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第6回 1930年代における広島市内の日系二世の分布と一世との関係

はじめに

本報告では、従来、利用されることの無かったと思われる『広島県滞在米布出生者名簿』(広島県海外協会、1932年、以下『出生者名簿』)を用いて、広島市内に在住する日系二世の分布の特徴を明らかにし、さらに彼らの年齢別・職業別人口構成と学校、さらに親にあたる一世とはどのような関係で市内に居住することになったのかについても考察したい。

1. 広島市内の二世の分布とその特色

ジョン・ステファンによれば、ハワイ日系二世の日本留学は1918年頃に始まり30年代に本格化した。38年当時、日本に4万人の日系人が滞在しており、そのうち1万4000人がハワイ出身者であったという(ステファン,1984,76)。

全国で最も多かったと思われる広島県にはどれほどの日系二世が滞在していたのだろうか。1929年3月に広島県が外務省に提出した「北米合衆国本土及布哇出生者調査票」によれば、アメリカ本土出生者2,759人(男1,432人、女1,327人)、ハワイ出生者1,401人(男711人、女690人)、計4,160人(男2,143人、女2,014人)であった。

ところが1932年当時には、前掲の『出生者名簿』によると、アメリカ本土出生者6,198人(男2,945人、女3,253人)、ハワイ出生者5,119人(男2,625人、女2,494人)、計1万1317人(男5,570人、女5,747人)の二世が居住している。1931年の満州事変を経た、わずか3年間で驚くべき増加数である。とくにハワイ出生者の伸びが著しく、男女別では女子の増加が目立つ。うち中心地域の広島市内には5,309人(本土出生者2,188人、ハワイ出生者3,121人)と県内の半数近くが居住し、とくにハワイ出生者の多いことが分かる。

ここで先の『出生者名簿』の住所をパソコンに入力して町別の人数を算出して結果、表1のようになった。

表1 広島市内における日系二世在住者の町別順位とその人数
   順位    本土出生者   布哇出生者     合計
①仁保町   505人      1,903人    2,408人
②三篠町   301         215        516
③観音町   113       113        226
④段原町   84         52        136            
⑤草津町   39         90        129
⑥牛田町   29         94        123
⑦広瀬町   104       18        122
⑧江波町   48         54        102 
⑨古田町   74         26        100
⑩皆実町   48         41        89

この表と当時発行された『大広島市街地図』(1933年)を照合して、明らかな二世在住者の分布地域の特色は、市内のうち周辺部(大部分が旧郡部)の多いことである。とくに東南部の仁保町は群を抜いている(ハワイ出生者は全体の61.1%を占める)。それに対し中心部は町域が狭いこともあるが、少人数である。

2.二世の年齢別・職業別人口構成と学校

先掲の広島県「北米合衆国本土及布哇出生者調査票」(1929年)によれば、本土出生者は1歳から30歳までで、うち10歳未満が1,006人(全体の36.5%)、10歳代が1,579人(同57.2%)、20歳以上(30歳まで)が174人(同6.3%)であるのに対し、ハワイ出生者は最年長者が35歳で、10歳未満が410人(全体の29.3%)、10歳代が756人(同54.0%)、20歳代が203人(同14.5%)、さらに30歳代(35歳まで)が32人(2.3%)である。ここで明らかなことは、本土出生者よりもハワイ出生者のほうが年齢層の高いことである。また職業別では、本土出生者の場合、無職2,477人(全体の90%)、農業252人(同9.1%)、商業13人(同0.4%)、職工6人、労働者、会社員、教員各3人、官公吏、産婆各1人である。ハワイ出生者の場合は、無職1,044人(全体の74.5%)、農業303人(同21.6%)、職工22人(同1.6%)、商業19人(同1.4%)、漁業6人、官公吏3人、労働者2人、会社員、教員各1人である。やはりハワイ出生者のほうが年齢層の高いことと関連して、有職者の割合が高いことが分かる。

無職に含まれる二世達のうち、就学していた者は、どのような学校に在籍していたのだろうか。これについて時期がやや後になるが、広島市内の各学校の在籍者数を示す資料が山下草園『日米をつなぐ者』(1938年)にみられるので、参考のため表2として掲げておく。

        表2 広島市内の主な中学校・女学校の二世在籍者数(1937年3月末)

          布哇出生者  大陸(本土)出生者  その他   計

進徳女学校       45人    103人      0人     148人
山中女学校       22     110         1      133
安田学園(女学校など)     20        46           1                67   
広島女子商業      12     55         4    71  
広島女学院                          約70
山陽中学        44     92                      1               137
修道中学                              10                   36                     2                 48
広陵中学                              10                   12                     1                 23
崇徳中学        13        69        0      82
                                          山下,1938,331より作成

この時期これら9校のみで800名弱の生徒が在籍しており、大陸(本土)出生者のほうが、より多く在籍していたことが分かる。これは二世の年齢別人口構成と関係があると思われる。その他、市内には広島商業や市立中学・女学校、職業、家政学校等に在籍する者が60余名、さらに広島市を除く県下に約250名の二世中学・女学生が在籍し、広島県全体で1,100名に達しているが、隣県の山口県からも相当数が就学していると、山下は同書で述べている(山下,1938,330‐332)。

3.広島市出身の一世と二世との関係

ここでは、ハワイについては曽川政男『布哇日本人名鑑』(1927年)、アメリカ本土については竹田順一『在米広島県人史』(1924年)に掲載されている人物のうち、原籍が広島市内の一世達について調べたところ、ハワイの場合は商業、本土の場合は農業に従事するものが多かった。とくにハワイの場合、事業に成功し、社会活動にも積極的な人物が目立った。また『出生者名簿』に掲載されている子弟と照合すると、住所はこれら一世の原籍地とほとんどの場合、同じかその近くで子供全員が居住する例や、孫、甥姪の例もみられた。つまり、ある程度ハワイやアメリカ本土で成功をおさめた一世が、自分の子弟を実家に近い所に居住させ、学校などに通わせた姿が浮かび上がってくる。

むすびにかえて

本報告は、共同研究の主なテーマである帰米二世の日本留学の意義を明らかにするものではない。あくまで来日二世の居住地や職業・就学などの一般的状況を限られた資料で分析するのみであり、この後の帰米などの分析は次の機会に譲ることにする。
従来、(原爆投下の影響からか?)資料の不十分のために広島市内出身者の海外渡航に関する研究は必ずしも多くはなかったが、広島市内、とくに仁保町出身をはじめとした周辺部の地域は日本でも有数の移民送出地域と考えられるため、ハワイを中心とした海外渡航者についての資料収集を今後とも続けていきたい。

参考文献

竹田順一.1924.『在米広島県人史』,同発行所.

曽川政男.1927.『布哇日本人名鑑』,同刊行会.

外交史料館所蔵史料:「日系外人関係雑件」(K.1,1,0.9)昭和4年3月9日「北米合衆国國本土及布哇出生者調査に関する件」.

広島県海外協会.1932.『広島県滞在米布出生者名簿』.

山下草園.1938.『日米をつなぐ者』,文成社.

ステファン,ジョン.1984.『日本国ハワイ―知られざる“真珠湾”裏面史―』,竹林卓監訳,恒文社.

© 2010 Kojiro Iida

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このシリーズについて

関西居住の学徒が移民・移住に関わる諸問題を互いに協力しあって調査・研究しようとの目的で。2005年に結成された「マイグレーション研究会」。研究会メンバー有志による、「1930年代における来日留学生の体験:北米および東アジア出身留学生の比較から」をテーマとする共同研究の一端を、全9回にわたり紹介するコラムです。

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執筆者について

大阪商業大学教授。人文地理学・日本人移民史専攻。主要著作:『ハワイ日系人の歴史地理』(単著,ナカニシヤ出版)。『ハワイにおける日系人社会とキリスト教会の変遷』(編著,同志社大学人文科学研究所)。『北米日本人キリスト教運動史』(共著,PMC出版)。『在米日本人社会の黎明期』(共著,現代史料出版)。

(2010年4月 更新)

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