ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/832/

日本人の漁師町、カナダのスティーブストン (英語)

(英語)スティーブストンがどこかご存知かどうかわかりませんが、ちょうどバンクーバーの南側に位置していて、当時は5、6千人、または4、5千人が住む大きな町だったんです。人口のほとんどは日本人で、かなり大きい日系コミュニティがありました。日本人はその土地で庭園を造ったり、その土地を特徴付けるようなことをやっていたんですね。日本人のそういった活動はよく知られていて、今でも、日本人の名前が付けられた道がたくさんあるんです。 スティーブストン地域には日本人の漁師が大勢住んでいました。サーモン漁やサーモン製品に至っては全国1位で、サーモンはその土地の産業の中でも1位を誇る事業でした。そしてそのサーモン漁に携わっていた漁師のほとんどが日本人だったんです。ある意味、彼らがマイノリティであったことは有利だったと思う一方、働きすぎ、という意味で彼らはずるをしていたという風に見られていたんですね。 彼らが漁に出ると、全てを獲りつくすまで何時間でも漁をし、魚を持ち帰るんです。かつて「ハイ・ボート(高くなった船)」という言葉があって、大量のサーモンを乗せた漁師の船をハイ・ボートと呼ぶんですね。(大量のサーモンを獲れば)船(ボート)は水に深く沈むので、「ロウ・ボート(低くなった船)」だろうと思うかもしれませんが、当時はそういう船を「ハイ・ボート」と呼んでいたんです。そして毎年「だれそれがハイ・ボートだったらしい。」と、話題に上って、それはいつも日本人の漁師だったんですね。だから彼らの漁師としての腕は、次第に敵意の対象にもなった訳です。


ウォータースポーツ カナダ 釣り

日付: 2006年7月25・26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヘンリー・シミズ氏は、1928年ブリティッシュ・コロンビア州プリンス・ルパートで生まれました。第二次大戦中シミズ氏は、ニュー・デンバーに強制収容され、終戦後、現在の居住地であるエドモントンへ移り住みました。医学部を卒業したシミズ氏は、整形外科医となり、その後、医療関係の数々の要職を務めました。また、1989年から2002年には、日系カナダ人リドレス基金の会長を務めました。画家でもあるシミズ氏は、強制収容所の体験を題材にした数多くの作品を手掛け、それらの作品は、様々な場所で展示されています。シミズ氏のコミュニティへの貢献は高い評価を受け、1999年全カナダ日系人協会より表彰を受けました。また、2004年には、アルバータ大学の卒業生に贈られる賞を受賞し、同年、カナダ勲章を受勲しました。(2006年7月6日)

カズオ・フナイ

米国での最初の仕事

一世実業家(1900-2005)

ユリ・コチヤマ

ターミナル島 / サンペドロ(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

マーガレット・オダ

おてんば娘(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

グレース・アイコ・ナカムラ

ラリーの釣りの腕前(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉