ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/719/

日系 vs. 二世(スペイン語)

(スペイン語) 子供の頃、私は日系人であるというよりは、二世であると感じていました。このように区別をするのは、二世というのは事実、依然として移住してきた一世との強い結びつきがあるからです。それなので、私の場合、二世としての意識がより強かったのだと思います。実際に以前は、日本人の血を引く人々は皆二世でした。今では四世や五世までいるので、日系人ですけれどね。それで、子供のころはそんな風に感じていましたし、戦後のその時代には、日本がまだ今のように認められている国ではなかったので、当然、いいことや悪いこともありました。だから、当時の日系人は、そういった影響を受けていましたよ。でも今日では、例えばそういう同じ日系人でも、違う風に感じています。私自身も実際に違うと感じています。どうしてかって? それは、二世でも他の世代であろうと、チリ社会やチリ文化に、ずっととけ込んでいるからですね。それに、ふたつの文化の知識を生かして、多くの場合、両方にとって有利になる職業や企業で、働くことができるんです。それは興味深い利点ですね。


チリ 世代 ハワイ アイデンティティ 日系アメリカ人 日系 二世 アメリカ合衆国

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロベルト・ヒロセ氏は1950年8月8日チリのキジョータで生まれました。子供時代を農村で過ごし、チリに定住していた何人もの日本人と知り合いました。小学校から高校までキジョータやコピアポで勉強しました。コピアポでは鉱山採掘の仕事で一時的にチリに来ていた日本人たちと知り合う機会がありました。 1968年から1973年までサンティアゴにあるチリ大学で電気工学を学びました。そして日本の文部省の奨学金を得て6ヶ月間大阪外国語大学で日本語を学んだ後、1年間広島大学で研究生として電気工学を勉強しました。 チリ三井株式会社機械部で10年間働き、1986年に漁業用浮き輪製造会社である「インドゥストリアス・ビニコン」へ転職し現在に至っています。2002年にビニコンの多角化を指揮する責任者となり、チリ北部のカルデラでアワビの養殖センターを統括しています。 チリの日系人活動において、彼は1968年から1986年までチリ日系日本慈善協会(Sociedad Japonesa de Beneficencia)、そして1987年から現在までバルパライソ地域日系人組合(la Corporación Nikkei de la Región de Valparaíso)(前バルパライソ日系人連合: Agrupación Nikkei de Valparaíso)に積極的に関与しています。(2007年5月2日)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。