ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/5/6/nikkei-latino/

チリとチリの日系人たち

ボリビア訪問を終えて、2009年9月初めてチリを訪れた。首都サンティアゴ(Santiago)をはじめ最大貿易港のバルパライソ(Valparaiso)、そしてリゾート地として有名なビニャ・デルマル(Viña del Mar)に足を運んだ。

チリ最大の貿易港「バルパライソ港」

チリは日本でもワイン、サーモン等、食材輸出国としての認知度が高く、消費者からも評価されている。筆者も90年代には在京チリ大使館商務部「プロチリ事務所」でよく経済ミッションの通訳としてお手伝いをさせてもらい、チリのビジネスマンがどのように日本市場を開拓してきたかを見てきた。南米のラテン気質はあまり見られず、約束と時間厳守、コスト意識、マーケティング調査の徹底、官民企画による生産・輸出戦略等、日本人にとっては安心感を与える手法でアプローチしていた。ワインの試飲会や食材の試食会では目立ったことはあまりしないが、コツコツと継続性を重視し、合理的に絞ったターゲットを重点的に売込みをかけるというのがチリ・ビジネスマンである。

豊富な魚介類サラダ

チリの国土は細長く、面積は日本の2倍程度である。アンデス山脈と太平洋に挟まれた中部地域のみが耕地であり、北部は最大の輸出品目である銅が取れる。とはいえ砂漠・山岳地帯で農業には適しておらず、南部は主に観光と水産資源の開発が主な経済活動である。人口は1660万人で、首都圏にほぼその三分の一の670万人が住んでいる。国民総生産も1700億ドル(16兆円相当)で、一人当たりの年間平均所得は中南米最高の12,000ドルである。貿易立国であり、輸出高の660億ドルのうち1割を日本向きが占める。日本は、中国、米国に次いで三番目の得意先であり、鉱物資源をはじめ、サーモンやワイン、木材、豚肉も輸出している。2007年9月から、両国間の経済連携協定EPAが発効しており、互いに投資や貿易がしやすい枠組みが存在する1。また、近年日本からの観光客も増えており、2008年には15,000人となっている2。この多くが新婚旅行等で南太平洋にあるイースター島に行っているようだが、オーストラリア等経由ということもあり、これらの島がチリ領土だということはあまり認識されていない。

サンティアゴという街もスペイン植民地時代のコロニアル風の建物と近代的なビルがマッチしており、金融街等は活気がある。全体的に衛生的で他の南米の都市と違って、交通規則の遵守が目立つことに驚きを隠せなかった。荒っぽい運転はあまり無く、地下鉄も時間通り運行していた。地方とのコネクションは飛行機か中長距離バスであるが、後者では速度や走行時間が確認できるようになっている。

この国に日系人が存在することはこれまでの海外日系人大会やCOPANI(パンアメリカン日系人大会)で知っていたが、今回事前に連絡をとって現地の友人たちに案内を依頼した。ブラジルやペルー、アルゼンチンやボリビアと違って、チリには日本人の移住地は無く、二国間移民協定もない。移住した日本人は個人的に入国し、定住したのである。当初は農業に従事した人もいたようだが、多くは小規模または家族経営の商業を営み、チリ社会に同化して発展したと言える。また、数も少なく集住していないということで、一世も含めて二世以降のほとんどは地元の非日系人と家庭を築いている。現在、そうした世代が日系社会の中心になって日本の文化や日本語を継承しているようだが、コミュニティ内のためというよりは日本という付加価値をつけてチリ社会との接点をより強化するためのように映る。

地元日系人たちとの懇談と食事会

サンティアゴでは、ビジネスで成功、または大学で教鞭をとっている日系人たちと交流することができ、とても新鮮な出会いに恵まれた。基本的に控えめであるが、機動的かつ合理的に行動する。筆者がこれまで日本で接してきたチリ人と同様の特徴である。無駄があまり無く、ベタベタした人間関係ではない。

南米の中でも存在は薄いが、昨年ウルグアイで開催されたパンアメリカン日系人大会では、パネル発表を行い、事前準備の際も相当の協力と支援を行っていた。

チリは南米の優等生と言われており、経済や政治運営の制度評価は非常に高く、官僚の優秀さや警察の低い汚職率も評価が高い。交通違反で警官に賄賂を渡そうとして逮捕された隣国のアルゼンチン人やペルー人は数えきれないという。税関でも同様で、勤勉さや律儀さでは南米の「日本人」といわれてもおかしくないといえる。また、歴史的にはあまり友好でない周辺諸国でも、近年はチリの成長モデルを注目し、意識している。とはいえ、腹を割って話すとチリ人はアルゼンチンのブエノスアイレスには憧れと嫉妬を感じており、アンデス山脈の反対側にあるメンドサ市も大好きのようである。隣国同士のライバル意識はあるが、国際結婚も多いという。10数年前まではチリからの隣国移住は多かったが、近年はペルー、ボリビア、そしてアルゼンチンからの移住者が逆に増えているのである3

賄賂が通じない治安警備隊「カラビネロス」

注釈:
1. http://www.jetro.go.jp/world/cs_america/cl/basic_01/  ジェトロ、チリ一般情報
  http://www.chile.or.jp/  在日チリ大使館
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/chile/index.html 日本国外務省チリ情報
  http://www.cl.emb-japan.go.jp/index_j.htm  駐チリ日本大使館
2. http://www.jnto.go.jp/jpn/tourism_data/visitor_data.html 日本政府観光局
3. http://www.extranjeria.gov.cl/estadisticas_mig.html チリ内務省移民・外国人登録局
チリ移民局の2008年現在の統計によると、在留資格を得て滞在しているのが31万人である。最も多いのがペルー人で約11万人、アルゼンチン人が6万人、ボリビア人が2万2000人等である。2002年から5年で170%の増加を記録している。全体の64%がサンティアゴ首都圏に居住しており、ほとんどが出稼ぎ労働者であるが、この地区の人口比率でみると外国人が6%を占めている(全国平均は1.8%である)。ペルー国籍者の場合65%が女性だという特徴もある。不法滞在者は約10万人という推計もあるが、その内2万人がペルー国籍であると政府筋は認めている。

© 2010 Alberto J. Matsumoto

チリ
このシリーズについて

日本在住日系アルゼンチン人のアルベルト松本氏によるコラム。日本に住む日系人の教育問題、労働状況、習慣、日本語問題。アイテンディティなど、様々な議題について分析、議論。

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執筆者について

アルゼンチン日系二世。1990年、国費留学生として来日。横浜国大で法律の修士号取得。97年に渉外法務翻訳を専門にする会社を設立。横浜や東京地裁・家裁の元法廷通訳員、NHKの放送通訳でもある。JICA日系研修員のオリエンテーション講師(日本人の移民史、日本の教育制度を担当)。静岡県立大学でスペイン語講師、獨協大学法学部で「ラ米経済社会と法」の講師。外国人相談員の多文化共生講座等の講師。「所得税」と「在留資格と帰化」に対する本をスペイン語で出版。日本語では「アルゼンチンを知るための54章」(明石書店)、「30日で話せるスペイン語会話」(ナツメ社)等を出版。2017年10月JICA理事長による「国際協力感謝賞」を受賞。2018年は、外務省中南米局のラ米日系社会実相調査の分析報告書作成を担当した。http://www.ideamatsu.com 


(2020年4月 更新)

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