(英語) 近所の人たちは、孤児になった私の母をかわいそうに思い、数週間ずつ順番に母を引き取ってくれたそうです。そして1月ほどした後、ハワイ人の夫婦がやって来て、「日本人の孤児がいると聞いたのですが、その子はどこにいますか?」と訪ねて来たそうです。近所の人たちが母を指さすと、夫婦は母の方へ行き、「ついて来て」と言ったそうです。その後母はこのハワイ人の家族と1年ほど一緒に住んだそうです。母にとってこの頃が、人生で最も幸せな時期だったようです。
I*:お母さんは当時おいくつだったのですか?
4歳くらいでした。母はどこへ行くにも常に裸足でハワイの子供たちと一緒に遊んだそうです。日系人の農園で生活していた母は、ハワイ人の家族と住むようになってから水泳やいろいろなことをするようになったんですね。母はハワイ語を話し、ハワイの人たちが大好きになりました。私がハワイのための活動に熱心なのは、そんな母の影響があるからです。母は私に、「私はハワイの人たちにたくさん恩があるのよ。だからあなたも彼らには恩があるの。私には何もできないけれど、あなたにはその恩を返すことができるでしょう」と、いつも言っていました。
*“I” はインタビュワー
日付: 2001年5月31日
場所: 米国、カリフォルニア州
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター