ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2007/10/11/brazil-nihonjinmachi/

第8回 東洋街の形成と発展(3)-新しい「伝統」の創成-

週末の東洋街はこのエリアを訪れる人たちと車でごったがえす(写真8-1)。東洋市を訪れる観光客、東洋食品や製品を扱うスーパーの買い物客、日・ 中・韓の各料理店で食事を楽しむ人びと、なんとなく駅前にたむろするJ-POPファンの若者たちなど、さまざまである。また、このエリアは、4月の花祭 り、7月の七夕祭り、12月の東洋祭り、大晦日の餅つき大会というエスニック・イヴェントの中心でもある。これらのイヴェントのある日、リベルダーデ広場 はお祭り広場と化す。

前回述べたように、50年代後半から、日系コミュニティ側のブラジル社会(ソト)に向かった「日本文化」の積極的なプレゼンスが行われるようにな る。こうしたウチからソトへという日系コミュニティの自文化表象は、60年代以降のコミュニティ自体の拡大・多様化とともに、その方向や方法も多様化して いく。その中でも、注目されるのがサンパウロ東洋街の形成とそれにともなう新しい「伝統」の創成である。

写真8-1:週末の東洋街のにぎわい (2006年筆者撮影)

このエリアを中心に行われたイヴェントとしてざっと思いつくだけでも、運動会、東洋市、ラジオ体操、盆踊り大会、ミス日系コンテスト、全伯相撲選手権な ど、さまざまな「日本文化」のリプレゼンテーションを列挙することができる。これらの文化表象の中でも、今回は特に、東洋街において行われている花祭り、 七夕祭り、東洋祭り、餅つき大会という四つのイヴェントを「新伝統行事1」としてとらえ、戦後日系コミュニティの自文化表象のもっとも顕著な例として取り上げたい。

とりわけこれらの行事を選んだ理由は、次のような共通点からである。

  • サンパウロ市の公的イヴェントとして公認され、サンパウロにおけるもっとも顕著なエスニック文化表象の例として見ることができること。
  • 60年代後半から70年代にかけて、サンパウロ東洋街の形成期に創出されたこと。それが後に述べるサンパウロ市の多文化主義への傾斜と重なること。
  • ホスト社会においても、東洋街を特徴づけるシンボルとして理解され、「日本文化」を表象する「伝統行事」として受け取られていること。

では、次にこれら四つの行事の内容を概観してみよう。それぞれの性格・内容は次の表のようにまとめることができる。

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花祭りは、仏誕会とも呼ばれ、釈迦生誕を祝う行事である。ブラジルでは、最初は各宗派の寺院で個別に行なわれていたが、1958年に移民50年祭との関連 でブラジル仏教連合会が結成され、その合同開催行事となった。当初、サンパウロ東本願寺境内で開催されていたものが、リベルダーデ商工会(ACAL)の招 致で1976年からリベルダーデ広場を中心に行われるようになった。釈迦の誕生日とされる4月8日に近い週の月曜から土曜、リベルダーデ広場で甘茶供養が 行われる。最終日の土曜には、各宗派による潅仏法要、仏教婦人連盟によるコーラスの他、僧侶や稚児装束を着た子供達が釈迦の化身とされる白象の山車を引い て歩くパレード「お練供養」がガルヴォン・ブエノ通りからアメリゴ・デ・カンポス通り、リベルダーデ大通りで催される。甘茶供養には多くの非日系の人びと が並び、お練供養も多くの見物客でにぎわう(写真8-2)。

写真8-2:花祭りの白象の山車 (2006年筆者撮影)

写真8-3:七夕祭り、ガルヴォン・ブエノ通りを散策する人びと(2006年筆者撮影)

七夕祭りは、サンパウロでもっとも認知されたアジア起源のお祭りではないかと思われる。この行事は、宮城県で創出された都市型祝祭の輸入版であ り、現在「ブラジル仙台宮城七夕祭り」という名称で開催されている。宮城県人会主催、ACALの後援によって行なわれ、サンパウロ市だけでなく、サンパウ ロ州の公認行事でもある。毎年7 月7日に近い週末、リベルダーデ広場、ガルヴォン・ブエノ通り、エストゥダンテス通り、グロリア通りは仙台式の七夕飾りで装飾され、所せましと露店が並 ぶ。南米大神宮による七夕神事の他、ミス七夕コンテスト、郷土芸能、歌謡ショーなどが行われ、六色の短冊に願いを書いて七夕飾りの笹の枝に付ける習慣は、 広く非日系人にも行き渡っている。2006年度には15万人の観客数を記録し、サンパウロ市で行われるエスニック系伝統行事の中でもっとも多くの観客を集 める行事の一つであるという(写真8-3, 8-4)。

 

写真8-4:七夕祭り、ミス七夕のお嬢さんたち (2006年筆者撮影)

東洋祭りは、四つの行事の中ではもっとも古く、1969年リベルダーデ日系商店親睦会の時代、商店街活性化のためにはじめられた。当時の中国系・韓国系の 進出を反映してか、東洋街と同じく「東洋祭り」という名称を冠した経緯をもつ。現在、ACALの主催、サンパウロ市の協賛で、毎年ほぼ12月最初の週末に 催される。リベルダーデ広場、ガルヴォン・ブエノ通りを中心に、和太鼓演奏や阿波踊り、花傘踊り、さんさ踊り、エイサー、ヨサコイソーランなど、日本各地 の郷土芸能が披露される。また、リベルダーデ広場の特設舞台では、空手や拳法などの武道から演歌やロック、ストリートダンスまで、ポップ音楽のプレゼン テーションも行なわれる。中国系・韓国系コミュニティの芸能や武術が招聘されることもあるが、日系の郷土芸能祭的な性格が強い(写真8-5)。

写真8-5:東洋祭りの和太鼓演奏 (2006年筆者撮影)

餅つき大会は、1976年、NHK番組「行く年くる年」での東洋街からの生中継をきっかけにはじまった。やはり、ACAL主催、サンパウロ市の協 賛で、毎年12月31日午前、リベルダーデ広場で開催される。広場に据えられた臼と杵で、ACALの役員・会員たちとともに、日本文化協会の役員、日系・ 非日系の市議や州議ら来賓がハッピ姿で餅をつくのが見られる。2006年には、600食分の餅が用意され、来賓や観客に配られた(写真8-6)。同日リベ ルダーデ広場では、南米大神宮による茅の輪くぐりの神事が行われる。

花祭りが宗教色が強いのに対して、七夕祭りや東洋祭りは郷土芸能やポップ音楽のショーなどが行われ、エンターテイメントとしての性格が強い。いずれ も多くの観客を集め、非日系の人びとにもすっかり定着している印象を受ける。また、日系・非日系を問わずサンパウロ市議、州議、日本国総領事や日本文化協 会会長・役員の他、時には市長や連邦議員が来賓として出席し、政治的パフォーマンスとしての性格も見せている。

写真8-6:餅つき大会、日系婦人連と餅をこねるブラジル人議員(2006年筆者撮影)

注釈:
1. ゲストであるエスニック・グループの母集団の「伝統」に準拠、あるいはその一部を取り入れながら新たに再編・創出され、ホスト社会側にも認知された行事を、ここでは「新伝統行事」と呼ぶことにする(根川, 2006, p.129)。

参考文献
根川幸男(2006)「マルチエスニック都市サンパウロにおける「日本文化」の表象-東洋街における新伝統行事を中心に-」『平成16~17年度科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書・現代ブラジルにおける都市問題と政治の役割』pp.129-140

* 本稿の無断転載・複製を禁じます。引用の際はお知らせください。editor@discovernikkei.org

© 2007 Sachio Negawa

ブラジル サンパウロ リベルダージ ジャパンタウン フェスティバル 文化 祭り
このシリーズについて

「なぜ日本人は海を渡り、地球の反対側のこんなところにまで自分たちの街をつくったのだろう?」この問いを意識しつつ、筆者が訪れたブラジルの日本人街の歴史と現在の姿を伝えていく15回シリーズ。

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執筆者について

1963年大阪府生まれ。サンパウロ大学哲学・文学・人間科学部大学院修了。博士(学術)(総合研究大学院大学)。移植民史・海事史・文化研究専攻。ブラジリア大学文学部准教授を経て、現在、国際日本文化研究センター特定研究員。同志社大学、滋賀県立大学などで兼任講師。主要著書:『「海」復刻版』1〜14巻(柏書房、2018、監修・解説)、『ブラジル日系移民の教育史』(みすず書房,2016)、『越境と連動の日系移民教育史——複数文化体験の視座』(ミネルヴァ書房、2016。井上章一との共編著)、Cinquentenario da Presenca Nipo-Brasileira em Brasilia.(FEANBRA、2008、共著)

(2023年1月 更新)

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