ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2008/8/28/ikebana/

花を生けることは、生きること -有村清風-

自分の教え方に固執しない: 講習会参加で興味を引き出す

池坊は家元自体も45世、500年を越す歴史を持つ。教授たちもまた、親の代から繋がる人々が多いのだろうか。西南地区に始まり、現在ではコスタメサ中心にオレンジ郡で指導に当る有村さんも、鹿児島の母親が池坊の教授だった。

「中学の頃から母に直接手ほどきを受けていました。しかし、身内から教わると融通が利き過ぎてうまくいきません。結局、母の先生にお花とお茶を厳しく仕付けてもらいました」

その後、結婚で鹿児島からロサンゼルスへ。生け花を中断して有村さんが再開するきっかけとなったのは、自宅に隣接していた日本語学校での花のクラス だった。「窓から生け花のクラスの風景が見えるんですね。それで新橋和子先生と出会いまして、今度は自分の意志で池坊に取り組み始めました」

アメリカの池坊には1963年に入門、77年に教授会に入り、さまざまな文化的背景を持つ弟子に教えてきた。アメリカ人に限らず、弟子を育成するコツを有村さんに聞いた。

「日本から年に2、3度、池坊の派遣講師がアメリカに来てワークショップを開催します。その時に、少しでも熱心な生徒さんを参加するように促しま す。直接の師匠である私から学べることよりも、また違うことがその派遣講師から学ぶことができるからです。それによって、生徒さんの興味が一気に増すこと が少なくありません。さらに、いつもは私たち教える側が調達していた材料を、興味が出てきたせいで、自分の庭で育てたり、花市場に出向くようになる人もい ます。そうなれば、その人はどんどん能動的に動きながら成長していきます」

教授によっては、自分自身の教え方の枠から弟子にはみ出してほしくないと思う人もいる。しかし、有村さんは「私自身は、自分の教え方に固執すべきではないと考えます。そうなると視野を変えることができず、限界が訪れます」と、あくまで謙虚であり、何より柔軟である。

京都での研修で: 生け花の真髄に触れる

池坊では、本部がある京都で、4年に1度の研修が実施される。参加者はアメリカ人がほとんどを占める。本部にはジョン・ケネス氏という通訳担当がおり、生け花の専門用語を完璧に訳すことで、海外からの研修生を受け入れる際にはなくてはならない存在になっている。

この研修に、有村さんの弟子のアメリカ人女性は何度も参加している。一人の教授から学べることに限界があると有村さんは言うが、それ以上に、発祥した京都に身を置くことで、より深い生け花の真髄を習得することが可能になるのではないだろうか。

有村さんの期待通り、参加した弟子は「それまで以上に花に魅せられて、次の研修を楽しみに、生け花に熱心に取り組むようになる」と言う。

京都を舞台に開催されるイベントだけでなく、世界のどこかで定期的に各支部の創立イベントが開催されており、有村さんは2008年の7月にアラスカ州アンカレッジの記念式典に参加してきたところだ。

「パーティーは150名ほどの参加があり、家元も日本からの30名の一行と出席していました。アラスカの会員はほとんど白人でした。アラスカの支部長さんは、日本に行くと必ず顔を合わせる、非常に熱心な方です」

世界各地で日本文化を浸透させるためのキーワードは、芸術としての特異性と共に、伝える側の「熱心さ」にあるに違いない。

熱心な各国人生徒がコミュニティー参入の突破口に

有村さんのお弟子さんの中に今、16歳の「期待の星」がいる。お弟子さんの孫にあたる縁で通い始めたが、親がナーサリーを経営している背景もあり、その才能を目覚ましく伸ばしている。

また、習い始めて20年以上になるベトナム人の弟子の本職は美容師。手先の器用さも手伝って、4、5人の友人を一度にクラスに入門させたほど熱心 だ。「ワークショップも欠かしたことがありません。オレンジカウンティーレジスター(オレンジ郡で発行されている新聞)の、生け花がテーマの取材を受けた 時も『夜中でも目が覚めたら、庭にある花を切って生ける。そうすると気持ちが落ち着く』と話していました。確実に花の心がわかっています。その方に、ベト ナムのコミュニティーに生け花を広めてほしいと願っています」

70代から10代、アメリカ人主婦からベトナム人美容師まで、幅広い層に池坊の生け花を指南し続ける有村さんにとっての花とは?

「命そのものです。主人が亡くなった時、私はまだ50歳でした。その時も花を生けること、教えることこそが、私が生きていく支えでした。花が収入に つながることはありませんが、花なくしては生きていけません。リタイヤをしたら、何をしようかと悩む人が多いようですが、私にはそういう心配もありません でした。私が花を始めるきっかけとなった鹿児島の母も95歳まで生きました。しかも、グリーンは目にいいと言うように、その年まで眼鏡をかけることがあり ませんでした」

池坊には柴さんの項にも述べたように、人を驚かせるような派手さはない。しかし、花や樹木を愛でる気持ち、つまり「花の心」が、生けられた花に真っ すぐに反映されている。芸術としての生け花以前に、花を生けることは生きることそのものなのだということが、柴さんや有村さんからは強く伝わってきた。

プロフィール:1950年、結婚で鹿児島からロサンゼルスへ。1963年池坊ロス案ゼルス支部に入門、77年に教授に。ジョージ・ブッシュ大統領主宰によるオレンジ郡でのイベントでは、日本を代表した生け花展示を担当。現在、コスタメサとオレンジ郡仏教会で指導に当る。

© 2008 Keiko Fukuda

執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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