ディスカバー・ニッケイ

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日系人だということは文化の融合である (スペイン語)

(スペイン語) このテーマについては今まで様々な視点を聞いてきました。私の個人的な見解をお話ししたいと思います。 日系人の中には自分たちの居場所がないと思っている人もいます、どちらの社会にも属していないと思っているようです。でも、私はそうは思いません。日系人であるということはむしろ有利であると思うのです。なぜ?日系ペルー人に関しては、他のラテンアメリカの国では良く分かりませんが、二つの要素があります。それは日本人の勤勉さ、まじめさ、それも家族や仲間からそうした長所が内在的に受け継いでいるのです。だから他の日系人に会うと安心感を感じるのです。信用があるので、何か頼めることもできますし、それにその約束を絶対に守ってくれると言う確信があります。 それでは、ペルー人の長所とは?それは型にはまらないというか、想像力を発揮して解決策を探すと言うか、横道を探すのが得意なのです。多分、律儀に行動していたらたどり着けない結論に、それも最短でたどり着くことができるんです。 だから日系人というのはその二つの要素を持っており、合流すると言うか、融合しているのです。地元の狡賢さ、それもプラスになる狡賢さを発揮できるのです。私はこれが日系人の姿だと思います。「日系人として何を感じるのでしょうか」と聞かれると、「とても心地よいですよ」と答えます。二つの文化を融合し、それもその長所がうまくとりいれているわけですから、それ以上に貢献できると思うのです。


日付: 2007年9月14日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

アキラ・ワタナベ・オサダ氏は、1974年10月6日、ペルー共和国リマ市に生まれました。3世で、祖父母は福島県出身です。 現在、電子技師として働くかたわら、琉球国祭り太鼓ペルー支部の支部長を務めています。琉球国祭り太鼓ペルー支部は、ペルー日本人移民100周年記念事業の後の1999年に創設された団体です。沖縄の伝統芸能エイサーを普及することを目的としています。 琉球国祭り太鼓ペルー支部はペルー国内でも多数の公演を行っています。1999年の100周年記念事業の際や2006年のペルー沖縄県民移民100周年にも参加しています。 (2007年9月14日)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ウェイン・ヨコヤマ

唯一の日本文化:食べ物(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

アート・シバヤマ

ペルーでの子供時代(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

日系アメリカ人コミュニティの生活(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

戦後の再出発と日本的要素の否定(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

アルフレド・カトウ

あなたにとって、日系が意味するものは?(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

アイデンティティ: 日本人 vs. ペルー人(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

アルフレド・カトウ

日系コミュニティーにとってのペルー新報(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

在日日系人と日本社会

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

日系人とは?

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

飯野正子

仏教会に見る日系カナダ人のアイデンティティ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家