぐるぐる混ぜ合わせると、匂いが鼻をつく。そしてまるで蕎麦をすするかのように、ろくにかまずに平らげた。

仙台といえば漁港もあるので、魚も父の大好物。だが、帰りの遅い父の食の好みが食卓に反映されることは稀だった。珍しく魚がおかずだと、私たちが骨を恐れて身がたくさんついたまま残してしまった魚を「もう済んだのか?」と、きれいに食べてくれた。または、身を少し残したままお湯をかけて「これがうまいんだ。医者殺しっていうんだ」と、即席のフィッシュスープを飲む。現在、フィッシュオイルが健康にいいと騒がれているが、日本人は昔からそんなことは知っていたのだ。

アメリカに来てから滅多に食べないのが鍋料理。冬になると、家の中がセントラルヒーティングのせいで暑いほどだから鍋をする気になれない。やっぱり鍋は肌寒い日本の家に合っている。

鍋は母の味方だ。肉と野菜を皿に載せておけば、普段料理を手伝わない父が鍋に入れて煮てくれた。よくやったのはすき焼き。家のは関東風だからまず鍋に牛肉の脂身を溶かしながら、醤油、砂糖、若干の酒を流し入れ、肉、ネギ、白菜、豆腐、椎茸やエノキ、白滝などを煮て、最後に春菊。それらを生卵で食べる。一家そろって煮立った具を同時に食べる鍋はある種パフォーマンスだった。「もっと食べろ」とボウルにどんどんつがれて食べ過ぎることがしばしば。具が残ったらあまりご飯を入れておじやに。豆腐を足すと特においしい。すき焼きの翌朝は珍しく、オートミール的舌触りのおじやが朝食となった。

© 2012 Yuriko Yamaki

オートミール 日本食 すき焼き 連合国軍の日本占領(1945-1952) 食品
このシリーズについて

世界各地に広がるニッケイ人の多くにとって、食はニッケイ文化への結びつきが最も強く、その伝統は長年保持されてきたました。世代を経て言葉や伝統が失われる中、食を通しての文化的つながりは今でも保たれています。

このシリーズでは、「ニッケイ食文化がニッケイのアイデンティとコミュニティに及ぼす影響」というテーマで投稿されたものを紹介します。

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執筆者について

東京都出身。1993年よりニューヨーク在住。『エスクァイア日本版』の特派員を務めたほか、語学、アート、メディア、人種問題などについて誌紙に執筆。アメリカに移ってから、西海岸とニューヨークに住んでいた大伯母について知らされたのを契機に、その足跡を調査中。主な著書:『ニューヨーク発・生録英語』、共編著:『笑われる日本人』

(2012年10月 更新) 

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