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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

第1回目の海外ペルー人大会とCOPANI大会、海外日系人大会を考える

約1ヶ月前、11月2日から4日のことであるが、この東京で第1回目の「日本在住ペルー人大会」が第3回「海外ペルー人団体連合大会1」と共に開催された2。日本にペルー人が日系就労者として来日してから20年近くになるが、そうした節目にこのような大会が開催されたことはとても喜ばしい反面、それだけ彼たちの存在も日本社会だけではなく本国でも移民として注目されているということだ。

今回の大会には米国を中心に合計50人近くが来日し、ペルーの米州機構駐在のアラオス大使やペルーからは住民登録・身分照合機構RENIECのルイ ス・ボット局長もゲストスピーカーとして参加した。その他、アメリカやスペインで成功し、これらの国で在住している同胞や本国ペルーの貧困地区で様々な社 会活動や支援事業を展開している医師や大学教授も参加し、貴重な話しを参加者にした。みんなそれなりの思惑で海外へ移住し又は移民せざるを得なく、その移 民先で信頼を獲得して成功してきた人達ばかりである。今よりもっと厳しい時代を乗越え、祖国からの支援等殆どない状況の中で頑張ってきたのである。

現在、海外に在住しているペルー人は250万人から300万人と言われており今も年間40万人が国外で就労の機会を求めている。先進国へ渡航するの は一部のみであり(米国へはここ10年で全体の3割程度)、その他は経済的に所得が少しでも高い周辺諸国(チリやアルゼンチンが全体の20%)や、ここ数 年スペインへの移民(15%)又は出稼が増えている。

ペルーの経済成長率は近年鉱物資源の開発とその輸出によって2005年には6%、昨年と今年は7%台で来年は8%も予想されている。一人当たりの年 間所得もここ5年ぐらいで2.300ドルから3.200ドルまで伸びている。ただ、この大会で米国在住のクオン医師が述べたように地方の失業率(15%以 上)、乳児死亡率(23/1000)、貧困率(リマ南東部のウアンカベリカでは貧窮率が50%以上)、未就学率等は非常に高く(アンカシュ県では 30~40%の文盲率を記録)、国全体が成長しているとは言いがたい3

多くの南米諸国でみられる現象だが、ペルーの経済的・社会的格差も大きく構造的な諸問題はまだ未解決である。

日本も戦前•戦後60年代前半ぐらいまではこうした状況にあり、移民の送り出し国だった。1940年には、アジアに32万人、北アメリカに20万 人、中南米に22万人相当の日本人移民が存在していた(満州や台湾等は含まれていない)。この多くが戦争に翻弄されながら移民先に留まり、戦後の厳しい社 会的・政治的状況の中日本人としての存在を示し続けた。そしてその子孫、日系人たちも、その努力甲斐あって各国の中で成功するようになり(実際は戦前から も立派な手本はいくつもあるが)、社会的にも厚い信頼を得た。特に戦後直後は日本の復興のために多くのものがその国の市民とともに援助物資を行ない、可能 な限り送金もした。

こうした海外同胞との絆と繋がりの大切さを重視した日本政府は、同胞の里帰りや移民先との交流促進を目的に1957年5月に第1回目の「海外日系人大会」をこの東京で開催した4。 1963年からは毎年開催しており、皇室の参加も予定されているため公式な行事として位置づけられ海外から来る同胞にとっては感慨深い出会いと再会の場で ある。これまでは海外へ移住した日本人やその子弟(世界には250万人がいるとされている)との交流や移民先の移住問題等を取り上げ、移住者そのものへの 支援だけではなくその子弟への日本語教育や日本への留学拡大等が日本の経済成長とともに議題の大きな柱となってきた。90年代からは、南米諸国から日本に 出稼ぎにくるようになった日系人が増えたため、この課題も取り上げられるようになった。

今年、2007年の第48回は1981年から2年毎に行なわれている「パンアメリカン日系人大会 COPANI」と共同で、南米では最も日本人移民が多いブラジルのサンパウロで、開催された。COPANIは、当時メキシコの有力日系二世のカルロス春日 氏が南北アメリカの友人や知人を発起人として「パンアメリカンニッケイ人協会」5というものを立ち上げ、大陸レベルでのニッケイ人 同士の交流と日系人がいかにその社会で「良き市民」として評価されることを目的にし、これまで様々なテーマを議論してきた。こうした会合は異なった歴史的 •社会的・文化的背景の日系人を結びつけ、互いに認識し合えるように大きく貢献してきた。カナダからアルゼンチンまでに及んでこれまで各地で開催されてき たが、貴重な人的ネットワークを形成してきた。制度的でないと言う見方もあるが、逆にそうした柔軟な仕組みが中南米では案外評価されてきたと言えよう。各 国の日系人団体の集まりというより、各業界・業種で活躍している有力者の集まりと言ったほうが良いかも知れない。が、これが間接的にとはいえ、様々な団体 やその出身国の社会にフィードバックされているという指摘も出来よう。

ただ、海外日系人大会にしてもこのパンアメリカン日系人大会も一定の役割を果たし、当初の目的もある程度達成され、時代の流れによってその趣旨や意義も見 直す必要がでてきている。以前と違って日本とのつながりも多様なチャンネルが存在し、一つの窓口というのがあまり意味を持たなくなってきている。アメリカ 大陸では日系人の世代交代が進み、その関心事も国や地域によって大きく異なる。共通の部分のみを選択して交流を深めるのか、それともただの親善と理解促進 のみを追求するのか。

この東京で行なわれた「ペルー人大会」は、まだ第一歩をふんだばかりだが、日本政府が1990年に入管法を改正して受け入れを可能にした南米日系 人の一部である日系ペルー人のことである、ということも無視できない。が、混血も多く非日系人との婚姻者も多い。血縁的には日系人ということでこの日本で 就労・生活する機会を得ているが、法的・人種的にはペルー人である。そして、この日本で生活する以上、本国ペルーとの繋がりと絆、そして利害関係は複雑に も祖国ペルーなのである。彼たちが提言していることや要望していることはその多くがペルー政府に対してである。領事館のサービス向上だけではなく、 FEMIPが提言している三つの海外選挙区の設置(北米、欧州、アジア)と海外同胞の完全な参政権行使である(その選挙区から立候補し、本国の議会に議席 を獲得する)6。しかし、生活の拠点とその将来設計がこの日本になってきている以上、この日本への要望や要求も高まると予想される。

注釈:
1. この「海外ペルー人団体連合 FEMIP」はペルー政府(外務省海外同胞局)からも公認されており、会長のフリオ・サラサル氏は元ペルー国会議長である。2000年に設立された組織で あるが、米国とカナダを中心に活動してきており、近年スペインや欧州にも支部を設立している。

2. 日本在住ペルー人大会: 1ºConvención de Peruanos en Japón; 海外ペルー人団体連合世界大会:  http://www.femip.org/; Convención Internacional de la FEMIP-Federación Mundial de Instituciones Peruanas. 各講演者のスピーチ原稿が領事館のサイトからダウンロードできる。 http://www.consuladodelperuentokio.org/consulado/femip.php

3. ペルーの領土は日本の3.4倍であるが、GDPは約1千億ドル(12兆円)、一人当たり所得も3.300ドル(日本の11分の1)。所得の配分を表すジニ 係数も55である。貧困率も52%で、地方の失業率はリマ郊外で10%、産業やインフラが発達していない地域では15%を超えているという。

4. 大会開催の経緯については、詳細は海外日系人休会のサイトを参照。 http://www.jadesas.or.jp/about/index.html

5. パンアメリカン日系人協会のサイト: http://www.apn.cl/

6. http://www.quintosuyo.com; http://www.rree.gob.pe/

© 2007 Alberto J. Matsumoto

このシリーズについて

日本在住日系アルゼンチン人のアルベルト松本氏によるコラム。日本に住む日系人の教育問題、労働状況、習慣、日本語問題。アイテンディティなど、様々な議題について分析、議論。