ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

トミー・コウノ

重量挙げ選手。オリンピック金メダルを2回獲得。(1930-2016)

朝鮮戦争出兵の代わりにオリンピックへ(英語)

(英語)戦地へ送られる準備ができた頃、メモ書きで『掲示板に名前がある者は軍曹を訪ねるように』と書いてあったんです。それで僕は、「掲示板に名前があったんですけど、どういうことでしょうか?」とオフィスにいた軍曹に聞いたんです。戦地へ送られる直前だったんですよ。そしたら、「おそらく兵役が免除されるか何かだろう」と言われたんです。僕は、「ちょっと待ってください。そんな訳はないですよ!」と言ったんです。彼が、「君のファイルを見てみるよ」と言って見てくれたんですけど、そこには「この志願兵はオリンピックの候補選手である」と書いてあったんです。そしたら彼は「どこに配属されたい?」と聞いてきたんですよ。それで僕の状況はすっかり変わった訳です。


日付: 1999年12月20日

場所: 米国、ハワイ州

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

タミオ・トミー・コウノ氏は1930年カリフォルニア州のサクラメントで生まれました。第2次大戦中はツールレイクの収容所へ入れられましたが、そこで重量挙げの基礎を学びました。戦後、サクラメントへ戻ったコウノ氏は、1951年にアメリカ陸軍へ徴兵され、コックとして配属されました。朝鮮戦争のとき戦地への従軍が決まっていたのですが、オリンピック選手候補に選ばれたため免除されました。

1952年のヘルシンキオリンピックで初の金メダルを獲得しました。その後さらに2つのオリンピックメダル(1956年に金メダル。1960年に銀メダル)を獲得し、世界タイトル8連覇を達成しました。また、ボディビルディング競技でもミスター・ワールド(1954年)、3回のミスター・ユニバース(1955、1957、1961年)のタイトルを獲得しています。重量挙げでは4つの異なった重量クラスでのオリンピック新記録を7回、世界記録を26回も更新しました。現役引退したあとは、メキシコ(1966-1968)、西ドイツ(1969-1972)、アメリカ合衆国(1973-1976)のナショナルオリンピックコーチとして活躍しました。1990年にはアメリカオリンピックの殿堂入りした後、1994年には国際重量挙げの殿堂入りを果たしました。1996年のアトランタオリンピックでは歴代最も優秀なオリンピック選手100人の中に選ばれるという名誉を授かりました。

コウノ氏は、2016年4月24日、85歳で亡くなりました。(2016年4月)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

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日系コミュニティ内で人気のスポーツ

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(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

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(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人