ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2008/9/5/ikebana/

自然と対峙する小原、内面を見つめる池坊 -ホセ・サルセド-

一瞬で魅せられた生け花との出会い

全米日系人博物館で2008年夏に開催されている特別展示「Living Flowers」 の生け花は、毎週金曜日の朝に新たな作品に差し替えられる。絵画や写真ではなく、まさに生きている芸術ならではと言えるだろう。8月初旬の金曜日の朝、そ の現場に立ち合った。会場の一角に、Tシャツを汗びっしょりにして作品に取り組んでいる男性の姿があった。生け花歴20年になるホセ・サルセドさん、その 人だった。

サルセドさんが初めて生け花を目にしたのは1988年2月のことだった。ホテル・ニューオータニで開催された池坊のデモンストレーションを見た瞬 間、「これを自分が習わなければいけない」と一瞬で感じたのだと言う。すぐにデモンストレーターを質問攻めにした。「偶然、私が住んでいるパサデナで教え ているということでした。デモンストレーションを見た、その週から池坊の生け花を習い始めました」

サルセドさんは、高校時代、西洋式のフラワーアレンジメントのクラスを受講したことがある。「しかし、1学期だけのクラスでしたし、その後、特に花とは縁のない生活でした。それなのに、池坊のデモを見た時に何かを感じたんです」

そして、池坊に出会った同じ年の秋、彼は小原流に魅せられることになる。「展示会で小原流の作品を見た時に、池坊の時とまったく同じことが自分の中 で起こりました。これはぜひ学ばなければいけない、と。水に楓の葉が浮かんでいる作品でした。その作品を見た時、数年前、旅先のイギリスの庭園で見た光景 が蘇ってきたのです。実に感動的でした」

花と花器を前にするだけで雑念が消えて別世界へ移動

1988年12月に池坊を続けながら、小原流にも師事することになった。以後、両方の師範の資格を取得し、今では週に1日ずつ、池坊と小原を別々に教えている。

日本では同時期に複数の流派を教えることはまずないが、アメリカだからこそ可能なこととも言える。それぞれのスタイルを混同することはないのだろうか。

「小原は日本伝統の美しい自然を重視したスタイルです。小原流の生け花は、私の目を自然へと向かわせてくれます。一方の池坊は、枝葉の動き、線の造 形を大切にしています。池坊を生けると、私は自分自身の内面を深く見つめることができるのです。ですから、それぞれがまったく別物であり、共に私にとって なくてはならない生け花のスタイルだと認識しています。混同した時は、両方を追究することを諦めて、どちらか片方を選択する時だと思っています」

サルセドさんの本職はコンピュータのソフトウェアエンジニアである。忙しい仕事の傍ら、2つの流派の生け花を続けることは生易しいことではなかったに違いない。

「確かに生け花のクラスがある日は、朝4時30分に花市場に行き、花材を調達し、家に戻ってバケツの水に放り込んで、急いで出勤します。帰ったらす ぐにクラスの支度を始めます。非常に忙しいけれど、それを続けられるのは、生け花への情熱があるからこそです。どんなに仕事で疲れていても、目の前に花と 花器があれば、日常世界とはまったく別の世界へと、瞬間的に移動できます。雑念が消えてリラックスすることができるのです。英語の諺に『stop and smell the roses』というものがありますが、私は生け花を通じてそのことを実践しています」

生ける時、花や木に語りかけると言う日本人の師範たちのように、サルセドさんも同じようにするのか聞いてみた。

「話しかけるより、私はむしろ、花たちの声に耳を傾けるようにしています。位置を変えてみると、花が『そう、ここが正しい場所』と言っているのが聞こえます。逆に、本来の場所とは違う場合は、花が小さな叫び声を出しているようにも聞こえるのです」

日本での厳しい研修では得る物が多い

生け花の最新の情報やスタイルを習得するために、日本への研修も欠かさない。日本から派遣講師を迎えたワークショップに参加するよりも、はるかに多くのことが学べるのだと言う。

「日本の講師がこちらに来る時は、彼らがお客さんだという意識があるからでしょうが、指導も少し甘いような気がするのです。ですが、日本の本部へこ ちらが研修に行けば、実に厳しく本格的な指導を受けることができます。私は厳しく教え込まれるほど、得る物が多いと考えます。もうすぐまた日本へ出発でき ることを心から楽しみにしているのです」
サルセドさん自身は楽しみにしている日本研修だが、まだ彼の弟子で参加した人はいないと言う。

「私の目標は、弟子と一緒に日本へ行くこと。さらに、早くデモンストレーションやワークショップを主宰できるようになりたいと思っています。そのためにも自分自身を磨いていかなければなりません」

日本人以上に日本的な志を感じさせるサルセドさんだが、生け花を始める前と後で何が変わったかを聞いてみると、「以前は花を前にしても細部まで目を こらして見ることなどありませんでした。でも、今は、一つひとつの花を、その命を愛でるように、しっかりと見るようになりました」という答えが返ってき た。

興味深いのは、12人いる小原流の弟子の中には3人の日本人も含まれていることだ。日本発祥の生け花をアメリカ人であるサルセドさんが受け継ぎ、彼が再び日本人に教えていることこそ、真に生け花がグローバルになった証の一つと言えるだろう。

プロフィール:1988年、28歳になる年に池坊、続いて小原流に出会い、両方の生け花を始める。共に師範資格を取得し、現在は週に1日ずつ、それぞれのクラスを開講している。本職はソフトウェアエンジニア。カリフォルニア州パサデナ在住。

© 2008 Keiko Fukuda

執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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